「東雲四十万」

 悠が気を失った頃。

 与那国海底遺跡の北西に位置するインビ岳に、その男はいた。


「『力(ちから)タンナーバ』……か。まさか、本当に出てくるとはね」


 夏だというのに薄手とはいえ黒いコートを羽織ったその男は、微笑を浮かべてカーキの迷彩に塗られた軍用双眼鏡SAFARI M825Ⅱを目から離した。今では(古いという意味で)貴重な双眼鏡だ。


 男の切れ長な瞳は冷たいナイフを思わせた。短く刈り揃えられた黒髪は頭頂部だけが少し長めで、まるで鶏のようだった。眉間には、深い縦ジワが刻まれている。渓谷を思わせるシワの奥には、薄っすらと“”縫い跡“らしきものが見えた。


 細いスラックスで直接見えないにも関わらず、その男が強靭な足腰を持っているのが分かる。それは上半身も同様だった。これはその男の持つ“雰囲気”が見せるものだ。年は二十代半ばにも見えるし、四十くらいにも見える。年齢不詳な見た目だった。


 男の後ろには三組の家族連れと、一組のカップルがいた。インビ岳の展望スペースにある、橙色の琉球瓦の屋根を持つ東屋には、今、この男を除いて十三人の人間がいる。


 その全員が海底遺跡ダイビングスポットで起こった出来事を目撃していた。大人も子どもも男も女も、皆が今目にした“巨人”について熱く語り合っている。「なんだあれは?」「軍艦を投げ飛ばした!」「凄い! かっこいい!」「信じられない」「あれ、映画の撮影だったのかな?」……などと、見も知らぬ他人同士でありながら、額がくっつかんばかりに激論を交わしている。


「なぁ、あんたはどう思う?」


 すでに成人した娘を連れている、でっぷりと太った中年男が、コートの男に問いかけた。コートの男だけは皆に背を向け、未だ海の方を見ていたからだろう。


「…………」


 コートの男は呼びかけを無視し、懐からカード型のフィニッシュフォンを取り出した。フィニッシュ(完成)フォンとは、第五世代多機能携帯電話の愛称だ。略して「フィニ電」「フィニケー」などと呼ばれるこの携帯端末は、メーカーが「もうこれ以上の進化は出来ない」として二年前に発売した物だった。この男の持つ機種はレトロタイプで、誰が見ても携帯端末だと分かる形になっている。わざわざこれを使う場合は、その使用者の「好み」だと解釈される。


 男はカードを耳元に当てると、


「俺だ。NS関連事案PPCを実行せよ。A.S.A.P。位置情報を送った」


 とだけ呟いて端末を懐に戻した。


「はぁ? 何を言っているんだ、あんた。わしはどう思うかと……っ!」


 ぐい、とコートの男の肩を掴んで振り向かせた中年男が、そこで言葉を切った。振り返らせたコートの男が、肘だけ軽く曲げて構えた9mm拳銃を、中年男に向けていたからだ。


「俺か? 俺はこう思うよ」


 抑揚のない声でそう答えたあと、コートの男はトリガーを引いた。艶の乏しい黒々とした銃の上部が素早くスライドし、撃鉄を起こす。直後、戻った。


 パン、と銃が吼えた。


「あ、が」


 小さく呻いた中年男が仰向けに倒れた。


「きゃあぁぁぁぁっ……」


 パン。


 悲鳴を上げた中年男の娘を、コートの男は機械的な動きで撃った。白いワンピースをはためかせ、娘は父の隣に倒れ込んだ。


「な! なんだ、こいつ! ぐあ」


 続いて無造作に伸ばされた髪型をした、若い男が撃たれた。こちらで買ったのだろう黄色いかりゆしが、倒れた際に地面と擦れてずり上がった。


「いやぁ! ミッチー、いっ!」


 かりゆしの男の彼女も撃たれた。


 上体だけを巡らせて、銃の射線に入った者を、迷わず冷静に撃つコートの男。表情はなにもない。ぱんぱんぱんぱんぱん、と規則的に発射された弾丸は、これで9発。男はコートの懐から銃のマガジンを取り出し、換装し、また撃った。鈍い黄金色の光を弾く薬莢が、キン、キン、キンと地面を叩き、同じ数の人間が、どさどさと倒れていった。


 最後に残ったスーツの男が、東屋の柵に背をつけて、両手を前にして震えている。がちがちと震えて歯の根も合わぬ風だが、スーツの男はそれでもなんとか言葉を発した。


「な、なんなんだ、お前は? なぜ、こんなひどいことをするんだ?」


 規則的に銃を撃っていたコートの男が引き金にある指を止めた。ここまで、わずか一〇秒ほど。ここに来て銃撃を止めるとは、スーツの男も思っていなかった。スーツの男には、他の人間が犠牲となって作り出された時間があった。おかげで質問が出来、撃たれるまでの時間を引き延ばせた。運が良かったのだ。


