第二十一話 平助、女難に遭う

 脳内で反響する言葉。僕は、かがりさんが怒る理由が分かってしまった。きっと今日までは、佐久場さんがなだめていたのだろう。かがりさんは、佐久場さんの言うことだけは絶対に聞く。しかし今は、制約がない。佐久場さんは、まだ僕の隣で寝ている。どうすれば。


「なにも気づかずに斬られれば、安らかに死ねただろうに」

 忍者が口元の布を下ろし、言葉を発した。予想通りに、最悪の声。


「かがりさん!」

 僕は叫ぶ。まだ死ねない。死んでしまえば、なにもできない。せっかく、サキュバスが僕に機会をくれたのに。

 まだ僕は、全裸で。身体を起こしただけで。こんな無様なまま、死にたくなかった。


「死ね」

 かがりさんの姿が消える。狙いはどこだ。心臓か、首筋か。ともかく。

「南無三!」

 サキュバスを前に神仏に祈る。ちゃんちゃらおかしい。苦笑しながら、僕は右へ転げる。二回転ほどしてから、姿を現したかがりさんと向き合う。その時。


「すぴー……」

 ゴロン。

 佐久場さんが寝返りを打ち、艶かしく身体が動いた。恐らく疲労もあるんだろうけど、この状況でも寝られるなんて。いや、モゾモゾはいりません。僕は今、命がヤバいんです。


 佐久場さんに目を凝らしかねない自分を叱りながら、僕は必死にかがりさんを見ようとする。が。


「ハア…。ハア……」

 相手は佐久場さんをガン見していた。それも、変態モード丸出しで。つまり、チャンス! 逃げる? 否。命を守るには、攻める!


「らあっ!」

「へぶっ!?」

 近くにあった枕を手に取り、かがりさんに投げつける。昨日の行為で汁気も匂いもあるけれど。とにかくぶつけてやるしかない。不意討ちされたかがりさんは、顔面に枕をモロに喰らって。このまま倒れてくれれば、助かるのだが。


「すはー!おひょうしゃまにょにほひお嬢様の匂い!」

 あ、なんかトランスした。クンクン嗅いでる。やれやれ。どうにかなりそうだ。と、思った瞬間。


「おごっ!?」

 立ち上がろうとした僕に襲い掛かる、腰の激痛。そうだ。先月もあの客間で。

「同じことをやらかしていたっけ……」

 立ち上がれず、せんべい布団に倒れ込む。途中。頭が佐久場さんの足に当たって。


「痛っ! 松本さん、なんですか……って、えええええ!?」

 耳を裂くような悲鳴が、僕を貫いていった。



 三十分後。

「全く! 信じられません、二人共!」

 怒れる佐久場さんのお声が、僕達を薙ぎ払っていた。うん、仕方ない。なにせ朝一番から、佐久場さん越しに命のやり取りをしていたのだから。


「かがり」

「はいっ!」

 正座しているかがりさんが、ビシッと姿勢を整えた。凄い。髪は一つ縛り。Tシャツにスカートのラフスタイルなのに、ラフ過ぎて胸がシャツを押し上げてしまっているのに。ツッコミを許さない雰囲気だ。その証拠に。かがりさんが、完全に圧倒されている。


「私がなにに怒っているのか、理解できましたか?」

「はいっ!」

 うわぁい。えらいことになっている。佐久場さんが、夜叉に見えるぞ。僕の命を狙ったから、ざまみろ、とも言いたいんだけど。取り敢えず顔はニヤける。が。


「松本さんっ!」

「ひゃいっ!」

 マズい。夜叉の矛先がこっちに来た。ニヤついてたの、バレた?


「……。かがりを止めて下さり、ありがとうございました」

 しかし放たれたのは感謝の言葉で。あれ? 怒ってない。助かった? 頭が下がると、谷間が見える。エロい。


「ですが」

 あ、やっぱり駄目か。ごめんなさい。エロい目で見てごめんなさい。


「人の話も聞かずに逃げ出した罪は、重いです。女を泣かせた罪は、重いです。よって、そのまま一時間。正座しててください」

 冷たい声で言い放たれる。うぐっ。腰が痛むのに、一時間も正座かあ。まあ、生きていたので良しとしよう。なお、僕にお仕置きを悦ぶ趣味はない。


「かがり」

「はっ!」

 再び矛先がかがりさんに戻る。うわっ、背筋がピンピンにに伸びてる。


「貴女は家の大掃除よ。住人が、増える可能性があるからね」

「承知!」

 ヒュンッ!

