ファイティング・ガールズ・コレクション

最後尾のタグボートの炎に照らし出された運河の対岸を見ると、シルエットが浮かび上がっていた。肩に美術大学の学生が持つ絵を入れる筒のようなものを担いでいる形の影だった。けれどもその人影の方は芸術性のカケラもないぐらいに大きくて粗野だった。


「ハンディ・バズーカだ! 伏せろ!」


チョッサーの怒号と同時に全員デッキの上に腹ばいになると、シュパッ、という軽音としばらく間が空いて、


ドゴ!


という音が炎の上がるボートで再び沸き起こり、更に炎が強くなった。


「実弾じゃない!揮発油を入れた焼夷弾だ!」


船体そのものへのダメージはないようだが、炎の中クルーたちは、ジャボジャボジャボと3人とも運河に飛び込んだ。


そして、炎の灯りに目が慣れると、ハンディ・バズーカを持つ男の正体が認識できた。


「梶田あっ!」


にっちが怒鳴った。

東北の御坊の屋敷で御前試合をし、にっちが鼻を潰して半殺しにした梶田だった。彼もまたノーズガードをしている。


「ペアルックだな!」


声は届かないが、唇の動きで意味が分かった。そのまま梶田はバズーカをにっちに照準する。


「走れっ!」


課長が怒鳴った。

先頭のボートの全員で船尾へダッシュする。シュパッ、と焼夷弾が発射される音を右耳で聴く。


2隻目のボートのクルーは優秀だった。

見事な判断力と度胸満点の操船でボートの船尾ギリギリに舳先を近づける。


僕らは躊躇するまもなく船と船の間の空間を跳んだ。


ボウワッ!


先頭のボートも炎に包まれた。


「BBQの続きだね」


せっちが軽口を叩く。確かに大物に違いない。


「燻り出して船ごとカネを奪う気か」

「でも、梶田1人ですよ!?」


そうなのだ。僕が課長に答えた通り、河岸にいるのは梶田だけ。慣性で前進しているだけのボートと平行して梶田はゆっくりと堤防を歩き、ついてくる。

にっちが再び怒鳴った。


「素手だけで生きてきたんじゃなかったのかあっ!?」


にっちと梶田。戦士2人のコール・&レスポンスが始まった。


「俺はあの時、鏡との心理戦に負けたのだ。お前に負けた訳じゃない!」

「臆病なのはいいことよ!けれどもお前は保身で手がすくんだ!戦う人間として致命的な欠陥品だっ!」

「黙れっ! もう一度やれば絶対に負けない!」

「なら、拳で戦えっ!」

「おうよ! 言われるまでもない!」


梶田はハンディ・バズーカを静かに草むらに落とした。そのまま水辺まで駆け、ザバッ、と運河に飛び込んだ。見事なフォームで泳ぎ、ボートに近づいてくる。


「課長・・・」


鏡さんがクラッカー爆弾を構える。

そっと手で遮る課長。


「私が全責任を負う」


悪臭を放つ水でずぶ濡れの梶田がもやいを伝ってデッキに這い上がってくるのを待った。にっちが問いかける。


「1人か?」

「おう! 一番機動的なのは俺の単独行動だ。ついでに破壊力もな!」

「どうして御坊はお前をそこまで・・・」

「俺は御坊の最高傑作だ。自負もある。だからこそ、敗北という記録を上書きせずに残しておくことは許されんんのだ」

「ふ。カネが目的の反社のくせに」

「侮辱するなよ。俺の目的はあくまでも戦闘だ。御坊は俺にこう言った。『にっちを倒せ。カネは二の次でいい』と」


憐れな・・・あの御坊はそんなタマじゃないさ。『カネを手に入れる』という結果を見越してのプロセス評価で本音をカモフラしてるだけさ。


「課長。俺が勝ったら2千億を渡せ」

「私としてはお前をこのまま全員で再起不能にする方がよほど合理的なんだが。私らに何のメリットが?」

「ふふふ。にっちの人生のためさ」


なるほど・・・

にっちはおそらく、『あいつら』を殲滅することが地獄のようなこれまでの人生を帳消しにする唯一の方法なんだろう。だからメッサ先生からBeat itぶちのめせ!を習った。

そして、今にっちにとって、梶田も『あいつら』に含まれる存在なんだ。


「わかった。にっち、勝てるかい?」

「勝ちます」


誰も異論を挟まない。少なく見積もってもにっちの人生は2千億をはるかに超える価値があるんだって、モニタリング課の全員とチョッサーたちも分かりあっているんだ。


「さあ来い」


徹底して戦士としての言葉遣いをするにっち。

僕はそんな彼女を眩しく見つめた。


梶田がフットワークでリズムを刻み始めた。大きくは動かないけれども、重量級手前ながら彼の肉体に微塵も余分な成分が含まれていないことが、皮膚の揺れなさ具合で分かった。見事な躯体だ。


にっちは体の正面を向けたまま胸の下あたりで軽く拳を握っただけのスタイル。フットワークもなしだ。


「これが、本来の俺なんだ」


東洋チャンプの栄光。

ただただストイックに鍛錬を続けていたであろう彼の青年期が想像できる。


「シュッ!」


ぶわっ、というジャブの唸る音がした。にっちは首を横に動かして皮一枚でかわす。


「シ・シュシュッ!」


ステップインしながら梶田は連動するパンチを残像に残らないぐらいの間隔で放った。多分課長や鏡さんには見えているんだろう。それでも課長の表情が今まで以上に険しい。


「にっち・・・」


僕は愚かしくも声を出してにっちを応援したい気持ちになった。

けれどもそんなことをしたらそれこそにっちの精神を弛緩させてしまう。それがにっちの死に繋がる恐怖すら覚える。


にっちのつぶやきが聞こえた気がした。


『キヨロウさん。大丈夫です』


「とうっ!」


梶田が一気に跳んだ。にっちの鼻を拳が狙う。


「ショウっ!」


にっちの動きは最小だった。


上から覆いかぶさるように右ストレートを打ってきた梶田に向かってまったくのノーモーションでジャンプし、自分の顔の前に右拳を固定したまま、パンチというよりは梶田よりも遥かに軽量な体躯をそのスピードと表面積の小さな、いわば鋭利な鉱石のような拳で、ノーズガードごと梶田の鼻を撃ち抜いた。


「ぐ・・・っ!」


立膝をついた梶田は二度までもにっちに潰された鼻から血をボトボトと垂れ流した。


「梶田っ、お前の負けだ!」


課長が叱りつけるように梶田に怒鳴り、800℃の熱戦を放つレーザー・ポインタを梶田の顔面に向ける。


「これでも負けを認めないなら、私がお前を屠る」


梶田はそのまま両手・両膝をデッキについて、号泣した。


「うおっ!」


と叫んで立ち上がり、デッキのエッジまで走る。

運河に飛び込んで、炎がくすぶるだけとなった河面の闇の中に消えた。


「キヨロウさん」


にっちが精魂尽き果てた表情で僕に歩み寄ってきた。


「褒めてください」


いじらしくも僕を見上げてそう言った。彼女から言われるがままに僕はにっちの頭髪をぽんぽんと何度も撫でてあげた。

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