一枚が人生を揺さぶる

 予測ができないこの人生。思い描いていたのとは違った景色が目の前に広がる事だってありうるのだ。

 つまり、何が言いたいかって?


 ──順位が、落ちた……。


     ▼ ▼ ▼


「この前のテストの結果を配るぞ。良かった奴も駄目だった奴もしっかり目を通しておくようにな」

『はーい』

 興味の無さそうな返事をしておいて、皆騒ぎ出す。テスト事態はつい先日返却され、残すは順位のみ。

 林田先生が持つ個人成績表にそれは記されている。もうすぐ、我が手に……。

 家庭学習のペースが少し落ちたとはいえ、図書室でそれは補っているつもりだ。点はまずまずといったところだったが、私がそうならば周りだってそれなりの点数であるはずだ。

「木嶋〜」

「はい」

「ハイ、これ」

「ありがとうございます」

 無表情で成績表を手渡され、私は落ち着いて席に戻る。

 小さく深呼吸をして精神を落ち着かせ、ゆっくりとそれを開く。

「……!?」

 文字にならないような、もはやそう呼んでいいのかも分からない、そんな叫び声が出た。

(おかしい)

 その4文字が、頭を埋め尽くしていた。

 嘘だろう? まさか、冗談だろう?

(3……位?)

 普通に考えたら、それだって充分満足できる順位だろう。第二学年165人中の3位になる事ができたのだから、誇っていい成績である。

 けれど私は特殊なのだ。1位でなければ、その原因を問い詰められ、最終的に全てバレてしまうかもしれない。

 非常にまずい。これ見て母はどんな顔をするだろうか。

(でも、お母さん確か前に変な勘違いしてたからそれを利用すれば……)

 それは即ち、演技をするということ。

『嘘』を、つくということ。

 前は雰囲気に流されただけだったため、軽く母の言葉に返事をするのみで良かった。しかし今回は状況が違いすぎる。

 上手く騙されてくれるだろうか。

 信頼が物を言うな、これから始まる母への『言い訳』は。


 結果が返された直後、流れるように戸山君が私の席へやってきた。

「木嶋さん何位だった?」

「え? えっ、と……」

「あ、ごめん。普通聞いた人が先に言うよね。え〜と俺は──」

「べ、別にいいよ、言わなくて。私もあんまり、言いたくないから」

「悪かった」という事を伝えるため、できる限り目を伏せる。さすがの彼でも、この表情なら察してくれるに決まっている。

「あ……。ごめんね。無理に聞こうとしちゃって」

「ううん。わ、分かってくれれば」

 周りは賑やかだけれど、2人の間では沈黙が起こった。

 戸山君はずっと上を見て、別の話題を脳内から探し出そうと頑張っている。

「そ、そうだ。そういえば、最近あの漫画は読み進めた? 今3巻貸してたよね」

「あぁ、しばらくは勉強に専念してたから読めてなかったかな。今日帰ったら読むよ」

「そうなんだ。今の所どのキャラが一番好き?」

「う〜〜ん」

 タラコのメリーは愛する犬の前では素直で可愛い乙女といった感じが愛らしいし、犬のドンの一途さを貫き通す様子には素直に憧れる。

 戸山君のイチオシキャラクターである甘太郎君はまだ登場していないからどんな人間かは分からないな。

 じゃあメリーとドンの2択か。悩むな。

「う〜ん……」

 目を瞑って彼らのことをじっくりと思い返した。

 鮮明に思い出せば思い出す程、どちらの魅力もしっかり出てきて決められない。平等に良いキャラクター達だ。

 けれどここで悩み続けて、優柔不断だと思われるのも何だかなぁ。

 実際にそうである事は間違いないのだが、キャラクターの1人も選べないとなるとこの先も苦労しそうだし……。

「そ、そんなに真剣に考えなくても良いんだよ。重要な調査とかじゃないんだから」

「そう、だよね。……でも、決められない。皆可愛くていい子だから」

 戸山君は少し固まったが、その後フッと笑った。

「──そう言う木嶋さんがいい子だよ」

「え?」

「人……というかキャラの素敵な所をよく見つけられているって事でしょ? 皆好きだから選べない、みたいな」

 堅く考えていた私が馬鹿みたいだ。でも、決められないのは悪い事ではないのか?

