第15話 ローラン 2-2

 金貸しの店など薄暗くてせまっ苦しいものだとばかり思っていたが、通りに堂々と店を出しているだけあって、そこはまるで歴史のある銀行の受付かと見まがうほどだった。

 顔が映りこむほど磨きぬかれた床に、色気すら漂う艶をした黒檀のカウンター。店内は一見して清潔であると分かる。気になるのは──従業員の少なさだ。店番のほかには警備員らしき人物が二名、店構えの割りには随分と心もとない。

 ローランの来訪に気づいたカウンターの優男が席を立った。「いらっしゃいませ。本日はどういった御用でしょうか?」

 両手を揃えての礼。そこいらの女なら慌ててしなを作りそうな笑顔を向けられたローランは、へらへらとした軽薄な態度で応じた。「御用もなにも、ここに来る人間の用事は大抵ひとつじゃないか?」

「ごもっともです。本日はいかほどご利用で?」

「いや、言っておいてなんだが、金を借りに来たわけじゃない。職人街の……ビオ通りの8番地だったかな? そこの男へ貸した金の取立てを少し待ってもらえないかと思ってね」

「左様でございましたか」からかわれたことに気付いても優男の表情は変わらなかった。「ただいま確認いたしますので、少々お待ちいただけますか?」

 少しして奥の部屋へ通された。禿頭の男が執務机に座ったまま目だけでローランを出迎えた。従業員の人数が少ないことに納得がいった。寄った眉。曲がった口元。疑り深さが染み付いた顔──歓迎の笑顔を作っているが、焦げ付いた床板を高級な絨毯で覆い隠したような白々しさがあった。

 部屋はさほど広くはない。主人、護衛、来客の三人もいれば手狭に感じられるだろう。ローランの視線が無遠慮に部屋を這い回る。調度品の価値は分からなかったが、店の表を見る限りでは高級品を取り揃えているに違いない。だが、その中でひときわ目をひいたのは、無骨な金庫だった。持ち運び出来そうな大きさのそれが、部屋の壁をくり貫いて嵌め込まれている。ちょうど、部屋の主の背中に隠れるような位置。ローランの目は誤魔化せない。ごろつきの目は値打ち物を逃さない。

 禿頭の男が椅子の位置をずらしてローランの目から金庫を隠し、咳払いをした。「返済の期日の延期が希望とのことだが?」

「あんたがギャレー?」

「その通り。普段なら門前払いというところだが、今はちょうど手透きになったところだ。少しだけなら付き合ってあげよう。君は、借金をしている人物の友人なのかね?」

「いいや、単なるなりゆきだ」ローランは首をふった。「半分はな」

「もう半分は?」

「あんたと直に顔を合わせたかった」

「ほう? それはまた、何故?」

「手広くやってる金貸しで、そのうえこんな立派な店まで持ってる。お近づきになっておきたいと考えるのは、別におかしなことじゃないだろう?」

 ギャレーが納得した様子で眼鏡を持ち上げた。窓から差し込む日の光を受けて、指にはめられた金銀細工のほどこされた緑の宝石が光る。

「つまり、君が私のために一仕事し、私が君に便宜を図る、と。そういうことでいいのかな?」

「そこに、今後の良い付き合いを加えてもらえるとありがたいね」

「具体的には君に何ができる?」

「それなんだが、見ての通りというやつだよ」ローランが外套に覆われていない、自分の首から上の刺青を指差した。「実際に何度か金貸しの下で働いたこともある。だが、聞く限りじゃあんたは結構な人を雇っているっていうじゃないか? どう売り込んだものかと迷ってるのさ」

「そういうことなら幸運だったな。つい先日に不慮の事故で人手が減ってしまい、少し困っていたところだったんだ」

「事故? 何があったんだ?」

「いや、わざわざ言うほどの話でもないよ。さて、時間も惜しい。仕事の話に移ってもいいだろうか?」

 ギャレーはあからさまに矛先を逸らしている。研磨職人への取立てが遅れていたことと何か関係があるのかもしれないが、確かにいまは脇に置いておくべき問題だとローランは頷いた。

「そうしてくれ。で、俺は何をやればいい?」

「簡単な仕事だ。名前はピーター・カソヴィッツ。州軍……アズール側のだが、そこに所属している男だ。身元がしっかりしているということで少し貸し付けたのだが、返済が滞っている」

「そいつ一人だけでいいのか?」

「ああ。まずは試用というところだ」

「分かった。その男の住所や人相は?」

「住所についてはアンリに用意させよう。君をここに連れてきた受付の男がいただろう、彼のことだ。人相だが、年齢は三十二、髪は黒で瞳の色はこげ茶色、最後に見たときには確か口元が髭で覆われていたが……これはあまり参考にしない方がいいな。他に質問は?」

