第5話 帝都にて ~英雄の企み

 ロマリオンの帝都ガレノス。戦争の膠着時代には度重なる遠征や戦費の圧迫によって民の暮らしは逼迫し、一時は反乱すら起こりそうな気配があったという。しかし『救国の英雄』シグルドが歴史の表舞台に登場してから状況は一変した。


 次々と齎される戦果、増える領地、占領地から送られてくる莫大な財宝の山は、瞬く間に帝国を潤し、このガレノスを貧困に喘ぐ寂れた都市から、まさに帝都と呼ばれるにふさわしい荘厳な都へと変貌させた。



 その帝都の中央に鎮座する皇城の謁見の間。私は皇帝グンナール以下、帝国の重臣達の前に『戦利品』として引き出され、晒し者にされていた。皆が私を珍獣か何かのように物珍し気な視線を向けてくる。


「ふーむ……。お前がかの有名な【エレシエルの至宝】カサンドラ王女か。なるほど、噂に違わぬ美しさよな。そうは思わんか?」


 皇帝が家臣達に目を向ける。家臣達は皆、追従の笑みを浮かべながら消極的な同意を示す。家臣達が積極的に同意を示さない理由は、別に私が美しくないからではなく、とある1人の人物の機嫌を窺っての事であった。



 その人物が、皇帝の横から進み出てきて私の目の前に立った。



「お前達の目は節穴ですか? お父様、冗談も程々になさって下さいませ。この卑しい女が美しいですって? ふん! どれ程のものかと思えば……何よ、私の方がお前なんかより何倍も美しいわ!」


 この女の名はクリームヒルト。このロマリオン帝国の第一皇女。私と同年代で同じく唯一の女系。私も名前を聞いた事はあったが、向こうはどうやらかなり私の事を意識していたらしい。尤も今の私にとってはどうでも良い事だが。


「何よその目は? 黙ってないで何とか言いなさいよ、この負け犬!」


 ピシャリッとクリームヒルトが私の頬を打つ。


 衝撃で私は床に倒れ込む。だがこんな痛みなど、死ねない・・・・事への苦しみに比べたら何の事は無い。


 私が路傍の石でも見るような目でクリームヒルトの事を見やると、彼女の顔が引きつる。どうやらこの高慢な女のプライドを刺激してしまったらしい。だから何だと言うのか。私には全てがどうでも良かった。


「ふん……しかも聞く所によると、下賤な下級騎士と恋仲だったとか。ほほほ、王族としての立場も弁えぬ負け犬王女とは似合いの下賤な組み合わせね。そう思うでしょう!?」


「……ッ!」


 クリームヒルトに水を向けられた家臣達が今度は追従ではなく、本心から私の事を嘲笑する。この女は今何と言ったのだ? アルバート……アルが下賤な下級騎士ですって? 私の視線の変化に気付いたクリームヒルトが、我が意を得たりとばかりに口の端を吊り上げる。


「あら? 飼い犬・・・の事を貶されて、一丁前に怒ってでもいるのかしら? どうせその下衆も身分目当てでお前に近付いただけの色事師に決まってるわ! そんな輩に言い寄られてその気になってる世間知らずの――」


「……だまれ」


「――は? 今、この私に――」


「だまれぇっ!!」

「ひっ!?」


 私は無我夢中で目の前の女に飛び掛かっていた。何も知らないこんな女などにアルを侮辱させはしない。クリームヒルトが咄嗟に護身用の短剣を抜こうとするのを手で押さえ、逆に奪い取る。俄かに大騒ぎになる謁見の間。


 シグルドの呪いはあくまでシグルド本人を害そうとした時だけ働く。ならばこいつは対象外のはずだ。こいつを殺して、その勢いのまま暴れまくってやれば周りの連中が勝手に私を殺してくれる。


 私は激情に任せて押し倒したクリームヒルトに馬乗りになり、大きく短剣を振りかぶる。クリームヒルトの目が恐怖に見開かれる。死ね。死んであの世でアルに詫びるがいい。そして皇帝の見ている前でその娘を殺してやるのは、ある意味で最高の復讐になるというものだ。私は短剣を勢いよく振り下ろ――――




