第25話 彼女とささやかな願い

 収穫祭の翌日は、快晴だった。朝特有の澄んで冷たい空気。その中で。


「……何をしてるんだ」

「あ、いや……」


 アッシュが視線を寄こしてきて、フェンは返事にまごついた。



 その原因は、確かにフェンにある。

 身支度を整え、村人から貸し与えられた小屋から出れば、一足先に起きたであろうアッシュが稽古をしていた。


 朝の白い陽光に照らされて、淡々と剣を振る。フェンの知る、どの剣の型とも違った。荒々しいが、無駄もない。静かな空気に刃が空気を割く音と、アッシュが時折身を翻す音だけが鳴り響く。


 一人で舞われる剣舞は美しかった。だから思わず見とれてしまったのであり、それに気づいたアッシュに声をかけられたのである。


 けれど、アッシュの言葉にすぐに返事ができなかった理由は、これではない。


 フェンはやや視線を落としてから……ゆっくりと頭を下げた。


「あの、昨日は……申し訳ありませんでした、殿下。取り乱してしまって」


 泣いているところを見られた気恥ずかしさで、フェンは顔を赤くする。あんな姿、アンジェラくらいしか知らないだろう。まったくもって騎士らしくない。


 常に前を見て、弱きを救い、誰よりも強くあらねばならない。少なくとも、周囲が求める銀の騎士はそういうものであるはずだ。泣くなど論外である。


 まして、”村人と自分の絆が金でしかなかったこと”が悲しいだなんて。

 独りよがりにも程がある。冷静に考えてみれば、彼らの方がずっと正しいだろうに。


 フェンは頭を下げたまま、唇をかみしめる。気恥ずかしさと共に、昨晩の鬱屈とした気持ちも蘇りそうになる。

 けれど。


「俺は何も見ていない」


 返ってくる声は、予想と外れて静かな声だった。


 フェンはそろりと顔を上げる。

 アッシュは、じっとフェンの方を見つめていた。


「村人と少し諍いがあった、それだけだろう?」

「……それは……」

「あとは……あぁ収穫祭だな。あれは騒がしくて好きじゃないが……村人たちは楽しそうだったから、いいんじゃないか」

「…………」

「なんだ、妙な顔をして」


 アッシュが眉根を寄せる。それにフェンは目を瞬かせ、いえ……と言葉を探した。


「その、殿下。もしかして、励まそうとしてくださってます?」

「…………」


 今度はアッシュが黙り込む番だった。ふい、と目を逸らす。再び剣を振るい始める。


 先ほどと全く同じ所作だ。美しくて、力強い。けれど、どこか親しみを覚えるようになってしまって、フェンは思わず小さく噴き出した。

 途端、鋭い視線を送られる。


「何故、笑う」

「いや……可愛いというか」

「馬鹿にしてるのか?」

「まさかそんな」


 剣舞を止め、フェンの方を睨みつけるアッシュの声は一段低い。フェンは慌てて首を振った。なんといえばいいのか。必死で頭を巡らせて、口を動かす。


「その、意外だな、と思ったんです。励ましてくださるとは思ってなかったので……」

「……お前は俺をなんだと思っているんだ」

「え、それを言ってもいいんですか?」


 真面目な顔をしてフェンが返せば、アッシュが苦虫を噛みつぶしたような顔をした。


「……試しに言ってみろ」

「人の意見をすぐに上から目線で否定してくるし、私が何かを言えばすぐに文句ばっかり言うし、なんでも剣で解決しようとするし……」


 宙を見つめながら、フェンは指折り数え始めた。

 剣を鞘にしまったアッシュは、顔をしかめる。


「おい、それは悪口だろう」

「悪口じゃなくて、客観的な意見ですってば。ええとそれから……」

「まだあるのか」

「……案外、子守りが上手で、村の人のどんな雑用も結局断らない、優しいところもある、とか」


 フェンはちらりとアッシュの方を見やった。彼は憮然とした顔をしていた。

 フェンの目から視線を逸らす。


「……お前は見てないだろう」

「村の人たちから聞いたんです。手際よかったって……正直、それにも驚きましたけど。村の仕事なんて、したことないと思ってたので」

「……戦の合間に少し学んだだけだ。俺の率いていた軍は平民上がりの若者が多かったからな」


