香り立つ10代

にっちは高瀬社長を見据えてまっすぐに立っている。


やるべきこと。


にっちの言うそれが僕には分かる。


それはごく当たり前のこと。


母親が赤ちゃんにミルクを上げる。

お年寄りをいたわる。

借りたお金を返す。

働いて生活の糧を得る。

敬意を持って人と接する。

墓参を怠らない。

五穀豊穣に感謝する。

玄関を掃き清める。

挨拶をする。

商人は正直にあきないし適正利益を追求する。

歌手は魂で歌う。

画家は人生をキャンパスに描く。

政治家は国民の幸せを願う。

小説家は筆を染め不遇な人々を照らす。


「卑怯者です」


にっちは繰り返した。

高瀬社長は短く聞き返す。


「わたしが?」

「いいえ。わたしたちみんな」


にっちが歩みを進め、高瀬社長の真正面に立った。

足を肩幅に広げ、骨盤を前に倒し、背骨を疾駆するネコ科の猛獣のように反らせる。

あるいはアフリカの女子長距離走者のようにお尻をきゅん、と引き上げる。


二本の脚の骨格を自然な形で伸ばすにっち。

低身長だけれどもバランスの取れた身体のパーツの配置が、身長以上に長身で痩身に彼女を映えさせる。


ゲスト用のモニターを見ると、カメラがにっちの後ろ姿をパンしていた。


股間とつま先の隙間がちょうど拳二握りの距離で、彼女のハムストリングスからふくらはぎ、足首に至る美しいやや湾曲した線が、全国に映し出されていた。


にっちは、ひとりで立っている。

誰にも依存せずに、たったひとりで。


「高瀬社長。さっきキヨロウさんがせっちのお兄さんにしたことは、キヨロウさんの『やりたいこと』ではありません」

「そうかな」

「キヨロウさんは『やるべきこと』をやりました。誰もが敬遠し・忌み嫌い・自分の手を汚さずに済ませていたこと・・・それを、キヨロウさんはやってくれた。せっちとわたしのために」

「君はキヨロウが好きなのか?」

「はい、好きです」


にっちはまだ、言葉を繋いだ。


「愛しています」


久木田社長がつぶやいた。


「いじらしい・・・」


くっくっくっ、と高瀬社長は漏れるような声で笑った。


「ならば私と戦ってみるかい? 美少女ファイター」

「その言葉を待っていました」

「やめろ、にっち!」


課長が割って入ろうとしたのを、僕が遮った。


「キヨロウ! にっちが死んでもいいのか!?」


おそらくテレビでこの光景を見ている多くの視聴者・・・僕らの潜在的なお客さんたちは困惑しているだろう。


『死ぬ? 馬鹿げてる』


途中からチャンネルをこの局に変えた人はシュールなカルト映画でも朝から放送しているのだろうかと不思議に思うだろう。


けれども、これは事実だ。


「カメラ止めて!」


優秀な女性プロデューサーは危機察知能力も一流だ。自分たちの責任回避を無意識にやってのける才能だ。


カメラが別画面に切り替わったのを確認し、高瀬社長の右手が消えた。

ように見えた。


にっちが棒立ちのまま、鼻から血を流した。

そのまま膝から崩れ落ちる。


「にっち!」


彼女を止めなかった僕ができることは彼女の顔がこれ以上形を崩さないよう、包み込んであげること。


硬く冷たいスタジオの床への直撃の寸前、両腕でにっちの肩から顔を掬い上げた。


「ナイスキャッチ」


高瀬社長はそう言うと、くるん、と向きを変える。


「卑怯だ」

「どうして? 私はやるべきことをやったまでだ」

「女の子を半殺しにするのが男のやるべきことなのか」

「彼女は女の子じゃない。ファイターさ。かわいい顔して凶器なのさ。さっきキヨロウだって言っただろう?」


ぱかっ、と口を大きく開き、歯を見せて笑った。


「正当防衛だよ」


・・・・・・・・・・・


まるで前衛演劇のようなブツ切りの生放送が終わったあと、世間はすぐに反応した。


コヨテとステイショナリー・ファイターの株が暴落した。


東北の御坊から課長に電話が入る。


「課長! 下げ止まらん! 悪いが株は売る!」

「売ったら殺す、と申し上げたでしょう」

「殺されてもやむを得ん。今損切りしなかったらファミリーは総崩れだ。ファミリーのためにワシ一人で死ぬ!」


課長がぶつっ、とスマホを切った瞬間、関西の大師から続けて電話が入った。


「課長。悪いわね。売るわよ。電波が届いたの、今ならまだ間に合うって。電波は絶対よ」


久木田社長が絞り出すようにつぶやく。


「コヨテは無借金経営だ。しかも天文学的な現預金額だけで数年の資金繰りが可能な異次元財務体質だ。株の暴落も、ステイショナリーファイターをTOBで手中にしてしまえば一気に収束する。それどころか、業界の絶対覇者として株価は釣り上がるだろう」


にっちを搬送した救急外来の処置室の前で久木田社長と残りのモニタリング課員は味も香りもしないベンダーの紙コップコーヒーを飲んでいた。

僕らでにっちをケアしますと言ったけれども、久木田社長はどうしても彼女の無事を確認するまでは場を離れないと強く主張した。


「ご親族の方は?」


うなずき合って僕とせっちが前に進み出る。処置室から出てきた医師が対応を説明した。


「鼻骨が完全に折れていました。潰れていたという方が正確でしょう。後もう少し衝撃が強かったら命に関わったかもしれません」


高瀬社長がということなのか。


「会える?」


せっちが祈るジェスチャーのように手のひらを組んで医師に懇願した。


「今はまだ。ICUを外から見ることはできます」


僕らはまるで新生児室のようなガラス張りの集中治療室の機械じみたベッドを覗き込んだ。

いくつも並ぶベッドの端ににっちが目を閉じて寝ていた。

顔の目から下に包帯が巻かれ、呼吸用なのか、管が包帯の下に差し込まれている。

テレビ局では高身長に見えたにっちは、ベッドの長さの半分ぐらいしかないほど小さかった。


LEDの反射に邪魔されないように僕は、とっ、とガラスに額をつけてみた。


麻酔で眠るにっちの寝息を彼女の胸の膨らみの上下で感じ取る。


「おか・・・あさん・・・」


そう言ってせっちが僕の手を力任せに握ってきた。


手を握ったまませっちをきゅっ、と抱きしめてみる。


にっちも小さいけれど、せっちも小さかった。

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