短編集 緑

next-m

僕の思い出

高校で学ぶ生物は面白いとは思えなかった。

僕にとっては、先生が教えたことをテスト用紙にただ書くだけの、つまらない作業の一つだった。

それでも、生物の教科担任は僕の好みの男だった。

蒼白い肌に黒髪が良く映えていて、目は切れ長で黒く輝く瞳とスラリと流れた鼻筋に、少し肉厚の赤い唇を美しいと思わずにはいられなかった。

僕は先生の低く気怠げな声で伝えられる授業内容をBGMにして、先生の美しい顔をノートの中心に描く日々をおくる。

そして必ず、寝る前にノートを広げてこっそりと先生の絵に口付けをするのだった。


今まで描いた先生の絵の中で、僕が一番好きな作品は教科書の文を読むときの先生だ。

下を向いた時の睫毛の間からわずかに見えた瞳に、大人の色気を感じてしまい、いつものようにスラスラと先生を絵に表現することは

できなかった。

何度も試みては赤面するのを繰り返してようやく完成した作品だ。


月日が経つとともに、作品は徐々に増えていき、今日も生物のノートに作品を増やそうと白いページを広げながら待っていると、一人の女教師が教室へ入ってきて「私が今日から生物の授業をすることになりました。」とただ一言だけ言って授業が始まった。

どうして教科担任が変わったのか気になったが、僕はいつもと違う高い声をBGMにして眠りについた。

その日の生物の授業で僕が絵を描くことは無かった。


それから数日が経ち、僕は先生が病気で辞職した事を知った。

病院に見舞に行く生徒もいたが、僕が行くことはなかった。

僕の中で、先生はあの美しい時のままにしておきたかった。

病気で変わった姿は見たくなかったのだ。

そして僕の生物のノートはあの日を境に何も描かれなくなった。


不思議にも、僕の生物の成績は変わらなかった。

絵を描いていたせいか、字を書かなくても耳で聞いて覚えるようになっていた為、声の違いに慣れるには時間がかかりはしたものの、成績が下がることはなかったようだ。


学年が変わり、僕は高校2年生になった。

あれから、あの美しい先生がどうなったかは僕にはわからない。

でも、僕の中で生物の授業はつまらない作業の一つではなく、美しい思い出の一つに変わった。

そして僕は、今日もまた僕の思い出に口付けた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る