「軍人ってことだが、取り立てたせいで厄介な問題に発展したりはしないか?」

 ギャレーが口元をほころばせた。相手の無知を赦す寛容の笑み。

「たかだか一兵卒のためにそこまでやるほど一枚岩でもないし、頑なな組織でもないよ、州軍というは。もちろん、やりすぎるのは厳禁だ。そこは注意しておいてほしい」

「他に注意すべきことは? 雇われる側としてはあんたの流儀を聞いておきたい」

「殺しは問題外。痛めつけるのも最小限にとどめてくれ。仕事に支障が出ては返済が滞るからな。それ以外は何をやっても──というわけではないが、多少なら大目に見よう。こういった仕事にはある程度の悪名が必要でもある。さて、聞きたいことは以上かな? では早速取り掛かってくれたまえ」



 ローランはまず街を出て外の駐屯地へと足を運んだ。向かった先は第三連隊兵舎──なるほど軍人なら当然の住所だった。ギャレーは試用だとほざいていたが、温い仕事にはならなそうだと聳え立つ灰色の建物を見て思った。出入り口の門に近づく部外者に、両側に立つ歩哨が警戒の視線を向けてくる。

 ローランは両手を上げて敵意が無いことをしめしてへらへらと笑った。

「そう睨まないでくれ、怪しい者じゃないよ。借金の取り立てさ。ピーター・カソヴィッツはいるかい?」

 用意してもらった督促状を見せる。門番がそれを受け取ってもう一人に聞いた。

「カソヴィッツだと。知ってるか?」

「いいや、知らんね。ここにどれだけの人間がいると思ってるんだ。それと、その風貌で怪しくないってのを主張するのは無理がある」

「違いない」ローランはつとめて同情を誘うような声を出した。「部屋番号は聞いている。できれば入れてもらえるとありがたいんだが」

「それで、お前がもし中で問題でも起こそうもんなら俺たちは揃って責任を取らされるってわけか? 正式な許可を取ってくるんだな」

 にべもない態度の歩哨に督促状がつき返される。

 予想通りの反応。強行突破──問題外。夜陰に乗じて侵入するのもうまくない。見つからずに済むとは思えないし、そこまで危ない橋を渡るほどの仕事でもない。ラッセルに倣って袖の下を渡そうかとも考えたが、途中で会う兵隊全員にそうしていたのでは手持ちがいくらあっても足りはしない。ローランはおとなしく引き下がった。

「出直してくるよ。ああ、ちょっと聞きたいんだが、非番の連中がたむろしてる場所に心当たりがあったりしないか?」

「安酒を出す酒場や玉突きの遊技場。それか、記念公園だな。金が無い奴は、大体あそこでくだを巻いてるぜ」



 陽が落ちて残照が見える時間だというのに、すり鉢状に石を積み上げられて造られたその公園は世代を問わず大勢の人間で溢れかえっていた。

 喧騒。酒の臭い。煙草の臭い。街路に座った若い男たちが喚きたてている。爪先立ちになって街灯の明かりを頼りに人ごみの中からそれらしい人物を探した。

 兜を脱いだ二人組みの州兵が記念碑である石柱のそばで談笑している。片方は金髪で、もう片方は黒髪。ローランはほくそ笑んだ。周囲を見渡し、盛況している屋台で挽肉を挟んだパンの揚げ物三つ注文して彼らのもとへ向かった。

「ちょっといいかい」

 ローランは周囲の騒音に負けないでかい声を上げた。それが自分たちに向けられたものと分かると、州兵どもは露骨に鬱陶しそうな顔つきになった。

「聞きたいことがあるだけさ。別に知らない仲でもないし、構わないだろう?」

 ローランが手に持っていた食べ物を差し出す。金髪は舌打ちして煙草の火を記念碑で潰し、それを受け取った。「あのときのあいつか」

 ローランは笑った。その兵隊は昨晩に金を受け取ってラッセルを見逃した巡回だった。黒髪は相棒の様子を怪訝に思ったようだったが、結局は口を挟まずにローランの差し出した物を無言で受け取った。