 アッシュはぶっきらぼうにそう言った。ほんの少し、目を細める。何かを懐かしむように。


「薪の割り方、壊れた台車の直し方、野に生える草で、どれが食べられて、どれが毒か。そういうことは、全部あいつらから教わった」


 口調はぶっきらぼうだ。けれど細めた目の奥で、赤の瞳が優しく光る。

 彼は、こういう顔もできるのだ。そのことが、フェンの胸に新鮮な驚きを運んでくる。



 自分の知らない、彼がいる。短い旅の中で、フェンの知らないアッシュの一面がまた一つ、増える。


 嫌みな奴で、平気で人を殺してしまうような人で、憎らしい祖国の仇。ただそれだけではないのだ、彼は。


 頼まれ事をそつなくこなして、自分を励ましてくれて、照れくさいと黙り込んでしまう。そんな一面もある。


 そして多分、それ以上に自分が知らないことも、たくさん。


 彼のことを、もっと知ることができるだろうか。

 何の違和感もなく、躊躇もなく、フェンはそう思う。


 けれど同時に怖くもなった。この旅の終わりの先を思って。

 

 自分たちは、今日にも村を発って、王城に戻らねばならない。

 戻った先で、彼とこういう風に接し続けることができるのだろうか。


「フェン! 少しいいかしら……!」


 穏やかな空気は、突然終わりを告げた。慌てたような声と共に、恰幅のいい女性が駆け寄ってくる。彼女は額に汗を浮かべ、狼狽したような表情を浮かべていた。

 ただ事ではない剣幕に、フェンは眉根を寄せる。


「おはようございます、リズさん。どうなされたんですか?」

「子供たちを見かけなかった?」

「子供たち、ですか?」


 フェンは目を瞬かせた。アッシュの方をちらりと見やる。彼は無言で首を横に振る。

 リズは落胆したように声を漏らした。


「どうしましょう……ここにも来てないとなると、もう心当たりが……」

「いなくなったんですか?」

「えぇ……スゥーリの花を取りに行くように頼んだのよ。でも、いつまでたっても 帰って来なくて……家から花が咲いてる川辺までは、十分とかからない距離なのに」


 スゥーリの花。不思議そうに小さく呟いたアッシュに、フェンは口早に付け足した。


「川辺に咲く白い花のことです。秋の花なんですけど……ご存じありませんか? 王城の近くの川辺にも咲いてたんですが」

「いや……知らないな。その花を集めてどうするんだ?」

「花から良い気つけの薬が出来るんです。ただ……花自体は綺麗な水の流れる川辺にしか咲かなくて」


 花を摘むのに夢中で、川に足を滑らせて落ちる。そんなこともありうるかもしれない。嫌な想像にフェンは顔をしかめ……リズの方に向き直った。


「花を摘みに行った子供の数は何人ですか?」

「三人よ。男の子が二人。女の子が一人……女の子の方は、昨日、小麦の収穫の時に私たちと一緒に作業してくれた子だわ」


 フェンは頷いた。アッシュの方を見やる。

 けれどフェンが何かを言う前に、アッシュが嘆息をつきながら口を開いた。


「子供たちを探しに行きたいんだろう」

「仰る通りです……で、でも、私一人で行きますし、」

「俺も手伝おう」

「え?」


 フェンが思わず目を瞬かせれば、アッシュは小さく肩をすくめた。


「人数は多ければ多い方がいいだろう。あいにく土地勘がないから、お前と一緒に行動せざるをえないが」

「…………」

「それとも、俺と行動するのは嫌か?」

「い、いいえ! そんな……むしろ、ありがとうございます……!」


 フェンの言葉に、ひらりと手を振ったアッシュが歩き始める。その背を視界の端に納めながら、フェンはリズへ、優しく声をかけた。


「僕たちは森の方を探してみますね。森の中の川辺にいるかもしれないし」

「ごめんなさいね……フェンも、グレイさんも……今日が出立の日だって言ってたのに」

「心配しないでください。見つけたら、すぐにリズさんのところに連れて行きますから」


 にこりとフェンが微笑めば、目に涙を浮かべたリズは何度も大きく頷いた。

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