『ひれ伏せ』




「――ッ!?」


 ――そうとして、その手から短剣がすっぽ抜けた。そしてそのまま床に這いつくばるような姿勢を取らされて固まってしまう。どれだけ身体を起こそうとしても、凄まじい力で押さえ付けられたかのように動かない。これは……


 私が這いつくばっている間にクリームヒルトが家臣達によって救出される。本人は青ざめた表情をしている。



「ふ……失う物のない手負いの獣を挑発するのは、それ相応の実力を身に着けてからにするのだな、クリームヒルト」



 重々しい威圧感のある声音……。


 シグルドであった。一体いつからそこに居たのか、謁見の間の入り口の扉に身をもたれ掛けさせ、腕組みをしてこちらを睥睨していた。


「お……おお、シグルドか! 良くやってくれた! 娘を助けられたのはこれで二度目だな! 全く……とんだ狂犬よな、この娘」


 皇帝がホッとしたように肩の力を抜いて、シグルドに気さくに話しかけていた。シグルドは傲然と笑っている。一応帝国の禄を食んでいる身の筈だが、どうやら単純な主君と臣下の関係という訳でもないらしい。



「お……お、おのれ……おのれぇ! この卑しい負け犬が! よくも私に恥を掻かせてくれたわね!? お、お前など今すぐ手打ちにしてくれるわ!」



 ショックから立ち直ったクリームヒルトの顔色が、一転して青から赤へ変化する。激昂したクリームヒルトは家臣の手から剣をひったくると、私の首を切断する軌道で振り下ろす。


 ああ……今度こそあの世へ行ける。アルやお父様、お母様に会いに行ける……。そう思って穏やかな気持ちとなっていた私だが、その時信じられない事が起きた。


「……!!」


 クリームヒルトの剣が私の首に触れる直前、私の身体が何か凄まじい抗いがたい力によって動かされる。そして剣を紙一重で避けて素早く立ち上がって体勢を整える。



「…………」



 一瞬の出来事であった。謁見の間が静まり返る。誰もが呆気に取られていた。刃を振ったクリームヒルトは勿論、その周囲にいた重臣や兵士達も、そして玉座から見ていた皇帝も皆一様に沈黙で固まっていた。


 何よりも私自身が驚き、状況を把握できていなかった。今のは一体……何だ? 振るわれた刃を紙一重で躱すなど、私にそんな技術はなかった。その後の体捌きもまるで熟達した剣士か何かのような動きであった。私はあんな動きが出来るような訓練を積んではいない。


「……ッ! こ、この……!」


 剣を躱されたクリームヒルトが増々激昂して再び斬りかかろうと襲ってくる。呆気に取られていた私はハッとして身を固くする。先程の流れるような体捌きが嘘のように硬直してしまう。斬られるっ! 思わず目を瞑った私だが、いつまで経っても斬撃は振ってこなかった。



「そこまでにしておけ、クリームヒルトよ」

「……!」



 あのシグルドの声が間近で聞こえて、私は恐る恐る目を開ける。クリームヒルトの腕をシグルドが掴んで凶行を引き留めていた。その間に私は兵士に取り押さえられる。


「シ、シグルド……! 何故止めるの!? まさかこの女の事を……ッ!」


 シグルドは食って掛かろうとしたクリームヒルトを抱き寄せると、片腕で抱え込むようにして激しい口づけディープキスをする。クリームヒルトの目が一瞬驚きで見開かれたかと思うと、すぐにトロンとした目つきになり全身が弛緩する。


 神話の世界から抜け出てきたような偉丈夫が美女を抱きすくめて熱烈な抱擁とともに口づけをしている……。


 それはさながら物語の一幕ででもあるかのような絵になる光景で、周りの人間達は皆呆けたように眺めていた。囃し立てたり、卑猥な思いを抱いたり、といった俗な感情を表に出す事が憚られるような、そんな不可思議な圧力がその光景にはあった。


