第28話 彼女と答え

 炎が燃えていた。

 けぶる景色。紅に消えていく街並み。鼻をつく死の臭い。焼け焦げた空気。

 世界には炎の燃える音だけが鳴り響く。


 その中でフェンは倒れ伏していて。

 その中で少年は立ち尽くしている。

 血にまみれた剣を、子供の胸に突き立てて。


 その少年の瞳は、炎と血と殺戮に染まっていた。赤い、紅い目。これだけの惨状を前にして、けれど、なんの感情も浮かばないそれ。


 その瞳は、ずっとフェンの中で、殺したいほど憎いものの象徴だった。

 ずっと。

 けれど、今は。


*****


 フェンは、ゆっくりと目を開けた。

 かやぶきの天井が、薄暗闇に沈んでいる。鼻先を薬草の香りがくすぐった。それに一瞬、自分がどこにいるのか分からなくなる。


 アンジェラのいる、いつもの医務室か。

 水の国が滅びた翌日のことなのか。

 それとも。


 そう思ったところで、横合いからほっとしたような声がとんできた。


「フェン……! 良かったわ! 目を覚ましたのね!」


 ゆっくりと身を起こした途端、勢いよく抱き着かれる。ふわりと小麦の香りがした。腕まくりをした褐色の肌は暖かく、たくましい。

 フェンは視線をゆっくりと声の主の方に向け、目をパチリと瞬かせた。


「リズ、さん……」

「覚えてる? あなた、グレイさんに抱えられて帰ってきたのよ?」

「ここは……?」

「私の家よ。手当するのにちょうどよかったから」


 リズさんの、家。口の中で繰り返しながら、フェンは辺りを見回した。自分の眠るベッドのすぐ脇に窓が一つ。そこから淡い黄昏色の光が差し込んでいる。部屋自体は小さかった。ベッドの他には、小さなテーブルが一つ。

 そこまで確認したところで、フェンの右手がつきりと痛んだ。痛みに顔をしかめながら見やれば、掌に包帯が巻かれている。乱暴にまかれたそれには、ほんの少し血がにじんでいて。


 見つめる内に、少しずつ記憶がよみがえってきた。子供たちを探しに行ったこと。森の中から見つけた、燃え盛る炎。駆けつけて、それで。

 フェンは顔を跳ね上げた。


「子供たちは……!? どうなりましたか!?」

「安心しなさい」


 穏やかな返事は、扉が開く音と共に返ってきた。杖をつきながら、ゆっくりと初老の男が入ってくる。フェンが慌ててベッドから降りようとすると、男はゆるりと手を上げてそれを制する。


「寝ていなさい。まだ本調子ではなかろう?」

「村長殿……」


 フェンがまごついていると、村長はにこりと微笑んだ。


「改めて礼を言おう、フェンよ。子供たちを連れ返ってくれて、本当にありがとう」

「いいえ、そんな……」

「それに、副村長の……ディルの件も。色々と根回ししてくれておったんだろう?」

「え?」


 なんのことだろう。フェンが首を傾げれば、リズが苦笑いをしながら、夫をたしなめた。


「駄目よ、あなた……順序を追って話さなきゃ」

「おう、すまなんだ。実はフェンが寝ている間にディルが訪ねてきてな」

「えぇ」


 フェンは眉根を寄せた。あまり良い予感がしなかったからだ。タイミングとしても最悪だ。あるいは、フェンが意見をできる状況になかったからこそ、ディルが訪ねてきたのかもしれないが。

 フェンの複雑な心境を知ってか知らずか、村長は話を続ける。


「畑作をやめたいと言い出しおったんだ。あいつは元々、若者を都に出稼ぎに出したいと言っておったからの」

「その時にね、ちょうどグレイさんがいて……反対してくれたのよ」


 横合いから口を挟んできたリズの言葉に、フェンは目を瞬かせた。


「反対? グレイが、ですか?」


 リズと村長が目を合わせた。二人ともおかしそうに顔をほころばせる。


「そう。フェンが反対してるぞ、って脅してくれてね? なかなか見ものだったわよ? あの時の副村長の顔ときたら」

「しかも、良い対案まで出してくれての……これもフェンが考えてくれてた、とグレイ殿が言っておったぞ? おかげで、あいつらの話を断る良い口実になった」

「ま、待ってください! 対案? なんですか、それは……?」


 アッシュが自分の代わりに副村長に反対してくれた。そのくだりまでは、フェンにも理解ができた。アッシュが、あの夜のフェンと副村長のやりとりを聞いていたのなら説明がつく。