 返事の後の風切り音。それを聞いたかと思えば、既にかがりさんは消えていた。自分の立ち位置に舞い戻ったのだろう。切り替え、早いなあ。


 佐久場さんは、かがりさんの去った方向を暫く見送って。その後。

「さて。足を楽にしてもいいですよ?」

 彼女は笑顔で、前言を撤回した。


「えっ」

 貴方が言った罰なのに、なぜ? そう言わせるだけのことは、僕はやったのに。でも、佐久場さんは笑顔で。


「半分以上は本気ですが、残りはかがりへのポーズです。あの人、拗ねると本当に危ないので。お身体も疲れてるでしょうし、楽な姿勢を取っていただければ」

 なるほど。昨日の行為もそこそこ激しかったし、腰はとにかく痛い。ここは佐久場さんの気遣いに甘えるとしよう。


「ありがとうございます」

 ゴロンと腰を伸ばした僕に、佐久場さんは頭を下げて。

「では、お話しましょうか。本当に、最初から。サキュバスの私が、お膳立てしてたようですし」

 佐久場さんが僕に向ける、青い眼差し。わずかに見える陰が、示すものは。


「私と貴方が初めて出会ったのは。あの日の、あの公園。それに偽りはございません」

 その言葉が、皮切りで。


「その前の私は、童貞を狙って乾きを癒しておりました」

「都市伝説。紅い瞳の童貞泥棒、ですか?」

「はい。恐らくは」

 拾った噂の真実が明かされ。


「更にその前は、いわゆる『ビッチ』と呼ばれても仕方ないほどの不行状でした。思春期や反抗期と重なって、今よりも血の疼きが酷かったのです。『あてがい』の男性だけでは、抑え切れませんでした」

 衝撃的な事実も打ち明けられた。正直、想像もつかない話だ。今の佐久場さんは、こんなに真面目なのに。


「結果。あまりに不行状が過ぎて、留学を名目に一年程幽閉されました。実は私、十八歳なんですよ?」

 力のない微笑み。その目尻に、涙が見えた。きっと、若気の至りに対する反省なのだろう。


「幽閉を終えても、もう元の学校には戻れませんでした。戻りたくありませんでした。適当な高校へ転校すると決めて。諸々の準備を終えた日の夜でしたね。あの日は」

 彼女は懐かしむように言う。引っ越しに備え、童貞を探していたのだろうか。


「貴方と出会ったのは、本当に偶然でした。貴方が私に吸い寄せられたように、私も貴方に引き込まれていたのです」

「えっ」

 今まではただただ頷いていたのに、遂に口を挟んでしまった。有り得ない。僕は中性的で。イケメンという顔ではなくて。今まで異性から好かれたことなんて、ほとんど無かったのに。


「私だって、分かりませんよ。なにかが私の中を駆け巡って。突き動かされていたんですから」

 佐久場さんは、心底分からないという顔だった。恐らく、それは真実なのだろう。


「ですが、翌日。貴方が私の顔を見て。動揺した時に確信しました。貴方は、『私と非常に相性が良い』のだと」

「はあ」

 いよいよ意味が分からなくなってきた。相性がいいから、ここまで関係が深まった。そういうことなのだろうか? そこに佐久場さんの、感情はあるのだろうか? 僕の顔に、疑問の表情が浮かんで。

 引っ掛かったのだろう。佐久場さんは、僕を見て。口を閉じて。考え込んでしまった。


 悲しいことに、僕もどうすれば良いのか分からなかった。沈黙が、部屋に続いて。


「……。その。アレコレしたままでしたね。一旦、お片付けしませんか?」

 打ち切りを告げたのは、佐久場さんの方だった。

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