第17話 ジャック 2-1

 ジャック 2


「何もここまで豪華な部屋でなくともよかったのですが」

 やや落ち着かない気分でジャックは部屋のしつらえを眺めた。花の刺繍も鮮やかな羽毛で膨らんだ椅子。天井から吊り下げられた王冠を模した硝子の照明器具。波打つ木目が美しい衣装箪笥の前面には、今にも動き出しそうなほどの躍動感に溢れる獅子の彫刻。どこを切り取っても小吏には分不相応なものが目に入うえ一人で使うにはいささか広すぎた。風呂を含めるとここには八つもの部屋がある。

「お気持ちは痛いほど理解できますよ。私も育ちが育ちなもので、こういった部屋ではくつろごうにも気後れしてしまいます。ですが、やはり安全の面を考慮すると、どうしても値が張るのは仕方がないかと」

 そう言って市長補佐官のマルセル・バルドーが大きく開けた窓から眼前に広がる光景を目をやった。

 鉱業を中心に発展してきた経緯から、この都市は外側から中央に向かって緩やかな上昇曲線を描いている。中央に位置する鉱山は度重なる開発であちこちが削りとられ、そうやってできた斜面には居住や採掘のための建造物が建ち並んでいた。まるで果物やクリームで飾りつけられた食いかけのパンケーキ──都市外縁に位置するこの宿からはその様が一望できる。

 ジャックは巨漢の横に並んで同じものを見上げた。中心部に向かって吸い込まれるように所狭しと並ぶ街並み。目を凝らせば羽虫のような大きさをした人々が行きかっている。

「しかし、助かりました」視線は景色に向けままジャックが言った。「まさか火事に遭うとは。重ねて御礼申し上げます」

 当座の拠点として使うはずだった部屋が消し炭になったあと、代わりの宿を探して奔走するジャックに助け舟を出してきたのは、窮状を聞きつけてやってきたバルドーだった。

「お気になさらずに。この宿の主人とは知らない仲ではありませんので多少の無理は通すことができるのですよ。滞在費に関しても勉強させていただくことができますが──」

 ジャックはその申し出を固辞した。「いえ、そこまで便宜を図っていただいたとなると、妄想をたくましくする連中も出てくることでしょう。幸いにも予算のほうには余裕がありますので」

 何しろ、本来ならばこの仕事は総勢12人で取り掛かる予定だったのだ。それが今や、たったの1人しか残っていない。

「まさに、仰る通り。これはうっかりしていました」

 そらとぼけるバルドー。ジャックは訊いた。

「差し支えなければ教えてください。なぜ、あなたは私に対して協力的なのでしょうか? 面と向かって口にするのもおかしな話ですが、我々は敵同士であると言っても過言ではないと思うのですが」

「初めてお会いした時に私が言った言葉を覚えていますか?」

 ジャックが考え込んだのを見てバルドーが笑った。

「私はかなりの年月をここで過ごしています。それこそ正確な年数が思い出せないくらいに。その過程で様々なものを見てきたのですよ、主に──良くないものを」

 おかしな話ではない。この街の犯罪率は州内の一般的な都市と比べて数段高い。露見したものだけでその数字であるため、実態は推して知るべしといったところだろう。

「成り行きでそこそこの地位と財産を手に入れることができましたので、期するところがあって街の浄化のために色々と手を尽くしてみようかと。で、思い立って奮起してみたはいいが、中々うまくいかない。そこで──」

「外側から、ですか? 内側からでは埒があかないから、連邦からの圧力に期待している?」

「ええ。つまりは、そういうことです。これは私の立場云々の話ではなく、個人的な思惑というやつなのですよ」ご納得していただけましたか、とバルドー。

「都市の自浄作用には期待できないのでしょうか?」

 バルドーがはにかんだ。「ここの警察や軍の働きぶりを見れば、そういった考えも吹き飛ぶでしょうね。試しに三ヶ月ほど滞在してみてはどうです? 身に染みると思いますよ」

 本音かどうか──読み取れない。ジャックは精一杯の愛想をふりまいた。「あなたの正義感を心より賞賛します」

 バルドーは何もかもを見透かしたように屈託なく笑った。「長居してもお邪魔でしょうし、これで失礼しますが、もし他に手伝えることがあれば遠慮なく仰ってください」

 バルドーが立ち去ってから時間をおいて、ジャックは部屋中をひっくり返した。とりあえずは覗き穴や盗聴の仕掛けがないことを確認し、家具の位置を元に戻して汗を拭いた。

 バルドーの与太話を思い返す。まともに考えるなら油断を誘うためのでまかせだ。だが信じられないことに、あの男は本音で語っている、そう思えてならなかった。

 ジャックは頭を振った。彼の人となりについては置いておく。肝心なのは自分に課せられた使命だ。

 宿の火事により資料の類は全て焼けてしまったが、着いてすぐというのが不幸中の幸いだった。調査など何も進んでない。事前にこの街について調べてきた分は頭の中に入っており、資金はまだ潤沢にある。

 ジャックは不意に襲ってきた痛みに顔をしかめた。服の上から暴漢に蹴りつけられた部分をさする。丸一日安静にしていたが、痛みがひかないどころか酷くなっている。

 喉を潤すために水差しに口をつける。折れた歯に染みて涙が出た。これから外を出歩かなければならないと考えると憂鬱になってくる。腕っ節の強そうな労働者を捕まえて臨時の護衛として雇うことも考えなければならない。この街は建物が密集しているせいで人の目が届かない路地が多すぎる。

 目下の問題はやはり人手不足だった。あてにしていたベルトランからは、人員に関して色よい返事をもらえなかったとあって、他に連邦政府に味方をしてくれそうな人物に心当たりが無い。

 部屋を飛び出して外へ。他の客が少ないのか、フロントに着くまで誰にも出くわさなかった。初老の受付に見送られながらジャックはホテルを後にする。

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