 けれど、対案にはまるで心当たりがない。

 あの夜、フェンは自分の不甲斐なさに泣いていただけだ。そしてそんな自分に、アッシュは何も言わずに寄り添ってくれた。それが全てだ。それだけの、はずだ。

けれど、ほんの少し嫌な予感がして。


 そして、首をかしげながら紡がれたリズの言葉に、フェンはその予感が当たったことを知る。


「あら……謙遜しなくてもいいのよ? 若い人に学びの機会を与えた上で、出稼ぎに行きたいのか、畑作を続けたいのか、彼らに決めさせたらいい……フェンが、そう やって考えてくれたんでしょう?」


*****


 話を聞き終わった後、村長とリズが引き留めるのも構わず、フェンは彼らの家を飛び出した。

 外は黄昏色の光で満ちている。空気はひやりとしていて、吐く息は白い。外で遊ぶ子供たちを呼び寄せる母親の声が響く。


 その中を、フェンは一心不乱に走った。目指す先は村人たちから借りていた小屋だ。


 アッシュは、まだいるだろうか。疑問と共に湧き上がる不安を押し殺して、フェンは顔を曇らせる。


 いるはずだ、と思う。夜の森を移動する危険性は、彼なら十分分かっているだろう。

 けれど同時に、もしもいなかったらどうしよう、とも思った。フェンが気を失っている間……陽が高い間に村を出ていたとしたら。

 焦りは、不自然にフェンの心臓の鼓動を狂わせた。ずきずきと掌が痛む。


 自分はなんて馬鹿なんだろう。後悔がフェンの視界を滲ませる。


 アッシュに、彼自身が誰かに必要とされてる、ということを知ってほしくて、この村に連れてきたのだ。ユリアスの代わりではなく、アッシュ自身に寄せられる感謝に触れてほしかった。


