エピローグ

第59話 火の国の銀の君

「最っ低だわ」

「聞き捨てならないことを言うね、アンジェラ。うちの商会で用意した一級品なんだから、最低な訳無いだろ」

「オルフェの言うとおりだぜぃ? いいじゃあねぇかい。華があるドレスだわな。あの夜会の時よりずっとよぅ。騎士サマの体にぴったりあってるしよ」

「黙ってゲイリー! だから最低なのよ! なんで、あいつがフェンにぴったりのドレスを贈れるわけ!? 採寸もしてないのに!」

「……あの……」


 アンジェラ、オルフェ、ゲイリー。その三者三様の視線と言葉に、椅子に座ったままフェンはおずおずと声を上げた。


 王城の一室には、春の陽気を少しだけ感じる穏やかな日差しが差し込んでいる。

 その中で、穏やかならざる様子で真っ先に振り返ったのは、常の簡素な薬師の服をまとったアンジェラだ。

 彼女は何故か毅然とした顔で、フェンに一つ頷く。


「そのドレスを脱ぎなさい。フェン」

「……や、やっぱりアンジェラも、そう思う?」

「思う。すっごく思う」

「そ、そうだよな……こんな高級なドレス、私に似合うわけがない、よな……」

「いや、似合ってはいるのよ! むしろ似合いまくって腹立たしいのよ!」


 アンジェラが何故か地団駄を踏んだ。彼女の隣にいたゲイリーとオルフェが憐れむような視線をアンジェラに向けている。

 フェンは目を瞬かせた。改めて自分の纏う服を見つめてみる。


 シンプルな蒼のドレスだった。いつぞやの夜会で身につけた物に形こそ似ている。肩口が大きく開いているものの、派手さはない。だが造りの良さは歴然だった。

 胸元と腰、そして裾周りまで、雪を意匠化した緻密な紋様が縫いつけられている。ドレス自体は、様々な濃淡の青の薄布を重ねて作られていた。そのおかげで、フェンの動きにあわせて、生地の色合いが様々に変わる。

 

 高価な物で、あることは間違いない。デザインもフェンの好みではある。

 けれど。そう思って、フェンは小さく息をついた。

 顔を俯ける。結い上げた銀髪が一房こぼれ、白い首筋にかかる。


「……やっぱり、このドレスを下さった殿下には申し訳ないけど……今からでも騎士団の制服に着替えた方が」

「俺のためを思うなら、それはやめて」


 礼服を着込んだオルフェが即答した。フェンが顔を上げれば、彼は渋い顔をしている。片眼鏡の奥では、何故か迷惑そうに目を細めていた。


「頼むから、ドレスを着ていってくれ。頼むから」

「え、え?」

「これで君が着てくれないと、あいつに付き合わされた俺の十日間が無駄になる。しかも今日のあいつの機嫌も最悪になるぞ……夜会もあるってのに」

「オルフェも一緒に選んでくれたのか?」

「……その発言も、絶対にアッシュの前ではしないでくれ。後生だから」


 首を傾げるフェンに、オルフェが額を押さえた。同じく礼服を纏ったゲイリーがくっくと喉を鳴らす。


「騎士サマは全然変わんねぇなぁ! 安心したぜ」

「そ、そうか?」

「おうともよ。安心しな。完っ璧に似合ってるぜい? 俺様も、騎士サマの体のサイズを見立てて、旦那に伝えた甲斐があった、ってもんぐえ!?」


 得意げに語っていたゲイリーの首元を、アンジェラが無造作に掴んだ。

 フェンがぎょっとし、オルフェが呆れた視線を送る。その中で、アンジェラは不穏な笑い声を立てた。


「ふ、ふふ……ふふふ……! そう、そうよね。こんなことするのは、あんたくらいよね……フェンの体格を勝手に見立てるなんていう不埒ふらちなことをする奴は……!」

「あ、アンジェラ! ちょっと待って! ゲイリー殿の顔色が!」


 フェンが慌てて立ち上がる間にも、ゲイリーの顔色は赤から白へ、白から青へと変わっていく。哀れな男を助けようと手を伸ばしたフェンは、アンジェラとばちりと目があった。

 アンジェラは、笑顔である。

 だが、その目は全く笑っていない。


「ごめんねー、フェン。申し訳ないけど、会場に行く前にこいつと話をつけてくるから、先に失礼するわねー」

「あ……あぁ、うん。ごめん……」


 どちらにでもなく謝って、フェンは引きつった笑みを浮かべながら手を引いた。アンジェラがゲイリーを引きずるように部屋を出ていく。ゲイリーの哀れっぽい声が暫くの間響き、扉が閉まる音と共に途切れた。

