ターミナル エヴォルーション

九尾希理子

転移

第1話 転移-01

電子スコープの視界が、突然、青一色になった。


こんな時に故障か?

俺は慌てず訓練通りにアイアンサイトへと利き目を移した。


「は?」


そこにあったのは紛れもなく青空だった。

そして感じる浮遊感・・・

一瞬、思考がフリーズしたが、すぐに状況確認をするべきだ。


下を向くと、地面まで相当な距離があった。

素早くHUDの表示を見ると約300mと表示されている。


「緊急降下モード!」


俺は大声で叫んだ。

同時に脚部スラスターが起動し、最大出力で噴射を続ける。

ただ、残念な事にこのスラスターは不整地を僅かに浮上しながら走行する為の物であって、空を飛ぶことは出来ない。

つまり、多少の減速効果しか無いという事だ。


地表寸前で装備を放り出し背部ユニットをパージした後、訓練で染み付いた五点接地転回法によって無事に着地した。

無事とは言っても激痛で身動きが取れないが。


暫くしてなんとか声が出せるようになった。


「キット、無事か?」

「ご心配をおかけして申し訳ありません。簡易診断プログラムでは異常は検出されていません。現在、詳細診断プログラムが進行中ですが、今のところは異常ありません。」


------------------------------


周囲には俺以外の人影は無いが、別に頭がおかしくなった訳ではない。

話しかけた相手は、戦術端末に搭載された人工知能の”キット”だ。

たいていの兵士は自分の戦術端末にマスター登録する時にデフォルト名のままキットと名付けており、俺も特に考える事も無く同じように命名した者の一人だ。

ちなみに、デフォルト名である”キット”の由来はこの戦術端末用OSのカーネルの名称であり、決して某財団が生み出した車載人工知能ではない。


そのカーネルの正式名称はKernel for Intelligent Tactical Terminalであり、その名の通り元々は歩兵の戦術端末用に開発されたカーネルだ。

しかし、このカーネルは汎用性と拡張性に優れており、対応するウェポンドライバーを用意すれば、どんなコンピューター制御の兵器でも制御可能であった事から、歩兵用だけでなく陸海空の様々な兵器に搭載される事になった。

その結果、現代戦では必須となっている各種装備の統合運用を、このカーネルを利用したK.I.T.T.兵器システムが担う事となったのだ。

なお、同盟各国の兵器産業も高騰する兵器開発費を削減する為にこのカーネルを採用し、デファクトスタンダードとなっている。


そして、K.I.T.T.兵器システムを搭載した歩兵用戦術端末には、カーネルとユーザーを結び付けるシェルとして人工知能シェルが標準搭載されている。

この人工知能シェルが自然言語入出力アプリケーションを介してユーザーである兵士とやり取りをするので、先程のような会話が可能なのだ。

もちろん、対応アプリケーションがインストールされていれば他国の端末であっても会話可能であり、されていなくても自分の戦術端末が他の端末と通信して翻訳可能だ。

なお、俺の戦術端末は処理速度、精度や記憶容量などを大幅に強化した上に、疑似人格シェルを搭載した魔改造仕様だ。


------------------------------


「そうか、良かった。詳細診断が終わったら統合索敵センサーをパッシブモードで起動してくれ。同時に装備と俺の方の診断も頼む。」

「了解しました。あと30秒ほどお待ちください。」


今のところできる事は無いので、仰向けになったまま辺りを観察してみた。

上空は雲一つない青空が広がっており、HUDに表示されている気温は低く乾燥している。

周囲には遮蔽物が一切ない平原になっており、地面は不透明なガラス状の物質だ。

このガラスの層の正確な厚みは不明だが、落下した際に出来た亀裂の先もガラス状となっている事から、少なくとも数メートル以上の厚みはありそうだ。


「詳細診断プログラムが終了しました。異常は有りませんでした。引き続き命令を実行します。結果はHUDに転送しますか?」

「あぁ、頼む。」


HUDに次々と情報が表示されていく。


バイタルセンサーの結果を見る限りでは、骨折や内臓へのダメージは無いようなので、痛みを無視して動いても良さそうだ。

とっさに五点接地転回法を使ったとは言え、打ち身だけで済んだのはキットがパワーアシスト機構を精密駆動してくれたおかげだろう。

キットは基本的には俺の命令に従うが、さっきのように明らかに命令を下す余裕がない状況では自律的に判断して最適と判断した行動を取ってくれる。

意図した事とは違う行動を取る可能性はゼロでは無いが、総合的に見れば最も妥当な判断を下すように設計されている。

それに、歩兵用戦術端末は基本的に同じものを使い続ける事になっており、端末マスターの思考パターンや行動パターンはもちろん細かい言い回しによるニュアンスの違いまで学習していくので、長く使えば使う程、正確にマスターの意図を読み取れるようになるのだ。


