大神官サーシル・フェルトリサス

 アラン達の下へとやってきたのは二人の人影。

 一人はフェアには劣るものの、女神と呼ばれるのも頷ける美貌の金髪の女。神官特有の真っ白なトゥニカを身にまとい、同じく白いケープを羽織っていた。

 もう一人は黒い服を纏った男。長剣を携え、背筋を伸ばして歩く姿に真面目さがうかがえる。傍目からは異常な程ガタイが良いように見えるが、耳を澄ませればチャラチャラと金属同士が擦れる音が聞こえる為、中に鎖帷子を着ているのだとわかる。

 金髪の女性は階段を上りきり、会議場内へと足を踏み入れるとそこにいる二人の巨大な人影に一礼をした。


「今日はこのような場に集っていただき、まことにありがとうございます。わたくしは共生都市国大統領を務めさせていただいています、サーシル・フェルトリサスと申します。以後お見知りおきを」

「我とは“元勇者一行”時代に会ったはず……だがな?」

「はい……あの時の私は信仰心が至らず、ヒトの言葉に真摯に耳を傾け、そして寄り添う。という神官の成すべきことを失念しておりました……魔王様の御心を考えもせず、ただ倒すという事だけをなしてしまった私の非です。まことに、申しわけございませんでした」


 バルドロスは少々驚き、アランは慌てた。バルドロス達の護衛達からもざわめきの声が上がる。サーシルがアランに向かって“頭を下げたため”である。


「お前は馬鹿なのか! このような場で頭を下げるなど、自らの国を貶めるような行為であると知らんのか!!」


 アランの叱りつけるような声に、ビクリと肩をすくめるバルドロスの護衛達。その迫力にファンファンロも眉を動かしたが、サーシルの傍に立つ男は岩のようにピクリとも動かなかった。


「……はい、存じております。ですが、私は魔王様がそのような御方で無いと信じておりますので」

「……もう良い、面を上げよ。今の謝罪は我とこの女の個人的なものであり、公的なものとしてこの場では存在し無かったものとして処理する。良いな」


 アランの言葉に頷く護衛達。サーシルもホッと肩をなで下ろしたが、一人の男は首を左右に振って言った。


「そもそもんなこた興味ねえからどうでも良い。それよりも研究の邪魔をしたことに対して謝ってほしいものだな。このせいでどれほど多くの研究が遅延すると思っている」


 バルドロスの言葉にアランは睨み、サーシルは凍りついた。バルドロスはアランのことを横目に見ながらも言葉をつづけた。


「研究の遅延による経済損失、指揮系統混乱による研究の失敗にて発生する損失。一千万ゴールドは下らないかもな。それで? 賠償するのか?」

「研究の失敗による損失など、お前の責任であろうが」

「……何故そう言い切れる? 完璧なものなど存在しないのに。それに、俺自身の事をたてまつるわけじゃないが……仮にも俺は、“閃魔将せんましょう”と呼ばれた男だぞ?」


 その返しに、言葉を詰まらせるアラン。サーシルはわずかに青い顔をし、続くバルドロスの言葉を待っていた。バルドロスは立ち上がってサーシルを睨みつけ、そして仮面の口元が動いた。


「……なんてな。恐怖したか?」

「え……?」

「……ふざけた尼だ、このクソ女郎にゃろうが。こんなところで簡単に頭を下げてんじゃねえよ馬鹿が。どうとでも返す言葉はあっただろうに黙りこくって何も言わねえ、更にはそれを受け入れようとする……お前は政治家に向いてねえ、この脳味噌花畑ド低能女郎が。こんな女の為に俺がここに来ないといけなかったとは……世の中クソだな」

「……バルドロス、言い過ぎだぞ」


 バルドロスの言葉を辛そうに聞くサーシル。アランはそんな彼女の事を観察しながらバルドロスを咎める。仮面の男はさも嫌そうに溜息をつくと、再び紙に何かを書きつづり始めた。