 フェンは、取り残されたオルフェをちらりと見上げる。彼は頬をかき、あからさまに視線を逸した。


「……えーっと、俺もそろそろ会場に行かないと」

「? でも、会場が開く時間には、少し早いだろう?」

「……嫌な予感がするんだよ」


 ボソリとつぶやいたオルフェは、フェンの返事も待たずに立ち去ってしまった。


 急に静かになった部屋で、フェンは息をついた。きょろきょろと辺りを見回せど、やることが見つかるはずもない。そもそも、家具が殆どない部屋である。あるのは小さなテーブル一つと、今しがたまで座っていた椅子だけ。式典までの待機場所であることを考えれば、別段不満はないのだが。


 迷った挙げ句、フェンが最初に座っていた椅子に腰掛けようとした時だった。

 前触れ無く扉が開く。現れた男に、フェンは目を丸くした。


「殿下」


 ノックもなく扉を開ける男など、アッシュくらいのものだ。フェンが驚いたのは彼の格好である。

 式典のためなのだろう、彼は朱色の髪を撫でつけていた。黒の礼服にも、金糸で細かな紋様の縫いつけられている。

 たったそれだけのことだ。それだけのことなのだけれど。


「……なんだ、妙な顔をして」

「いえ……えぇと……威厳があるというか……王様っぽいなぁというか……」

「阿呆か」


 ぽかんとしながら述べたフェンの感想を、アッシュはばっさりと切り捨てた。フェンは眉をひそめる。


「阿呆ってなんですか……! せっかく褒めたのに」

「そんな貧弱な褒め言葉など要らん」

「だったら、お手本の一つでも見せればどうです?」


 入り口で立ち止まった彼は、フェンの出で立ちをじろりと見つめた。


「悪くない」

「悪くないって……殿下の褒め言葉も大概じゃないですか……」

「…………」

「そもそも、これは殿下が下さったドレスでしょう?」


 近づいてくるアッシュに、フェンは呆れて返事をした。アッシュは彼女の眼前で立ち止まる。もう一度、フェンをじっと見つめる。


「ドレスがお前に負けている」

「…………えっと……」


 意味を咀嚼するのに数秒かかった。

 その僅かな間にも、アッシュはフェンに向かって手を伸ばした。零れ落ちた彼女の銀髪を指先ですくい上げ、その耳にかける。次いでとばかりに耳元に唇を寄せて囁く。


「それとも、もっと分かり易い言葉で言った方がいいか?」

「……っ、いい! いいですっ!」


 フェンは、慌てて半歩下がった。頬がかっと熱くなる。

 睨みつけた先では、アッシュが満足気に喉を鳴らして笑っていた。


「予想通りの反応だな」

「わ、笑わないで下さい……!」

「却下だな。お前に指図されるいわれはない。それより、こっちに来い」

「……今度は何をするつもりですか」

「これは要らないのか?」


 アッシュが懐からペンダントを差し出した。赤い石がゆらりと揺れ、日差しを弾いて輝く。

 フェンが王城を出た日に、捨ててきたペンダントだ。


 反乱軍と火の国の兵士が衝突したあの日に、アッシュがつけていたもの。

 何よりも、彼が自分に贈ってくれたもの。


 要るか要らないか、という問いは愚問だった。フェンはぐっと唇を噛み締める。沈黙。その後に、足音高くアッシュに近寄る。


「……頂きます」

「素直なのは良いことだな」

「…………」

「そう睨むな……ほら、後ろを向け。つけてやろう」


 尊大な物言いは引っかかるものの、無言でため息をついたフェンは、言われたとおりにアッシュに背を向けた。明るい窓が目に入る。鳥のさえずりが外から響く。衣擦れの音がして、フェンの首元に彼の手が回される。