「人を探してるんだ。ピーター・カソヴィッツって男でね。州兵らしいんだが、兵舎には入れてもらえなかった。そいつの立ち寄りそうな場所を知ってたら教えてほしい」

「厄介ごとか?」金髪の男が言った。

「どうだろうな。身から出た錆って気もするが」

「なるほどね」

 金髪が腑に落ちたような態度を見て、ローランは訊ねた。

「知り合いかい?」

「昔、同じ部隊にいた。まあ、だらしない男ではあったな。奴はいまドツボにはまってるのか?」

「どうだろうな。額を見る限りは、半々ってところだ」

 ローランが督促状を掲げて見せると、二人は苦笑いして天を仰いだ。

「まあそんなわけで、やつの居そうな場所や私宅なんかがあれば教えてもらいたい。友人を陥れるようで気が引けるかもしれないが、こればっかりは払えなかった奴の負けだ」

 金髪がさり気なく遠くを指差す。その先には、背中を向けた黒髪の男。景気の悪そうな顔でちびちびと酒を飲んでいる。

 ローランは目を瞬かせた。「あれなのか?」

 金髪は頷いた。「運のいい奴だな、あんた」

「日頃の行いってやつかもな。世話になった。ああ、俺はローランだ。そっちは?」

「ジョベール」

「もし今度会ったら改めて礼をするよ」

 ローランは二人から離れ、カソヴィッツが移動するまで待った。やがて金の尽きたカソヴィッツらしき男が酒瓶を投げ捨て、悪態をつきながら記念公園を出ていく。

 ローランはそれを追う。人ごみを掻き分けながら距離を詰める。カソヴィッツはそわそわした様子で何度か肩越しに振り返るが、外套のフードを被り、身を屈めて通行人を盾にしながら追うローランに気付けない。

 通りから外れ、寂れた木造の借家の前で足を止めたカソヴィッツは、ポケットから鍵を取り出そうとして地面に落とした。拾おうと慌てふためきながら屈んだところでローランが素早く背後に忍び寄る。

「ここがあんたの隠れ家なのか? 余計なお世話かもしれんが、こんなあばら家を借りるくらいなら多少なりとも返済に充てた方がいいんじゃないかね?」

 文字通り飛び上がった男が振り向いたところで口元を押さえた。古びて白くなった木板に押し付ける。羽目板に覆われた家全体が軋んだような音がした。

「用件は分かってるな?」

 男は首を縦に振った。それから、横に振った。「払えない。もう少し待って──」

「まったく持ち合わせがないってことは無いだろう」

 カソヴィッツの衣服のいたるところをまさぐったが、金目のものは出てこなかった。ローランは鍵を奪い、壁に押し付けたまま片手で家の扉を空けた。

 せめて何かしら返済の足しになりそうなものをと思ったのだが、狭苦しい家の中は外観と同じくみすぼらしいものだった。家具は棚が二つと、机が一つ。寝起きには使っていないようだった。棚の中身はがらがらで、たった一つだけの書類綴じ以外には数枚の紙が散らばっているだけだった。

 殴りかかってきたカソヴィッツの拳を避け、逆に脇腹へ膝をめり込ませた。床の上に倒れて嘔吐するカソヴィッツを足蹴にして書類の中身を確認する。どうやら何かの名簿らしい。

「何だこりゃ、どういうことだ? わざわざ隠れ家を借りて保管するような代物なのか、これが?」

「金ならもう少ししたら入ってくる。だから、返してくれ」

「説明しろ」

 カソヴィッツが握り拳をつくって体を震わせる。背中を押さえつけたローランの足が梃子でも動かないことを悟ると、咳き込みながらいった。

「客の名簿だ」

「客? あんたの? 軍人がいったいどんな客を取るっていうんだ?」

「副業だよ……他も大勢やってる。だから、俺もやってやろうと……連邦の奴らが余計なちょっかいをかけたせいで客が尻込みしてなけりゃ、今頃は何もかもうまくいって金を返済できてたはずなんだ。だから、もう少しだけ待ってくれ、頼む」

 書類を棚に戻してローランはしばらく思案した。「どんな事業だ?」

「主に企業の護衛で……ここは治安が治安なもんで、そういう需要は多いんだ。あとは軍需品を卸したり、その、物が出たり入ったりするのを手伝ったり」

 つまりは、横流しに密輸。「なるほどね、そういうことなら少し待ってやってもいいぜ」

 ローランが足をどかす。カソヴィッツは信じられないといった顔つきでローランを見上げた。

「ただし、条件がある。俺にも一枚噛ませろ。そうしたらギャレーの方はうまく取りなしておいてやるよ」

「断ったら、どうなる?」

「滅多なことを聞くなよ。あんただって、折角の商売を台無しにしたくはないだろう?」

 カソヴィッツは目を赤くして歯噛みをし、やがてうなだれるように首を縦に振った。

「よし、契約成立だな。それじゃあ、今日は利子分だけもらおうか。そうしないと言い訳すら立たんし、俺の立つ瀬も無いからな」

「だから、そんな金は──」

「別のところから借りてくりゃいいのさ」

 ローランは言葉を失ったカソヴィッツの腕を掴んで床から引き起こし、背中を強く叩いた。

「さっさと他の金貸しの店に案内してくれよ、俺はまだこの街には不慣れなんだ。なあ、そうしけた面をするなって。そんなんじゃ幸運が裸足で逃げ出しちまうぞ」

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