「我はバルドロスの目的に気が付いて小芝居に乗ったが……まさか、ここまで何も考えていない女だったとはな…………ここは、真心や友情などといった生易しい物がまかり通るような場所では無い。“腹踊りも出来んような者は国の長には相応しくない。”お前も人間の神官ならば人間領にあった滅びた国、モルト=ディクロンズ公国の事ぐらい聞いたことがあるだろう」


 体をアラン達の方へと向けながらも、悲しみを堪えているような辛そうな表情のサーシル。アランはそんな様子にイライラしながら次の言葉を言おうとした。

 が、思わぬところから入ってくる遮りの言葉。


「やめろ。これ以上サーシル様を傷つけるならば俺がお前を斬「おい、“黒服”。口を慎め。魔王様はお前が直に口を聞いて良いような御方では無い。殺すぞ」

「……魔族領の侍従長、ファンファンロ・リーンレイか……やれるならやってみるが良い」


 剣の柄に手をかける護衛の男。二人の言動をぼうっと眺めていたサーシルは男が剣に手をかけたのを見て、バルドロスの護衛達が謎の姿勢で鉄の棒を抱えあげるのと、ファンファンロが袖をまくりあげようとしたのと同時に、声を張り上げた。


「ザムラビ、おやめなさい! 今すぐその剣を仕舞うのです!」

「しかし……」

「黙りなさい! あなたは我が国を滅ぼすおつもりですか!」

「……了解」


 ザムラビと呼ばれた男は柄から手を離して、一歩下がった。他の護衛達も手を降ろし、少々ホッとしたような表情を浮かべる。サーシルはアランの方へと向き直し、大きく深呼吸をした。

 そして、


「私の護衛が……まことに申し訳ございませんでした!」

「貴様……っ!!」


 サーシルは再び頭を下げた。アランは激昂しかけたものの、サーシルから何かを感じ取りなんとか心奥底に閉じ込めた。バルドロスは気にも留めずに作業を続け、サーシルは頭を上げてアランをまっすぐに捉えながら繋がる台詞を吐いた。


「モルト=ディクロンズ公国、かつて人間領南部を治めていた国。しかし、現在人間領の大半の地域を治める帝国の当時の人天王との会談中、モルト=ディクロンズの大公が過去に起きた非礼に頭を下げてしまった結果、それを口実に人天王によって損害賠償という名目で国の財を搾り取られ……財政が苦しくなったところに攻め込まれ……滅亡した国、ですね」


 アランが知る史実と同じ内容であったため、説明に深く頷きながらかの一族を蔑っする。


「あぁ、その通りだ。まぁ人天王一族は根から腐った者が多いがな……」

「あまりそんな事を言ってはいけません。ヒトは懺悔し、悔い改めれば“誰でも、救われる”のです」


 サーシルが何気なく語った言葉がアランの逆鱗に触れた。アランの魔力は一瞬にして荒ぶり、ファンファンロやザムラビは冷や汗を流し、バルドロスは意に介さずに作業を続けているものの護衛達は震えあがり、バルドロスの傍にいた少年然とした白衣の男は魔力に当てられて気絶していた。


 魔力に当てられた鳥達が狂ったように一斉に飛び去る。


 アランの怒りを直接向けられたサーシルは、生物としての本能的な恐怖からガチガチと歯を鳴らし大きく震えながらも、目は逸らさずに言葉を紡いだ。


「わ、私は……神官です! 神官とは……ひ、人々の心の支えと、な、なるものです!!」

「…………」

「そんな者が……ヒトに謝ることすら、できないなど……話になりません! どれだけ……叱られようと……脅されようと、私は神官としてこの意志は曲げません!」


 魔力が暴走したまま首を左右に振り、「くだらんな」とアランは一蹴する。


「神官がどうした、ならば貴様は一人でも救えたのか? 人間を、魔族を……命を!! 神官などという、薄っぺらな、聖人という名の皮を被った偽善者共が!!」

「アラン」


 流石に見かねたらしいバルドロスから怒気の籠った声が放たれる。だが、激昂したアランの耳には届かず、ただ、その怒りに絡め取られどこかに消えゆくのみだった。

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