「いいの? け、決断力がないろくでなしだって、思わないの?」

「思わないよ。長所に目が行くのはすごくいい事だから」

「そうなの……かな?」

「うん。それに、無理に決める必要もない選択だしね」

 全然決められないので、てっきりそれを非難されてしまうと思い込んでいたが、考え過ぎたみたいだな。

 むしろ逆でそれを褒められるなんて。まあ正直ちょっと嬉しい。

「そ、そっか。でもわざわざ聞いてきたのに、なんかごめんね」

「いいよ別に。木嶋さんにまた1つ、詳しくなれたし」

「……」

 戸山君はおどけたようにウインクし、そして笑った。

 ちょっぴりキザなその様は、私にとって困るものでしかなかった。主に返答に。

「ア、アハハ」

 あまり得意でない苦笑いが発動。今後多用する可能性が高いので精度を上げておくべきか。

「ごめん。ふざけすぎた」

「いや、大丈夫だよ……」

 最近、私よりも戸山君が原因で引き起こされる気まずさの方が多いように感じる。

 気のせいか?


     ▽ ▽ ▽


「お、お母さん。これを」

「あら、成績表ね。どれどれ……」

 あえてなのか、母は心の内のドロドロした黒い感情を声には出さなかった。その代わりに、顔が全てを物語っている。

 そして私は俯いた。それには2つの効果がある。

 恐怖から可能な限り逃げるため、視線を逸らす効果と、これから暗い話をするという雰囲気を醸し出す効果だ。

「……前に私、人に言い寄られてるって話をしたでしょ? その影響がまだ残ってるみたいで」

 母はまだ口を開かず、私に疑いの目を向ける。

 一挙一動に抉る程の視線が送られるであろう、今この瞬間。下手な動きをすれば一発で嘘がバレる。

 動きが制限されるこの空間で、どれ程筋が通る言い訳ができるか、それがミソだ。

「成績にまで響くなら、私が学校に文句言ってあげるわよ」

 ようやく口を開いた母は表情を変えずに、私からしたら都合の悪過ぎる台詞を吐いた。(どうしようっ)

 もっと色々な言葉が来るのを想定しておけば良かった。無計画は度を超えると死と直結してしまうみたいだ。今後の人生の教訓にしよう。

 もっとも、この先の人生に自由があればの話だがな。

 まず第一に、ここで「そんな事しなくていいよ」となんの根拠もなく言い放ったら怪しすぎるのだ。

 どうするか、どうするか……。

 

 あっ!


 母がもし電話で学校に訴えるというのなら、力を貸してくれそうな人材がいるではないか。

(松江先生……! 図書室の先生じゃ不満だというのなら、林田先生にも協力を仰げばっ)

「お願い」

 しまった。

 少し声色が明る過ぎたか? しかし母の顔は先程よりも穏やかになっているし、疑ってはいないだろう。

 ならいい。

「夕梨、汗かいてない? もしかして、その男に何かしら脅されてるんじゃあ」

「……何も答えられない」

 母が遥か下にある別世界を見ているかのような私の髪に手をやって、サラリと流した。心配である故に表情を見ようとした過程で冷や汗に気付いてしまったのだろう。

 この返事だと(偽りの)事態が深刻な感じになってしまったな。だからといって取り消しももはや不可能。

「そう。とにかく、後で電話しておくわ。今だと……結構遅い時間だから駄目よね。明日掛けるわ」

「よ、よろしく」

 あとは先生達に話をするのみだ。まあそれこそが一番の難関なのだが。

 しかしこんな状況なのだから、「先生と会話するのが苦手」とも言っていられない。これも成長するためには必要な経験。

 母に立ち向かう、初めの一歩なのだから。 


「あの……少し協力して頂きたいことがあるんですけど」

 わざわざ朝っぱらから図書室を訪れた私に、松江先生は期待百パーセントの笑顔を向けた。

「あら、何でしょう」

「その、今日母から電話が掛かってくると思うのですが、上手いこと話を合わせて最終的には母を納得させてほしいんですけど」

「……無茶なことを言いますね」

 恋愛相談だと思っていたであろう松江先生は肩を落とす。読んでいた本を勢いよく閉じると、「それは、ちょっと無理かもしれないですね」と口にした。

「そ、そんな」

 正直、ここまで「嫌だ」というのを示してくるとは思っていなかった。過剰に踏み込んでくる所はあれど、基本的にはこちらの頼みを何でも快く聞いてくれる明るく優しい人という認識だったからだ。

