つなぐ【お題:決意】

 桜がゆれる音がした。もちろんそんなのは気のせいだ。窓も閉め切った状態で、そんなものが聞こえるはずがない。相変わらず施錠されていない部室に入ると、そこは人影もなく、ただ埃のにおいがするだけだった。それは、そうだ。今日は卒業式だから、特別棟自体が静寂に包まれている。

 並んでいる部誌を一冊手に取る。ぱらぱらとめくってみても、楽しくはなかった。

 本を棚に戻したとき、扉の開く音がした。ここは文芸部室であると同時に国語科準備室であるから、国語の先生が入ってきたのだろう。顔を上げると、案の定入ってきたのは文芸部の顧問だった。彼は私たちの学年の古文の先生でもある。

「どうした?」

 ふわりと笑う先生に、思わずどきりとした。私の手が本棚にあることに気がついて、先生はひとりで納得したようにうなずいた。

「それ、意外とおもしろいだろ」

「そう、ですね」

 嘘だ。だって私は、何も読まずに戻してしまった。先生は棚の教材を見つめて、黙ってしまった。

 ――きれいな文章を書くんだな。

 すこし前、このひとにかけられた言葉を思い出す。文章を書くという行為は、私にとってなんでもないはずだった。怪我で部活をやめたとき、先生はしずかに笑っていまの気持ちを書いてごらんと言った。意味もわからないまま、たどたどしい文章を書いたのを覚えている。

「せんせい」

 くぐもった声が出た。先生は窓に手を伸ばしたまま私を見た。

「文芸部、入ろうかな」

 先生はそっと微笑んで、伸ばした手を下ろした。

 先生はあと少しでこの学校を去ってしまうらしい。こっそり教えてもらったとき、私はすこしだけ泣きそうになった。それを部活をやめたことへの悲しみだとごまかしてきた。

「先生のところに本、送ったげる」

 先生は、それはありがたいなあと笑った。目を合わせるのが怖くて窓の外を見たら、ざわざわと桜がゆれていた。いつの間にか窓が開いていて、桜のゆれる音がやけにうるさかった。

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