 それなのに、蓋を開けてみればどうだ。

 リズの言った対案は、十中八九、アッシュが自分で考えたものだ。

 それを、さもフェンが考えたことのように、アッシュはリズ達に告げた。


 これじゃ、結局同じだ。アッシュがこれまでしてきたことと。そんなことをさせたくなくて、フェンはアッシュをこの村に連れてきたのに。


 アッシュは、フェンを助けてくれた。

 じゃあ、自分は、彼に何を返せるのか。


「殿下!」


 小屋にたどり着く。その入り口――今にも馬に乗ろうとしていた人影の服のすそを、フェンは必死の思いで掴んだ。

 人影がゆっくりと振り返る。

 夕焼け色に染まる空気の中で、その目が穏やかに細められた。


「なんだ、元気そうだな」

「……どこに、行かれるおつもりですか?」

「城に戻るんだが?」

「夜の、森は危険ですよ」

「森の中の野宿は、な。だが心配いらん。少し仮眠をとったし、夜通し走るつもりだから……元々、今日にはこの村を発つ予定だったんだ。早く城に戻るにこしたことはない」

「……そう、ですか……そうですよね……」

「それよりお前、手は大丈夫なのか?」


 服のすそを掴んでいたフェンの手をちらりと見やって、アッシュが嘆息をついた。


「剣を素手でつかむ馬鹿なんて、初めて見たぞ……まったく、傷が残ったらどうするんだ」

「……す、みません」

「城に戻った後でいいから、誰かに一度診てもらえ。とりあえずの応急処置だけは俺がしておいたが……ここじゃ大した治療もできん」

「…………」

「……フェン?」


 違う。本当はこんなことを話したいんじゃない。ぐるりとフェンの中で思考が渦巻いて、彼女は唇をかみしめた。アッシュが気遣うような視線をフェンに向ける。

 赤の瞳が、フェンを見つめている。


 それは、炎を思わせる色だった。フェンにとっては国が滅んだあの日の象徴で、憎らしいはずの色だった。

 それは、血を思わせる色でもある。夜会の夜、彼が容赦なく人を切り殺した時には、恐怖の象徴でしかなかった。

 そしてその瞳は今、黄昏色に染まっている。太陽が地に落ちる、その寸前の、最後の煌めきを宿したような色。

 優しい、けれどどこか寂しい、色で。


 あぁきっと、その、どれもが真実なのだ。フェンは唐突に気がついた。

 フェンが間違っていると思う、彼も。

 フェンが救ってあげたいと思う、彼も。

 どれかを切り取って、まとめることなどできないのだ。

 完璧な人間などいないのよ。リズの言葉が、フェンの脳裏にふと浮かんで、消えて。


「ありがとうございます」


 感謝の言葉は、するりと口をついて出てきた。フェンはまっすぐに頭を下げる。


「先ほどは助けて下さって……さっきの炎だって、一人じゃ戦えなかった。殿下がいてくださったから、倒せたと思うんです」

「…………」

「それに、村長さんから聞きました。副村長の提案を否定してくれたって。対案は殿下が考えたものでしょう?」

「……それも聞いたのか」


 余計なことを。アッシュが苦り切ったように呟く。それが何となく彼らしくて、フェンの胸がいっぱいになる。

 痛みが走るのにも構わず、フェンは服のすそを握る手に力を込めた。


「……私、殿下に失礼なことをしてました。殿下をこの村に連れてきたのも、殿下に直接向けられる感謝に気づいてほしかったから、なんですけど……」


 フェンはゆっくりと顔を上げて苦笑する。


「でも、なによりもまず、私があなたに感謝すべきだったんですよね。さっきの戦いのことも。昨日の夜、何も聞かずに私の傍にいて下さったことも、夜会の時に助けて下さったことも。何もかも……本当にありがとうございます」


 アッシュは目を細めた。何か眩しいものでも見るかのように。


「俺は俺のしたいようにしただけだ……無理をして礼を言う必要はない」

「無理だなんて、そんな」

「お前は俺を憎いと、思ってるんだろう?」


 アッシュが静かに問うた。それはけれどそのまま、フェンの胸の奥底から向けられた質問でもある。彼は、敵だろう? と。


 フェンは目を伏せた。辺りの空気が、薄暗さを増していく。もうすぐ日も落ちるのだろう。

 暗闇を見るのは苦手だった。自分の中の薄汚い何かを見ているような気がして。けれど今は。

 フェンは小さく首を振る。


「昔は、そう思ってました。それに……そうですね。やっぱり今も、その気持ちがないとは言えません」


 それはフェンの正直な気持ちだった。


 彼を救いたいと思う。その気持ちに嘘はない。

 彼を憎いと思う。その気持ちにも嘘はない。


 どちらが正しいのか。どうすべきなのか。それは、この旅の始まりから、ずっと抱いていた迷いだ。そして、旅をする間に、きっと答えが出るんじゃないかと期待していた問いかけ。


 答えは、出ていない。

 けれど。

 

 あんたはどう考えて、これからどう行動したいの。アンジェラの言葉が、そっとフェンの背中を押す。


 フェンは顔を上げる。もう一度、アッシュの目を見つめる。

 彼が、何を考えているのか。その表情からは何も読み取れなかった。


 けれどもう、フェンの中に迷いはない。


「でも、それ以上に私はたくさんの貴方を知った。優しい貴方を。村人たちの頼み事に耳を傾けてくれる貴方を。私を励ましてくれる貴方を。過去の貴方を許すとはいえない……でも私は、今の貴方を信じたい」

「……俺はそんなにできた人間じゃない」

「ふふっ、いいんですよ。殿下が信じられない分、私が信じますから」


 フェンは小さく笑いながら、服のすそを手放した。彼の手へ、自分の手を伸ばす。

 アッシュの手が、小さく震える。その手をフェンは優しく握った。


「殿下。叶うならば、私をもう一度殿下の傍においてくださいませんか。貴方を助けられるほど、私は強くも賢くもないけれど……貴方と一緒に、戦うことならきっとできる」


 アッシュの目が僅かに揺れた。

 彼の唇が何かを呟く。

 それは、けれどフェンには聞き取れなくて。


「……勝手にしろ」


 僅かな間の後、大きく息をつきながらアッシュは顔を逸らす。

 その頬は少しばかり赤い。それに気づいて、フェンはますます彼のことが愛おしくなって。


「はい……! ありがとうございます……!」


 もう一度笑って、フェンはアッシュの手を両手で包む。


 繋いだ手は、泣きたいくらいに暖かかった。

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