野良犬のようなわたしたち

アーバンリバーサイドの朝食バイキングは格式の高さと美味しさとそして楽しさとがすべて揃った夢のようなひとときだった。


「お嬢様、次はいかがなさいますか?」

「えーと。オールで!」

「かしこまりました!」


ビュッフェの中央にあるグリルで純白に洗濯され糊付けされたコック帽を被ったシェフが焼くのはオムレツ。


ハム、ソーセージ、チーズ、トマト・・・お好みの具材を告げて焼いてもらうのだけれども全部入れは『オール』。


せっちはオールの3枚目。シェフはオムレツを焼く『チ・チ・チ・チ、ジャッ!』という音だけでこの幸薄い少女の満面の笑みを引き出している。


プロとは、こうだ。


シェフと同様、僕とにっちも文具のプロだ。

それを戦士のレベルにまで高めるんだという創業社長の熱い思いから我が社は『ステイショナリー・ファイター』という決意表明のような社名としている。


「にっち! ほら、オムレツオムレツ!」

「うん。今いく」


夜を挟んだたった半日でにっちとせっちは姉妹のような間柄になっている。昨日万引きで捕まり、実兄からの虐待に恐怖していたせっちがこんなにも天真爛漫な笑顔の持ち主だとは思ってもみなかった。

そして、僕がさらに意外だったのは、にっちは実はこんなにも静かに笑う女の子だった、という事実だ。


「ねえ、にっち、キヨロウ。2人とも文具メーカーの社員なんだよね? なんで昨日はわたしが万引きした所に来てたの? 苦情処理係?」


僕が口をもごっ、とするとにっちが簡潔に答えた。


「せっち。社会には割り切れないことがたくさんあるのよ」

「ふーん・・・」


にっちの言葉を受け流して昨日習ったフォークとナイフの握り方でオムレツを食べ続けるせっち。


「子供だな」

「子供じゃない」


僕の言葉を即否定で返すせっち。

前髪を、す、とかきあげた。おでこにミミズ腫れのような線が通っている。


「この傷は兄貴にカミソリで切られた」


それから今度は座ったままスカートを少したくして内腿うちももを見せる。


「これは何度もベルトで打たれた。ねえ、キヨロウ。これでも子供?」


僕は目に手の甲を当て、黙ったままでせっちに向かい頭を下げた。


「キヨロウさん。児童相談所に行くとおっしゃってましたね」

「う、うん。にっち、なに?」

「ダメです」

「え」

「せっちが家族から完全に逃げ切れるのなら児童相談所でも警察でもなんでもいいと思います。でも、あのお兄さん。言葉を選ばずに言わせてもらえば」


せっちと僕はにっちの目をじっと見つめる。出てきた言葉は・・・


「イカレてます」


発してからすうっとせっちに頭を下げるにっち。


「ごめんね」

「ううん。いいよにっち。だってホントのことだもん」

「キヨロウさん。中途半端に第三者を頼るとすべて手続きを通さないと動きが取れなくなってしまいます。目的本位で行きませんか」

「目的本位?」

「はい。最優先はせっちを虐待から守ることです。それと、予防を」

「何の」

「今は体の表面の傷ですけど、その内に、その・・・体の中を傷つけられてしまいます」

「・・・・・」

「?」


『体の中の傷』で理解できる僕は十分にいやらしい大人だ。理解できていないような表情のせっちはその部分では子供だ。


「わかったよ、にっち。で、どうする? まさかせっちをこのまま誘拐するわけにもいかないだろう?」

「せっちのご両親から同意をもらいます」

「同意って・・・するかな?」

「せっち。あなたのご両親のお給料ってどれくらい?」

「お父さんが5万円。お母さんが10万円」

「なんでそんなこと知ってんだよ!?」

「ん? 2人で『お前の稼ぎが悪いせいだ!』って罵り合ってたから」


とことん、なんて親だ・・・


「せっちには辛いかもしれませんけど、せっちの食費とか学校の費用とかがかからなくなると、ご両親は経済面では助かると思います」

「わたしもそう思う。お父さんもお母さんも趣味とか友達とか多いし、しょっちゅう仕事休んでるし」

「そうか・・・でも、ちょっと待って。せっちの逃げ場所はどこなんだい?」


話の流れから分かってはいたけれども、にっちががたっ、と席を立って僕に深々と頭を下げた。


「キヨロウさんわたしは未成年です。せっちをどこかで暮らさせるだけの法的立場もないですし甲斐性もないです。お金は出します。せっちをキヨロウさんの家に住まわせてあげてください」

「え、ちょっとちょっと。そりゃあ、無理だよ」

「ダメですか」

「わたしもやだよ、キヨロウと二人暮らしなんて!」


暗に『キモいおっさんとはやだ』って言われてるようでムッとしたけれども、まあ、そりゃそうだろう。

お? にっちが考え込んでる。


「3人で暮らしませんか」


あ! という反応のせっちと、あ? という反応の僕。


「いい! それいいよ! わたしもにっちと暮らしたい!」

「ダメダメダメ! 一応僕だって独身の男だよ?んで、にっちは立派な大人の女性だ。 もし『そういうこと』でも起こったら・・・」

「ならキヨロウさん。帰宅時も家の中でも常にわたしとせっちが一緒にいるような状態ならばどうですか」

「え? うーん・・・・いややっぱりダメだよ。にっちのご両親が許さないだろう」

「キヨロウさん。わたしも『逃げたい』んです」


あ・・・・・

うーん・・・・・


「分かった。でも、物理的にうちのアパートじゃすぐには無理だ。ちょっと考えがあるからしばらくは2人でホテルで寝泊まりしてくれないか」

「わ! ここにずっと!?」

「せっち。世の中そんなファンタジーじゃない。もっと安いホテルに移るんだ」

「はーい」


せっちが申し訳なさの微塵も見せないことがかえって僕の心を軽くする。


「にっち。悪いけどせっちの面倒頼むよ。仕事しながらで大変だとは思うけど」


にっちが静かな笑いからせっちのような子供のような笑顔に変わる。


「キヨロウさん、やっぱりステキです」


さて。

どの不動産屋さんに行くかな。



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