第42話 わかば再び

 白男川の孫が通う四つ葉保育園は、ちょうど帰宅する方向にあるという。


「あなたは、私のところの学生ということで、お願いね」

「学生にしては、年を取りすぎていませんか?」

「何言ってるの。十分現役で通用するわよ。それに、大学に年齢制限はないのよ?」

「そうですね。わかりました」

「それで、私は先生たちとちょっとお話をするから。うちの卒業生も働いているの。あなたは、まず晴菜と話をしてちょうだい。それで、わかばちゃんを何とか探して」

「はい。そこのところは、考えてやってみます。せっかく作っていただいた機会ですから」

 運転中の白男川は、くすっと笑った。

「力を入れすぎないでね。正しい道なら次が見えてくるから」

「はい」

 司は、握っていたこぶしを慌てて開いた。



 到着した四つ葉保育園は、お迎えの時間としてはやや早かったため、保護者の姿もなかった。

「これなら、迎えに来たお母さんと鉢合わせることもないでしょう」

 杖無しですたすた歩きながら、白男川がそう言った。

「はい。何から何まで、ありがとうございます」

「私は面白がっているだけですからね」

 駐車スペースから門まではすぐそこだ。しっかり閉めてある門の近くまで歩いたところで、中から小走りに若い女性がやって来た。

「先生、お待ちしてました」

「あら、中木村さん。お元気?」

 彼女に声を掛けてから、白男川は司を振り返った。

「祖母といえども、いつもと違う人が迎えに来るときは、連絡が必要なの」

「そうですね。そういうことにも、気を配らないといけないんですね」

 司が大きくうなずいていると、門を開けてくれた中木村が「学生さん?」と笑いかけた。

「山田と申します。お邪魔します」

「園長先生にお願いしておいたんだけど。児童心理学専攻の子」

「はい、聞いています。卒論、大変ね」

 中木村は、わかっているわよというような顔を司に向けた。

「今日は、様子を見るだけだから、園庭だけでいいって聞いているけど」

「はい」

「正式にここに通いたいっていうことになったら、改めて中を案内するわ」

「はい。そのときはよろしくお願いします」

 司が丁寧に頭を下げていると「ゆみこせんせーい!」という大声と共に、走ってくる姿があった。

「はるちゃーん」

 さすがの白男川も、でれでれである。

「ほんとにきてくれたんだぁ、ゆみこせんせい」

「来るわよ。約束したんだもの」

 飛びついて抱き上げてもらったのは、確かに写真の子だった。

「がくせいさん?」

 目の高さが同じくらいになって、晴菜は司に気が付いた。

「そうよ。こんにちは。山田司っていうの」

「こんにちは、つかさちゃん。ゆみこせんせいと、おべんきょうしてるんだね」

「そうなの」

「いいなあ。はるなも、おおきくなったら、せんせいのだいがくにいくの」

「はるちゃん、由美子先生は、ここの先生たちとお話してくるからね。司ちゃんに園庭を見せてあげてね」

「はぁい」

 地面に降ろされた晴菜は、元気よく右手を挙げた。

「じゃあ、山田さん」

「はい。ありがとうございます」

「あとでねー!」

 白男川と手を振り合った晴菜は、自然に司の手を握ってきた。


「晴菜ちゃんは、おばあちゃんって呼ばないのね」

 司はしゃがんで訊いてみた。

「だって、ここでせんせいしてくれたもん。およそのおばあちゃんたちと、ぜんっぜん、ちがうもん」

「あ、保育園で体操を教えてくれた?」

「うん。おもしろかった! みんな、すっごくおもしろかったって!」

「そっか。みんなに教えてくれたんなら、先生だよね」

「でしょー」

 晴菜はとても自慢げで嬉しそうだった。そして、園庭の真ん中の方へと、司の手を引っ張って行った。

 そうなると、他の子たちも集まりだす。

「だれー?」

「ゆみこせんせいの、がくせいさーん」

