第22話 悪戯


「僕はこのままでもいっこうに構わないんですけどね」


 それはそうだろうなあ。ここに閉じ込められている間はユウのやりたい放題なのだから。

 利害が一致しない相手と協力するほど不毛なことはない。はあ。

 ユウが私のため息に反応して少し眉間にしわを寄せた。


「ですが、長引いて残業……なんてことになっても嫌ですね」


 気のきいた返事が思いつかなかったので、私はとりあえず唸り声で相づちを打つ。ユウも何かを考え始めたのか、唸りながらアゴに手を当てて悩みだした。


「何か思いついた?」

「そうですねえ……んん」


 数秒迷う動作をしたあと、ユウは意地の悪い笑みを浮かべて「そうだ」と明るい声を出した。もう内容を聞かなくても嫌な予感しかしない。


「そんなに出たいですか?」

「もちろん」

「じゃあ……」


 いつもより甘ったるくて間延びした声で、ユウがさらに近づいてくる。ダンボールに腰かける私の足にまたがって、体に腕が絡みつく。

 すぐ耳元で囁かれた。


「僕のこと、好きって言ってください」

「なに言っ」

「嘘でも言ってくれたら、もっと頑張るかもしれないですよ」


 体が金縛りにでもあっているのか、顔以外が動かせない。私の耳元に口をつけているのだろうその表情は見ることが出来ない。


 恐怖か、それともまさか。私の鼓動が早鐘のように打ち鳴らされて心臓が痛い。呼吸もちょっとおかしい。呼吸が浅く短くなり、苦しい。

 ……まずいかも。息ができない。


「ねえ」とさらに催促されたので、うまく息を吸えないまま絶え絶えに声を絞り出した。


「言えない」

「どうして」

「嘘で言う、ものじゃない、でしょ。そんな無責任、な」

「……息、大丈夫ですか?」


 ユウのせいだ。ゆっくり体が離れると同時に金縛りが消えて思いきり息も吸えるようになった。殺されるかと思った。

 まるで全力疾走でもしたかのように、私の肺は酸素を求めて激しく呼吸を繰り返していた。苦しい。


「ほ、ほんとに大丈夫ですか?」


 とはいえユウもわざとではないのか、本当に心配した顔で私の背中をさすってくれる。やっぱり感触はないのだけれど、そうしているうちにだんだんと落ち着いてきた。

 呼吸も整ったのでユウを見上げてへらへら笑ってみせる。あ、冗談にできなかった。想像以上にユウの顔が険しい。どきりと心臓が悲鳴を上げた。


 ユウの幽霊としての力は相当なものだ。でも最近思うことがある。タチは悪いけど、悪霊ではないんじゃないか。誰かを憎んだり恨んだりしているわけではなく、誰かを傷つけたいと思っているわけでもないのだから。

 ……私の交遊関係の邪魔はするけど。


 たまにユウに優しくされるとそんなことを考えてしまう。


「もう大丈夫だよ。ちょっとびっくりしたけど」

「……軽くイタズラしたかっただけなんです。こんな脅すつもりじゃ、」

「分かってるよ」

「やっぱり僕は、貴女にとって」

「……?」


 体を離した後のユウは今にも泣きそうな顔をしていた。次の言葉を待っても、これ以上何かを言うつもりはないようだ。沈黙が痛い。


「えっと」

「少し待っていてください」


 今にも消えてしまいそうな、そんな寂しい笑顔を残してユウはふわりと浮遊する。

 そのまま私が何かを言う前に素早く扉の向こう側へと飛んで行ってしまった。


「行っちゃった……」


 何かフォローしようと思ったのに。でもなんて言うつもりだった?

 自問自答しても答えは出ない。


 そもそも、私がユウに対して罪悪感を持つのもおかしな話だ。奴は勝手に私にとり憑ついているだけなのに。

 でも、やっぱり。


 ……ガコン。

 遠くの方で何か音が聞こえた。ここでも聞こえるくらいなのだから相当大きな音なんじゃないか。

 何か重たいものを叩きつけるような、そんな感じだった。


 気になったのでゆらゆらと立ちあがり扉の方まで歩いてみる。さっきの過呼吸で疲れたのかあまり体に力が入らない。

 ユウは無事だろうか。なんて、何を心配してるんだか。


 すると予想外な出来事が起きた。ガチャリと扉が音をたてて揺れて、ゆっくりと開いたのだ。私は眩しさのあまり目をつぶった。


「お待たせしました。今のうち出てしまいましょう」

「え、ああ、うん?」


 光に目がまだ慣れない。曖昧な返事をして、手探りで台車を探していると「ここですよ」と差し出してくれた。お礼を言ってのそのそと倉庫を出た。


 なんて清々しい空気だろう! あの中は意外と埃っぽかったらしい。なんて解放感だ。やっと目が開いて、安心のため息をついた。

 辺りは少し騒がしい気がしたが、周囲には誰もいなかった。

 私は何事もなかったかのように扉を閉めてから辺りを見回した。


「助かったけど……」

「発想の転換です。頑張りました」


 上から得意気な声が降ってくる。

 ……うん、これは怪しい。今までにドヤ顔のユウがやらかしたことに手放しで喜んだことがない。助かったけど、きっと良くないことだ。

 ちょうどこちらへと早足で近づいてくる人がいたので尋ねてみた。


「あの、一体何がありました?」

「ああ。近づかないで戻った方がいいよ」


 その後、予想のはるか上を行く被害に私は石像のように固まるしかなかった。本当に、迷惑をかけてしまってすみません。


「外で原因不明の爆発音が聞こえたらしくて、俺も今からそこに行くんだけど」

「あ……そ、そうですか……」

「それじゃ」




 後日、会社の敷地内にある創立者の銅像がヒビが入ったことが一躍テレビのニュースにまでなってしまった。そしてテロだの怪奇現象だの散々語られて飽きられるまで私はずっと頭を抱える羽目になったのだった。


 私が閉じ込められた? 人知れず脱出した? そんなちっぽけな話題など誰も知らない。存在ごと忘れ去られたのである。


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