装備品に関しても故障と診断されたものは無かった。

着地の衝撃で脚部パワーアシストのアライメントがずれていたが、調整可能な範囲だったので視線入力で調整を承認しておいた。

この視線入力は画像認識アプリケーションによるものだ。

当然、表情を読み取る事もできるし、外部カメラからの画像を読み取りジェスチャーやハンドサインによる指示も理解できるようになっている。

診断結果は正常だったが、もちろん、全てにセンサーが取り付けられている訳ではないので、一通りチェックをしなければならない。

身体はまだ痛むが装備を回収する為に匍匐前進をしていると、統合索敵センサーの分析結果がHUDに表示され始めた。


------------------------------


画像センサーの分析結果は、”反応無し”だ。

少なくとも高分解能カメラの画素以上の動きは何も無く、人工的な動きはもちろん風に吹かれる草すら見当たらないという事だ。


赤外線センサーの分析結果も、”反応無し”だ。

念のためにネズミ程度の大きさまで検出できるようにしておいたのだが、小動物すらいないらしい。

もっとも、小さな虫までは感知できないので、さすがに全く生物が居ないという事は無いだろう。


電波センサーの分析結果も、”反応無し”だ。

どこか遠くで発生した雷らしきノイズは拾っていたが、軍用はもちろんテレビ・短波も含んだラジオ・携帯電話・GPS・無線LAN・アマチュア無線・ラジコン・電子レンジのマイクロ波などあらゆる電波が検出されなかった。

惑星全域規模でのEMP(高高度核爆発)攻撃が行われた可能性は否定できないが、そういう状況であれば無線の知識がある者が原始的なアナログ通信機をすぐに組み立てて何らかの信号を発信している筈だ。


振動センサーの結果も、”反応無し”だ。

火山活動や地震、川の流れなどの自然由来の振動らしきものしか拾えない。

電車やトラック、工場などの人工物的な振動が検出できないのだ。


放射線センサーは僅かに反応があった。

ただし、核攻撃や原発事故のレベルではない。

現在居る筈の地点での平均値から有意な差がみられる程度だ。


大気組成センサーもわずかに異常を示している。

毒ガス成分が検出された訳ではなく、二酸化炭素、窒素酸化物と硫黄酸化物の濃度がわずかに高い程度だ。


------------------------------


とりあえず付近に敵性勢力は居ないようだが、状況が不明すぎて身動きが取れないので、リスクはあるがドローンで偵察を行う事にする。

個人携行用ドローンとして戦闘攻撃機的な”空狼”と哨戒機的な”蒼雷”が採用されているのだが、今回の任務ではいつも通り蒼雷の方を持ってきている。

もちろん中身は魔改造仕様だ。

サイズは縦横30cm、厚さ20cm程の扁球形状で、灰色に塗装されている。

その小ささと形状、それにステルス塗料のおかげでレーダーで捕捉する事は非常に困難であり、ある程度の高度で滞空させれば目視で捉える事も非常に困難だ。

取り込んだ大気をプラズマ化して推進剤とする電磁推進方式を採用し、上下面にそれぞれ4つずつスラスターが搭載されているので全方向に進むことが可能となっている。

また、形状から分かるように、翼の揚力を利用せずにノズルの推力だけで飛行するので、上空でホバリングしながら自由に向きを変えて偵察する事が可能だ。

武装は防御用レーザーを各スラスターの間に搭載し全周囲への発射を可能としており、極超音速対空ミサイルのシーカーですら狙い撃ちする事ができる。

そんな芸当ができるくらいなので、接近してきた有人戦闘機のパイロットの頭を機銃の射程外から撃ち抜く事は簡単だ。

それだけの防御力を備えているので、低空飛行時に対空機関砲がまぐれ当たりでもしない限り、撃墜される事は無いと言っていいだろう。

なお、”空狼”も外観は殆ど同じなのだが、偵察用のセンサー類が搭載されていない代わりに主砲として対地攻撃用の対戦車レーザーが搭載されており、推力も向上されている。


------------------------------


「キット、蒼雷で偵察を行う。明らかに落下前後で時間も場所も違いすぎていて状況が分からない。曖昧だが、今がどういう状況かを知る事が最大の目的だ。通信は傍受されないようにレーザー通信を使用する事。蒼雷の上昇地点は北に4km、下降地点は西に4kmだ。もし戦闘が始まった場合は状況に応じて支援モードで帰還させろ。判断はキットに任せる。」

「了解しました。高高度気球は使用しますか?」


高高度気球は蒼雷が魔改造されて取り付けられた機能だ。

使い捨ての気球により成層圏と中間圏の境界付近である高度50km程度まで上昇する事ができる。

偵察衛星の高度200kmと比べればかなり高度は低いが、衛星と違って通り過ぎてしまう事が無く、高度が低い分だけ解像度も高くなるので個人用の情報収集手段としてはかなり優秀だ。


「予備はあるが、いつ次の補給が受けられるか分からない状況だから悩むな。使用開始前の情報に基づいて判断する事にしよう。」

「了解しました。」


背部ユニットに取り付けてあった収納ボックスから蒼雷を取り出し地面に置いた。

後はキットがリンクして勝手にセッティングしてくれるので非常に楽だ。


「セッティング完了しました。」

「よし、発進させてくれ。」

「了解しました。」


ローターの風切り音もジェットエンジンの騒音も無く、蒼雷が浮いた。

さすがに無音という訳にはいかないが、電磁推進らしく吸排気音だけなので非常に静かだ。

通常なら測位衛星の電波と地形データから上昇ポイントまでは発見されにくいルートを選んで移動するのだが、どちらも使えない状態なので蒼雷は地上すれすれを飛行している。

しばらく目視で確認していたが特に問題無いようなので、装備チェックを再開する事にした。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る