「申し訳ありませんね、力になれなくて。……そうしなくてはならない理由を伺っても?」

「は、はい。大丈夫ですよ。えっと、」

 順位の話から私が母に吐いた嘘と電話するに至った事への説明まで、包み隠さず全て話した。

「なるほどー。……完璧主義なのですか? お母様は」

「ま、まあ、勉強面に関しては。“上に立ち続けていないと、1人で生き残る事なんてできない”とよく言われます」

「そうですか。どうして、それにこだわり続けるんでしょうかね」

「さ、さあ。でも母は過去に色々あったみたいなので、無意味な行動ではないと思いますけどね」

 母についての詳しい事は、私も姉も知らない。昔父からちょろっと聞いた程度である。

「そうなんですか……」

「あ、もうそろそろHRですね。では、失礼しました」

「あら、早いものですね。木嶋さん、私は貴方のお母様関連の相談にはのれませんが──恋愛の話ならいくらでも聞いて差し上げますよ!」

「き、気が向いたら話しますね」

 そんな日が来るかは定かではないが、な。


 HRを終え、職員室へ戻ろうとする林田先生に私は急いで声を掛けた。

「どうした、木嶋。もう赤江や日暮に困る事なんて無いだろう?」

「えっと、その、まあ2人は全然問題無いんですけど。……今度は母でして」

「?」

 先生は不思議そうな顔をする。無理もない。この説明では。

 だからといって今この場では全てを話しづらい。ましてや少し時間が経てば授業が開始してしまう状況だ。

 しかし電話がいつ掛かるか正確な時間は分からない。

 まあ正直夕方くらいだろうと見当はついているけれど、予想を裏切ってくる可能性もないとは言えない。

「ざっくり要求だけ言わせていただくと、その……。今日母から電話が掛かってくるはずなんですね、えっと学校の方に。そ、その時に上手いこと話を合わせて、最終的に母を納得させてもらいたいんです」

「無茶ぶりがすごいな。突然過ぎないか? いくらなんでも」

「す、すみません。でも、その。先生しかいないんです。どうか、たっ頼まれてくれませんか?」

 頭を下げて、精一杯の懇願をする。これが失敗したら、人生が……!

 林田先生は時計に一瞥をくれると、数十秒ほど悩んだ様子を見せた。するとおもむろに口を開いて、自らの決断を声に出す。

「かなり高度な頼み事だが……。俺が関わってた日暮の件で迷惑掛けちまったからな。引き受けよう」

「ほ、本当ですか!?」

「ああ。担任として、必ずやお前の母さんを納得させてやる。良い報告を期待してろよ」

「は、はいっ」

 自信に満ち溢れた笑みを浮かべ、林田先生は教室から去っていった。私はその逞しい後ろ姿を眺めながら胸を撫で下ろす。

「木嶋さんどうしたの? 朝から先生に頭下げて」

「あ、戸山君。まあその……事情があって、ね」

「でもHRの前よりも顔色良くなってるから、マイナスな事ではなんだね。ならいいや」

 彼は以前よりも押しが弱くなったように感じる。なんというか、引くべき時を理解できるようになってきたという印象を受ける。

 初めの方はこちらが困るくらいにグイグイ来ていたけれど、最近はそうでもない。

 戸山君は私との接し方を学んだ、という訳か。私としては非常に嬉しい成長であるな。


 ──対する私は、どうだろう?


「それより、もう授業だから席ついた方がいいんじゃない?」

「あっ、そうだね」

 いつになっても一定の距離をとろうとしているのではないか?