 尤も私にとってはこの世の何よりも醜い二匹の獣が盛っているようにしか見えず、吐き気を催す光景ではあったが。やがてシグルドがゆっくりと口づけを解く。クリームヒルトは最初の激情はどこへやら、すっかり蕩け切った雌の顔になっていた。 


「俺が愛しているのはお前だけだ。解っているだろう?」

「は、はい……」


「この女には『別の趣向』を考えている。今日ここに連れてきたのはそれを提案する為だったが、お前のお陰で思わぬ理由付けが出来た」


 シグルドは皇帝の方に向き直る。


「陛下。このカサンドラ王女、最後まで抗戦した敗戦国の王族の生き残りにして、たった今この場で自らの立場も弁えずに陛下の愛娘をしいしようとした大罪人。ここは極刑以外にないと考えるが如何か?」


 水を向けられた皇帝が大きく頷く。


「うむ、大人しくしておればよい物を、よりにもよってクリームヒルトを殺そうとした事は許せん! 今すぐにで処刑するべきだな」


「であれば陛下。この者の処遇、このシグルドに一任して頂きたい」


 皇帝が怪訝そうな表情になる。


「ふむ? まあ元々お主が捕らえたのだからそれは構わんが……どうするつもりだ?」


「……フォラビア大闘技場に連れていく。この女にはそこで剣闘士となってもらう」


「……!」



 広間にいた者達が一様に騒めき始めた。皇帝も呆気に取られたような表情だ。



「け、剣闘士に……? だが女の剣闘士など聞いた事もないぞ?」


 剣闘とは奴隷制が容認されているロマリオン帝国でのみ盛んな血なまぐさい競技で、大勢の観客が見守る中奴隷同士を死ぬまで戦わせたりする悪趣味極まる内容だ。時に帝国の軍人や傭兵なども合法的に奴隷を殺せるチャンスである為、好んで参加する事があるらしい。


 また恐ろしい魔物を登場させ、奴隷を食い殺させたりする殺人ショーも定期的に行われている。


 ただいずれにしても共通しているのが、剣闘士となるのは男性のみという点だ。騎士や兵士、傭兵など戦いを生業とする職業が軒並み男の世界なので、派手な血なまぐさい戦いを要求される剣闘士もまた男の世界になるのは必然であった。


 シグルドは私をそんな世界に放り込むと言っているのだ。私は顔から血の気が引くのを自覚した。


「そこは敗戦国の王族、そして皇女の殺害を企てた大罪人として『処刑試合』という名目で特例扱いを考えている。帝国の民達は間違いなく熱狂するだろう。旧エレシエルの連中やそれ以外の小国家の民にとっても、帝国の国威高揚にうってつけかと」 


「ふーむ……それは確かにそうだが……大丈夫なのか? そんなか弱い女ではすぐに死んでしまうだろう?」


 シグルドはニヤッと笑う。


「その時はこの場で執行されるはずだった『処刑』が完遂されるだけの事。エレシエル最後の王族の死は、帝国の、そして陛下の威光を更に高める事になるだろう。生き残ればこの女の戦いや死に様を見たい客達が更に闘技場に押し寄せ、闘技場は増々繁栄する……。いずれにしてもこちらに損は無い話という訳だ」


 シグルドが未だに抱き寄せたままのクリームヒルトの顔を見る。


「お前もこの女が卑しい剣闘士に無様に殺されたとなれば溜飲が下がるだろう?」


「……! そう、ね。うふふ、確かにその通りだわ。素晴らしいわ、シグルド」 


 愛娘が賛意を示したのを見て皇帝が再び頷く。


「ふむ……史上初の女剣闘士か……。面白い。確かにどう転んでも儂らの不利益にはならなそうだな。良かろう! シグルド、その女の『処刑』、お主に一任しよう!」


 シグルドが傲然とした仕草で一礼する。私は思わぬ成り行きにただ茫然としている他なかった…………

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