 赤い石が胸元に触れた。一瞬のひやりとした感覚と微かな重みが心地よく、フェンは指先でそっと石に触れる。


「あれから一ヶ月か」


 鎖が擦れる音に紛れて、アッシュの淡々とした声が背後から届く。それにフェンは目を細めた。


 反乱軍と火の国の騎士団が衝突した一ヶ月前のあの日のことは、忘れたくとも忘れられはしない。

 血の臭いも、焦げつくような不安も。

 フェンは既に、アッシュから事の真相は聞かされていた。あの日、戦にまで発展しなかったのは偶然などではなく、多くの人の協力あってこそのもの。そう理解しているし、感謝もしている。

 それでもやはり、双方ともに死者が出なかったことは奇跡に近い――こう言えるほど、当時はぎりぎりの状況だった。

 フェンは小さく息をつく。


「えぇ」

「忙しすぎて、ろくに時間の感覚もなかったが」

「ふふっ、そうですね……反乱軍の解体と、彼らの処遇の問題。それに今後の水の国の民の扱いについて」


 この一ヶ月で頭を悩ました問題を、フェンは指折り数える。アッシュが小さく鼻を鳴らした。


喫緊きっきんの課題は、俺たちの賛同者をどう増やすか、だろうが」

「そのための、今日の式典でしょう? 大丈夫ですよ。式典の参加者には王族や貴族だけでなく、一般の国民もいますし……彼らの前で、私が水の国の王族として貴方に忠誠を誓えば、きっと良いアピールになる」