 余所余所しさが抜け切れていないのではないか?

 あっちは私に合った対応を掴んだのに、私は違う? 変えようとしていない?

 彼の優しさに甘えて、「変えるべきだ」という気持ちを見失っていたのだろうか?

 戸山君とて人間だ。いつかは恋人としてもっと事をしたいと望んでくるかもしれない。以前デート(?)へのお誘いがあったが、あれとは比にならないくらいに本気で来る可能性はある。

 そんな時、私が今の距離感のままではいけないのだ。だってまだ、私にとっての彼は『友人』の域を飛び越えられていない。

 戸山君からしたら、私達はもう少し親密であるはず。2人の認識の違いのせいで、彼の心の中での関係を妄想にしたくない。そんなの可哀想だ。

(でも、でも今は、まだ……)

 逃げるための丁度いい口実みたいに見えてしまうかもしれないが、問題が山積み。

「起立、気を付け、礼」

 それらを片付けてからでないと、私の気が済まないのだ。

「着席」

(でも相手への気持ちとか態度って、向き合おうと意識して変わるものなのかな?)

 なんて考えた所で、今の私には無用な疑問だ。


     △ △ △


 窓の外には熱心に部活動に取り組む生徒達の姿がある。

 木や女子の髪が波を打つように揺れている。今日は風が強いみたいだ。もう少しで冬になるし、外は相当寒いだろうな。

(あの中を歩いて帰らなきゃいけないのか……)

 身を縮めながら歩を進めていくと、校舎に向かって一直線に歩く女性の姿が目に入った。

 女の先生でもなさそうだ。見知らぬ顔……じゃない。え? いや、まさか。

 見慣れすぎた、あの顔は──

 母だ。スーツ姿で、仕事をバリバリこなせそうな雰囲気を醸し出している。

 それにしても、何故だ? もしかして電話ではなく、直談判という手段に変更したのか? 

 林田先生から連絡が来たという報告も無かったし、そう考えるのが自然か。

 これはまずい。戸山君や杏奈、蘭に「母に話し掛けるな」とでも言っておくべきだった。

 さすがに帰宅部の杏奈・蘭はもう校舎内に残っていないだろうが、戸山君が危険だ。

(でも近付かなければ気が付かないよね、親子だって)

 自分と母はあまり似ていないためこれは確実だ。

 とりあえず、今は母と話をした方がいいかな。


「突然学校来てどうしたの、お母さん」

「あら夕梨。風が強い中来てあげたわよ〜」

「……質問は無視なんだね」

「なに、言わなくたって分かるでしょ? 昨日の夜喋ってたことよ」

「そ、そうだね」

 しつこく質問してしまうと怪しまれるだろう。堪えなくては。

 どうしても家のテンションではなく学校のテンションで会話したくなってしまうが、グッと押えて。

「まあ電話って言ったけど、大事な娘のことだし直接話すべきと思って。頼み込んで早く上がらせてもらったのよ」

「そ、そんなんだ。私のために、ごめんなさい」

「いいのよ。悪いのは全て、アンタに近付く汚いハイエナなんだから」

「う、うん……」

 まるで戸山君が「汚いハイエナ」と言われているみたいで、ちょっと心がズキリとした。さすがの私も、そこまで思った事はない。

「じゃあ職員室まで案内して頂戴。なんなら校長室でも良いわよ」

「校長先生と関わりなんて一切ないから、校長室は別にいいんじゃない?」

「そうね。まあ他の教師もアテにならないかもしれないけど……、訴える事くらいはしないとよね」

「……」

 そういえば、先生とも関わるのは最小限にしなければならないと言われていたんだった。

 林田先生の話し方によっては、妙に親しく感じ取られてしまうかもしれない。だがもう彼に情報を伝えるのは不可能。信じるしかない。

「ここだよ」

「そう、ありがと。じゃあ夕梨はこの辺で待ってなさい。長くなるかもしれないけど」

「分かった」

(林田先生、頑張って下さい……!)

 彼によって、私の人生は大きく変わってしまうのだ。

 信じることしかできないなんて、もどかしくて仕方ない。

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