 コートの男はスーツの男のジャケットをちらと見た。そして、真っ直ぐに伸ばした右腕にある9mm拳銃をスーツの男に突きつけたまま、もう片方の手を腰の後ろに突っ込んだ。


「操(くそったれ)!」


 その所作を見とめたスーツの男が、聞き慣れない言葉を叫び、懐に手を入れた。


「やっぱりな」


 コートの男の左手には、すでに黒光りする《SIG SAUER P226》が握られている。銃口はスーツの男の胸に、ぴたりと狙いをつけている。


「判断ミスだな。お前は、他の者が撃たれている隙に、俺を撃つべきだった」


 SIGの上がスライドし、撃鉄を起こした。

 ドン、と今度は少し重い音がした。


「唖ー……、」


 スーツの男の胸に、真っ赤な花が咲き誇った。スーツの男は懐から出そうとしていた拳銃を取り落とすと、崖となっている東屋の柵の向こうへ、背中から落ちていった。


 コートの男は柵へゆっくりと歩み寄り、下を覗き込んだ。いろんなところに体をぶつけたのだろう。崖下には、壊れた人形のように、スーツの男が転がっている。


「ふん。ばれていないとでも思ったのか、バカめ。大体、観光に来るような格好じゃないだろう。まぁ、俺も人のことは言えないが。舐められたもんだな、我が国も」


 強烈な日差しと熱気の中、コートの男は闇のように黒い瞳を、海の遥か向こう側へと向けた。


 ほどなくして、撃たれた人々の横たわる展望スペースに続く道を、一台のバンが駆け上がってきた。黒一色に塗られたバンは展望スペース入口に停まると、三人の屈強な男を吐き出した。


 三人はそれぞれに何の特徴もない作業服に身を包んでいる。だが、素早くコートの男の元へと走り寄る動きは機敏で、訓練された者独特の雰囲気を醸し出していた。


「東雲(しののめ)一等陸尉。PPC実行いたします」


 小さめながら、低くて重い声だ。三人のうちで一番大きな男が、コートの男の前で直立し、敬礼した。背筋に鉄筋が入っているかのように真っ直ぐな姿勢だ。やや後ろで残りの二人も敬礼している。目深に被ったグレーの帽子のせいか、三人ともおよそ特徴というものがなく、“ただ大きい”としか表わせない。こうすると灰色の作業服が、軍服にすら見えてくる。


「ああ。頼む」


 コートの男は胸のポケットからセブンスター(復刻版)を取り出して火をつけた。そうしている間に、もう三人の男たちは手近な人間から車に乗せ始めていた。


 東雲一等陸尉と呼ばれたコートの男は「ふぅ」と煙を吐き出し、「加藤。誰もいないから敬礼したんだとは思うが、念のため、外ではやめろ」と、一番大きな男に向けてそう言った。


「は」と手は休めず短く返答した加藤に、東雲は「ま、お前のそういう固いとこは、好きだがな」と破顔した。


 加藤はそんな東雲をちらりと横目で見ると、また「は」とだけ返事した。少しだけ頬が赤い。


「しかし、今回初めて使ったが、新しく開発された《テイザー(麻痺)弾》は凄いな。これだけの至近距離で撃ったにも関わらず、本当にただ気絶させるだけで済むとは。これなら一般人でも遠慮なく撃ちまくれるというものだ」


 東雲はたばこを咥えたまま、懐の拳銃を取り出した。9mm拳銃。未だに陸上自衛隊制式銃として活躍している銃だ。腰の《SIG》は実弾入り。東雲は二丁の銃を使い分けていた。


「……ですが」と加藤は中年男を背負い、「いきなり撃つとは」と首を振った。


「仕方ないだろう。一人や二人ならば説明して穏便にご同行願うところだが、いくらなんでも目撃者が多すぎた。拒否する者が出れば厄介なことになるし」


 東雲はがけ下を親指で指し示し、「あんなモンまで混ざっていたからな」と吐き捨てるように言った。


 直後、「収容終了しました」と、加藤より少し小柄な男が東雲に報告した。展望スペースは何事もなかったかのようになった。


「崖下の死体はどうします?」


 加藤が東雲に問いかけた。


「ほっとけ。あとは警察がやるだろ。勝手に捜査させればいい。どうせどこにも辿り着かん」


 コートを翻した東雲は、紫煙を連れて踵を返した。



 東雲(しののめ)四十万(しじま)。陸上自衛隊『ナイン・サウザンド』特務部隊小隊長。階級は一等陸尉。


 二年前まで佐世保の西部方面普通科連隊に所属していたが、とある事件をきっかけにして現在の部署に飛ばされた男だ。


 佐世保では、こう呼ばれていた。


『東雲ベルセルク(狂戦士)』と。



 東雲は流麗なデザインを持つオレンジ色の《ロータス・エリーゼ》で海岸線を疾駆していた。TOYOTAエンジンを積む、ロードスタータイプのイギリス車だ。軽量にしてハイパワーのエリーゼは、時速一〇〇kmまで、わずか五秒足らずで到達する。


「巨人の存在など信じていなかった俺に、この任務は閑職でしかなかったが……どうしてどうして。面白くなってきたじゃあないか。あの巨人は、国防の切り札になる……」


 東雲は心地良いエンジン音と重なるようにそう言って、車窓からたばこをピンと投げ捨てた。東雲はモラルに欠けた男だった。


 巨人を見た瞬間、東雲の脳裏には、領海線を平気で越えて来る、疎ましい中国への過激な対策が浮かんでいた。


 ――人外のものが、勝手に攻撃したことにする。未知の物体が勝手に日本の領空領海を守るのだ。それならば日本政府の責任は問われない、と。


「……さて、と。次は、あの少年を確保しなければ、な」


 東雲の口元が歪に上がった。


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