第2話 絶たれた希望

 私の決意を祝福するかのように、この永遠に続くと思われた穴蔵行脚にも終わりが訪れた。



「姫! ようやく出口に着きましたぞ!」 



 内側から鎖の掛かった上蓋式の鉄の扉が天井に据え付けられていた。私はホッとしていた。特に狭い所が苦手な訳でも無かったが、それでもお世辞にも居心地が良い空間ではなかった。それに後ろからいつ帝国軍の追手が来るかも知れないという恐怖とも戦わねばならなかったのだ。


 私はやや名残惜しく感じながらもアルバートの背中から降りた。アルバートはお父様より託された鍵を錠前に差し込んで慎重に回す。するとガチッと音がして錠前が外れ、鎖が床に落ちた。


「…………」


 アルバートはほんの僅かに上蓋を上げて、外の……周囲の様子を確認する。誰も居ない事を確認すると、素早く扉を跳ね上げて地上へと這い上がった。


「さあ、姫。お早く!」


 アルバートが上から手を差し伸べてくるので、私はそれに掴まって、一気に引き上げてもらった。



 そこは王都の城壁を越えた後方に広がる森林の入り口であった。時刻はそろそろ夜になろうとしていた。上手く森林に紛れてしまえば追手にもまず見つからないだろう。勿論自分達も遭難の危険があるので、完全に日が落ちた後は動けなくなるが。


「さあ、行きましょう。日が落ちる前に、身を隠せる場所を探さなければなりません」


「ええ、そうですね」


 水と食料は携帯しているが、これが尽きる前に中立の少国家群まで逃げ延びなければならない。辛い強行軍になるだろうが、アルが居てくれればきっと乗り越えられる。



 そう決意して森林に入り込もうとした時だった。



「へへへ、兄貴。こりゃもしかしてエレシエルの王族か誰かじゃないですかね?」


「そのようだなぁ。見回りなんて下らねぇ任務だと思ったが、どうやらツキが回ってきたようだな」


「へへ、あの女、地味な服装してますが、いい女ですぜ。多分王女ですよ」



 粗野で野卑た複数の男の声。



「……!」


 思わず足を止めた私達の前方……森の木陰から3人の男が現れた。一見して堅気ではなさそうな雰囲気と、統一されていない武装。金で雇われた、いわゆる傭兵という連中だ。モラルなど無いに等しく、今回のような侵略戦ではいとも容易く性質の悪い野盗と化す。こんな連中に捕まった日には、死ぬより辛い目に遭わされるのは確実だ。


「姫、お下がり下さい」


 荷物を放ったアルバートが素早く剣を抜き放つ。それを見た傭兵達が嗤う。


「おいおい、兄貴。この優男、やる気みたいですぜ?」


「へへへ、馬鹿な奴だぜ。どうせ貴族のお坊ちゃんだろ? 俺達に勝てると――」


 アルバートの見た目に油断した傭兵達が呑気にベラベラと喋っている内に、アルバートは神速の踏み込みで一瞬にして彼等を剣の間合いに収めていた。


「お――」

「ふっ!!」


 兄貴分と思しき大柄の男が慌てて得物を抜いて後ろに下がろうとした時には、既にアルバートの薙ぎ払いが男の首を飛ばしていた。


「兄貴ぃ!?」「て、てめぇ!」


 子分達が動揺しながらも剣を繰り出してくる。しかしアルバートは容易くそれらを掻い潜ると、子分の1人を袈裟斬りにした。噴き出る血潮。物も言わずに倒れ伏す傭兵。


「ひぃっ!?」


 実力の違いを感じ取ったらしい残った傭兵は、剣を捨てると降参のポーズを取ってきた。


「ちょ、ちょっと待て! この事は誰にも言わねぇ! 頼む! 助け――」


 勿論信用など出来るはずがない。言い終わる前にアルバートの剣が男の首を刎ねていた。



 時間にすれば僅か10秒程度の「戦い」。仮にも戦闘を生業とする傭兵3人を相手に、文字通りの瞬殺であった。


「ふぅ……姫、お見苦しい物をお見せして申し訳ありませんでした。ご気分は悪くありませんか?」


 剣の血糊を拭いながらアルバートが駆け寄ってくる。戦いに慣れていない貴婦人の目には恐ろしく映ったかも知れないが、私はむしろとても頼もしく思って彼を労った。


「いえ、大丈夫です。相変わらずの剣の冴えで、とても頼もしく思いますよ、アル」


「姫……恐縮に御座います。さあ、早くここを離れましょう。この連中は見回りだと言っていました。戻ってこない事を不審がられると面倒です」


「そうですね。急ぎましょう」


 私は頷いて、今度こそ森へと分け入ろうとした。だが……





「クックックックッ……」





 ――不気味な笑い声が耳に入ってきた。



「……ッ!?」


 私とアルバートは揃って身を強張らせる。今の笑い声は……後ろから聞こえてきた。つまり王都や王城のある方角だ。


「…………」


 私達はゆっくりと振り返った。そして目をみはった。




 ――そこに1人の男が佇んでいた。




 一体いつそこに現れたのか。私達が通路から外に出た時は確かに周囲には誰も居なかった。私は勿論アルバートですら、その接近に気付かなかったなど尋常ではない。


 だが私達が目を瞠った理由はそれだけではなかった。私はその男の魁偉な容貌に目を奪われていたのだ。



 身の丈は2メートルはあるだろう、見るからに頑強そうな肉体。極限まで鍛え抜かれ引き絞られた筋肉。短く刈り込まれた銀髪に同色の太い眉。その瞳は血のような不気味な真紅色をしていた。そして額から頬に掛けて走る大きな傷跡……。


 見る者、相対する者を威圧する圧倒的な存在感がそこにはあった。それ程戦闘に長けているとは言えない私の目からも、その男が明らかに只者ではない事が解った。アルバートなどは額から冷や汗を流していた。



 アルバートが信じられない物を見るかのような目で口を開く。



「ば……馬鹿な。何故、お前がこんな所に…………シグルド・フォーゲル!」


「…………え?」



 私は耳を疑う。シグルド・フォーゲル? 【邪龍殺し】のシグルド。そして私の両親や兄達を殺し、今また私の国を滅ぼした張本人……。この男が……!

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