「がくせいさん?」

「こんにちはぁー!」

 遊ぼう遊ぼうと寄ってくる子どもたちの相手をしながら、司は目でわかばを探した。

「おにごっこやろうー!」

「おにっごぉ」

 舌が良く回らない子も加わって楽しそうだが、わかばの姿は見えない。

 子どもたちの求めに応じて、しばらく鬼ごっこに付き合った司は、晴菜を捕まえたところで訊いてみることにした。

「えー、わかちゃん?」

 なぜだか晴菜は困ったような顔をした。

「だいじょぶかなあ」

「えっ、なあに?」

「つかさちゃん、わかちゃんをいやなきもちに、させない?」

 晴菜は彼女なりに一所懸命考えているらしい。

「どうしたのかな? わかばちゃんって、誰かに嫌なことをされたりしたの?」

「うーん、よくわかんないけど。おこったり、ないてるときがある」

 司が晴菜の両腕を抱えるようにしたまま話していると、続きをやろうとせがんでいた子たちも、つまらなさそうに離れて行った。そのまま、二人抜きで鬼ごっこを再開したようだ。

 そのとき、近くで一羽のカラスの鳴き声がした。

「カーラースーと、いーっしょに、かえりましょー」

 走り回りながら一人が歌うと、何人かがそのフレーズだけを繰り返して歌いだした。

「そっか。もうすぐ帰る時間だね」

 司が独り言のように言うと、晴菜は大人の女性のようなため息をついた。

「わかった。ゆみこせんせいのがくせいさんだから、しんじる」

 一人前に腕組みをして重々しく言う姿は、三歳児とも思えない。司は思わず笑いそうになって、ぐっと堪えた。

「ついてきて。しーっだよ」

 唇に人差し指を一本当てて、晴菜は司に同意を求めた。

「はい。わかった」

 司が同じしぐさを見せると、ついて来るようにと身振りで示した。


 園庭の一番奥、白いフェンスと建物の間の狭いスペースに、晴菜は入り込んだ。

「わーかーちゃん。はるなだよ」

 コンクリートブロックの仕切りのようなものの奥から、そろそろと小さな左手が出てきて、そこにつかまった。

「あのね、わかちゃん」

 晴菜が何か言いかけたとき、司たちから見て少し先のフェンスに、一羽のカラスが舞い降りて止まった。そのまま、ぴょんぴょんと跳ねて移動すると、かちゃかちゃと音がした。

「これ、きんちゃん」

 晴菜はそれを指さして、司を振り返った。

「きんちゃん?」

「ときどき、あそびにくるんだよ。おりこうなの。わかちゃんがなまえをつけたの」

「そうなの。カラスはおりこうだもんね」

 司がそう応じると、手の主がそろりと顔を出した。

「あれ? おみみのおねえちゃん」

「わかばちゃん」

 それはまぎれもなく、クリニックで出会ったわかばだった。

 切ったばかりなのか、記憶にあるよりも前髪がかなり短かった。


 司は唐突に、数日前に緑川と交わしたLINEの文面を思い出した。




『わかばちゃんが、数百歳の魔女の、世を忍ぶ仮の姿だったらどうする?』

『なんですか、それ』

『お主が来るのをずっと待っておったんじゃーとか言って、アメーバの向こうに連れて行ってくれるとか』

『アメーバっていうの、やめてください』

『話が簡潔になっていいじゃん』



「たすけてあげるんだね」

 わかばはそう言いながら、コンクリートブロックの向こうから出てきた。

 数歩進み出た司は、彼女の前に膝を折って、目の高さを合わせた。


「教えてくれないかな、この子のことを。どうやったら助けられるかを」


 すぐ近くにいるカラスが、カアカアと鳴いた。

 わかばの、赤紫色のまだら模様になっている顔から首にかけての肌を目にすると、司の意識は闇に沈んだ。

 梅雨時のはずなのに、イチョウの葉の香りを嗅いだ気がした。


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