「…………」

「殿下?」

「……今ならばまだ、引き返せるが」


 振り返ろうとすれば、やんわりと手で押し止められた。それと同時に返ってきた言葉。

 その口調は露ほども変わっていない。けれど、それは確かに彼の本心なのだろう。


 あぁ道理で、いつまでたってもネックレスをつけ終わらないわけだ。得心がいったフェンが小さく噴き出せば、アッシュの鋭い声が飛んできた。


「何故笑う」

「いえ……殿下は、このことを話したかったんですね?」


 くすくすと笑いながら、フェンは振り返ることなく問うた。彼は一瞬の間を置いてから、乱暴に息を吐き出す。


「……約束を反故ほごにするのが気に食わなかっただけだ」

「約束、ですか」

「王として生きる必要はないと、言ったのは俺だろう。だが式典では、お前は王族を演じねばならない」

「あれは約束ではないでしょう」

「だが言ったのは事実だ」

「そうだとしても、望んで私はやるんですから、気にしないでください」

「…………」

「引き返しませんよ。一緒に歩くって決めましたし。それに……」


 フェンはくるりと振り返った。にこりと微笑んで、どこか物言いたげな目の前の男を見つめる。


 普段は不遜で情の欠片もないような態度ばかりとる彼を。

 顔が見えない時ばかり弱音を吐く彼を。


「それに私は、殿下が好きなんですから」


 アッシュは面食らったような顔をした。これはなかなかの、見ものかもしれない。 呑気に思ってフェンが観察していれば、ややあってアッシュはぎゅっと眉根を寄せる。


「……何故お前が先にそれを言うんだ」

「え……? だって私が好きと思ったわけですし。ならば告白も私からすべきでしょう?」

「……お前が国中の女達を虜にする理由が分かった気がする」

「そうですかね?」

「そうだ」

「はぁ……あ、でも安心して下さい。殿下は殿下が良いと想う人を選べば良いんですから」

「……なんなんだ、お前は!」


 最後の方は、何故か怒ったような口調だった。

 意味が分からずフェンは目を瞬かせた。その間にも、アッシュはやや乱暴にネックレスの金具を留め、彼女から離れる。

 苛立ったように足音を立てながら扉に向かう背に、フェンは慌てて立ち上がった。


「で、殿下!? あの、何か気に触るようなことを言ったなら謝、」

「とりあえずお前の気持ちは不幸にも分かってしまったし、なんなら気に障るようなことしか言われてないが、謝る必要はない」


 早口に言って、アッシュはフェンの方を振り返った。

 ぽかんとする彼女を、ぎっと睨みつける。


「ただ、式典では覚悟しておけよ」

「か、覚悟って……」


 何の、だろうか。

 その答えをフェンが得る前に、アッシュは扉を閉めて出ていってしまった。


*****


 それからしばらくの後、もやもやした気持ちを抱えたまま、フェンは閉ざされた扉の前に立っていた。

 先程の部屋からここまで、フェンを案内してくれた年若い従者の姿は既にない。彼は儀礼用の細剣をフェンに預けるなり、すぐに立ち去ってしまった。


 フェンは頭を振る。駄目だ。集中しないと。剣を右手に持ったまま、そう言い聞かせる。


 扉の向こうは式典が行われる広間だ。式典の目的は、火の国の民と水の国の民の和解を広く知らしめること。そのために、貴族のみならず国民にも参加を呼びかけた。

 ゲイリーの紡いだ物語で、世論は水の国との協調を支持しつつある。けれど、未だ完全ではない。この式典の出来如何では、世論が逆に転ぶこともある。

 なにより、式典にはユリアスもいることだろう。

 一連の事件の首謀者が。


「…………」


 これが、現実だ。そう思えば、先程までの穏やかな空気が急速に遠ざかり、胸中に影が差す。

 フェンは一つ息を吐いた。しんとした廊下の空気を吸い込む。窓から差し込む日差しは静かに扉を照らしている。それをじっと見つめる。


 怖くない、といえば嘘になる。

 けれど。


「……大丈夫」


 呟いて、フェンは左手で胸元の赤い石を握った。大丈夫。声に出さずに、もう一度繰り返す。

 その石に、縋ることはない。このペンダントは、彼と共に歩むという決意の証だ。 目を閉じ、祈るように握り、離す。そして静かに前を向く。


 扉が開いた。


 眩しいほどの光が、天井に吊るされた燈籠ランタンから降り注いでいる。水を打ったように静かな広間には、大勢の人間が詰めかけていた。国民たちの好奇心を隠しもしない視線。貴族たちの涼やかだが無遠慮な視線。その双方がフェンを突き刺す。

 フェンは背筋を伸ばし、歩み始めた。広間を貫くように敷かれた赤の絨毯を踏みしめながら、凛とした面持ちで前を見つめる。


 視線の先、広間の奥。一段高くなったその場所に、人影は二つ。朱色の髪に紅の目。火の国を象徴する色を継ぐ二人はしかし、対照的な表情を浮かべていた。


 ユリアスは穏やかに微笑んでいる。対してアッシュは、笑み一つ浮かべることなく、じっとフェンを見つめている。


 それがどこまでも彼らしくて、フェンは胸中だけで苦笑いしながら立ち止まった。

 アッシュの前で、膝をつく。蒼いドレスの裾が水紋のように広がる。頭を垂れる。剣を差し出す。事前の彼との打ち合わせどおり、宣誓の口上を述べようとする。


「偉大なる火の国の始祖、真なる炎の王の前にて誓いを立てる」


 だが、。フェンは驚いて顔を跳ね上げる。周囲がぎょっとしたような視線を送る中、宣誓の口上を口ずさんだアッシュは壇上から下り、フェンの方に静かに近づく。

 呆気にとられたフェンの手から剣を取り上げ、彼女の手をとった。


「――私アッシュ・エイデンは貴方を愛し敬い 万人にとって良き国を共に築くことを誓う」

「殿下、……それは……」


 それじゃあ、まるで。

 呆けたように呟いて、フェンは赤面した。覚悟の意味を遅ればせながら知るが、時既に遅し。

 アッシュがフェンの手を引いた。彼女がつられて立ち上がれば、アッシュの顔がぐっと近くなる。

 彼は相変わらずの仏頂面だった。けれどその紅の瞳は、悪戯っぽく輝いていて。


「――返事をお聞かせ頂けるかな? フェン・ヴィーズ」


 囁くように問われ、フェンは顔を俯けた。


 これは大事な式典であるとか、公衆の面前で何を言っているんだろうか、とか、言いたいことは山ほどあった。

 けれどきっと、フェンが何を言った所で、目の前の男は涼しい顔で反論してくるのだろう。恐らく、フェンが考えるよりも余程、良い案を持ち出した上で。


 それに、何よりも自分は。


 フェンは、赤面したまま顔を上げた。これ見よがしにため息をつく。それでも、蒼の目で真っ直ぐにアッシュを見つめて。

 彼女は、震える唇を開く。



「――喜んで。アッシュ・エイデン」







 これが、この国の新たな歴史の幕開け。

 火と水。相容れないはずの二つが紡ぐ歴史の起点。

 その契機となった二人を讃え、後の民はこう語り継ぐ。

 

 心優しき后を、銀の君と。

 賢王たる男を、金炎の王と。 



<了>

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