『恋人』というもの

「木嶋さん」去り征く杏奈と加藤さんなど意に介さず、彼は私の名を呼んだ。

 戸山君が私と向き合おうとしてくれている。以前と比べたらもの凄い進歩だ。

 だから私も、しっかり目を見て話さなければならない。

 何も恐れることはない。今の二人なら前回と違って有意義な話し合いができる筈だから。

 私は笑顔で振り向いて、戸山君の呼びかけに返事をした。「何? 戸山君」

「その……前話した時に、突き放すような冷たい言い方をしちゃってごめんね。何も事情を知らないのに、憶測だけで判断して一人で腹を立てて木嶋さんを傷付けるなんて、恋人のすることじゃないよね」

 深々と頭を下げる戸山君。狂気の面影は微塵も感じない、誠意に満ちた謝罪であった。

「ううん、戸山君だけの責任じゃないよ。大切なことを戸山君に隠して不安にさせたのは私だもん。だから、頭を上げて?」

「わかった……」私の言葉通り、直立の姿勢へと戻った戸山君。再び開いたその口は、私の抱える問題の詳細を求める。「でも、一つ訊かせて。土手先輩のことは赤江から誤解だって伝えられたけど、「距離を置きたい」という発言はどんな経緯で出たものなの? 話せる限りで構わないから、どうか教えてほしいな」

「それは……」

 母のことは私だけでひっそりと解決する。そう決意したから、戸山君には何も伝えずにいた。けれどもそれは破局の危機を招き、現状をより悪化させただけ。初めから全て話していれば、戸山君は応援の言葉を送ってくれたかもしれないのに。

 私達は恋人同士だ。

 そして恋人というのは、極力隠しごとなどしないもの。

「どうしても話せないなら、無理強いはしないよ」

「いや、大丈夫。話すよ、全部。もう何も内緒にしたくないから」

「木嶋さん……」

 信頼の笑みを戸山君に向け、私は母についての今までにあった事をすべて打ち明けた。


「そうだったんだ……。でも、嬉しいな。そんなにお母さんが厳しいのに、告白をOKしてくれたなんて」

「いや、えっとそれは、その。……断れなかったってのが大きいかな。と、当時は戸山君のことを何も知らなかった訳だし」

「ハハハッ。さっき何も内緒にしたくないって言ってたけど、急にそんなにぶっちゃけてくるなんてなんだか極端だね」

「えっ、あっ、傷付けちゃった!?」

「全然。むしろ逆だよ」

 ポンッ。彼の手が私の頭に。ただそれだけなのに、どうして心が安らぐのだろう。

「と、戸山君?」

「あ、ごめん。つい」私の頭が軽くなった。

「べ、別に迷惑だとは思ってないけど、が、学校だからちょっと……」

「だね。気をつけるよ」

 戸山君はただ朗らかな表情で私の顔を見つめる。その目があまりにもまっすぐだったものだから、思わず私はウサギ小屋の方へ視線をやった。

「あ、そういえば戸山君」ずっと脳内におさめていた疑問を、ふと思い出す。

「ん、どうしたの?」

「えっと。訊いていいのかわからないけど、その……。大丈夫、なの?」

 恐ろしい程の身体的変化。触れてほしくないであろう点だとは思うものの、やはり心配である。

「大丈夫? っていうのは、俺の見た目のことかな?」

「う、うん」

「そっ、か。まぁ気になるよね。……でもその話は、文化祭が終わってからでいい? 折角楽しい行事の日なのに、これ以上辛くて暗い話なんてしたくないんだ」

 かすかに闇色が混じる戸山君の瞳。私の想像以上に、大きな困難を抱えているのだろうか。

「わかった。ただ、くれぐれも一人で抱え込み過ぎないでね」

「うん、大丈夫。俺も内緒のことを作るのは嫌だから」

 私達はお互いに、暖かな笑顔を向けた。

 そしてそのまま、暫く言葉を交わさずに見つめ合い続けた。

「……そ、そろそろ戻ろっか、木嶋さん」

「そ、そうだねっ。皆待ってるだろうし」

 早速戸山君は歩を進める。

 しかし私は、それに続いて歩くことができないでいた。

「どうしたの? 木嶋さん」

「このコ達、戻してあげた方がいいよね」

「あれ、ずっと小屋の外に居たんだこの二匹」

 スノーとチョコに近寄っていく戸山君。怖がる素振りも見せず、二匹をひょいと持ち上げる。

「さっきまでとは打って変わって可愛らしいし大人しいね。加藤さんが居ないからかな?」

「そうかもしれないね。……この二匹が木嶋さんを襲おうとしたのはきっと本意じゃないだろうから、怒っちゃ駄目だと分かってるけど。なんというか、モヤモヤしちゃうな」戸山君はウサギ達を小屋内に放し、ガチャンと鍵を掛けた。

「私のために戸山君が腹を立ててくれるだけで充分だよ」

 自分のことなのに、他人のほうが本人よりも憤慨する。これこそ愛だと私は思う。

「まぁ木嶋さんがそう言ってくれるならなんでもいっか。──じゃあ、今度こそ行こう」

「うん」

「……」小屋の中でスノーとチョコが私達の様子を見ている。

 ある程度豊かな自然の中、動物達に見守られながら男女二人で歩いていく──なんだか、おとぎ話の主人公にでもなった気分だ。

「あの、戸山君」

「?」


「そ、その。好き、だよ……」


「……!! 俺もだよ、木嶋さん!」

 誰も見ていないんだし、少しくらい主人公っぽいことをしてみても罰は当たらないだろう。  

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