第2章 神王と庶王

第6話 王と家臣と魔境の果て

 庶民は逆立ちしても一生に一度も飲めない純粋コーヒーを片手に、まだ魔境が遠くにあったころの青空を思わせる透き通った瞳の少年王は、ゆるりとソファーに腰かけた。

「王よ、今こそ総力戦を仕掛けるときである、違いますか」

「我が騎士よ、いまはその時ではない」

 少年王の口から出てきたのは、小鳥のさえずりのような甲高い声だった。

「しかし――」

 控える騎士は、赤い髪に瞳で、太刀を佩いている。太刀は、魔境によって分かたれてしまった極東の小国の文化だった。

「気持ちはわかるよ、小鳥ちゃん」

 さえずるような声で、少年王は筋骨隆々の家臣を指して小鳥という。その様にはわずかながら侮蔑が含まれていた――。

「功を逸ってはならぬ。――わかるな」

「……はっ」

 極東の小国、かつてメタと言われた王国は、強大な軍を誇っていたにもかかわらず魔境との境にあった神聖サクラダ門をわずか三日で突破され、大陸に魔王の侵略を許した。いまやメタ王国のかつての領土は大陸の大半を呑み込んでしまった魔境の大陸最奥に位置していた。

 騎士はかつて将来の約束されたメタの王子であった。国の跡を継ぐはずだった男が、むざむざ他国の少年王の家臣に収まっているのは、彼の存在を秘す目的もあった。

 メタは魔王と通じていたのではないか――そんな噂が、大陸への魔王侵略から百年経った今もなお、庶民の間では根付いている。メタは小国ながら軍事が発達しており、わずか三日で門を陥落されてしまうことなど考えられない、というのが大まかな見解だった。

「まあ貴様も飲め。このコーヒーは私とて滅多には手に入れることが叶わぬ品」

 差し出されたマグカップを手に取り、口につけたその瞬間。

「まさか本当に飲もうとするとはね」

 相も変わらず高らかな声で少年王は嗤った。


「――う」

 アーサーは酷い頭痛で目覚める。ここはどこだと周囲を見渡して、ああとため息をついた。

「俺、忙しいときに倒れちまったのか」

 食肉加工の工場で、仕事の振り分けと指示を命じられスタッフを二班にわけ仕事に取り掛からせたところまでは覚えていた。そこからの記憶が、ない。

 アーサーは工場の休憩所で、ブランケットをかけられ寝かされていた。

 ガラガラと音を立てて休憩所の戸が開く。そして工場長が入ってきた。

「アーサー、起こしてしまったかい」

「いえ、」

「どうしたんだ? 勤務中に突然倒れたっていうからびっくりしたぞ」

 アーサーは言葉を濁し自分が倒れたのちのことを聞く。

「それはそうと、納期は大丈夫ですか? 俺、復帰しましょうか。まだ昼でしょう、午後からはいけますよ」

「自分が倒れたってのに工場の心配かい? それは本来私の役割なんだけどねえ」

 工場長はハハハと笑い、そしてすぐにやれやれとため息をついた。

「取引先と交渉して、何個かの取り引きは納期を延長してもらった。だから大丈夫だ」

「そうですか……」

 勇者アーサーは食肉加工工場に迷惑をかけてしまったことを謝った。

「いや、いいんだ。それよりマーリン君に連絡したから、そろそろ迎えにくるころじゃないかな」

 工場長は目を細め、胸ポケットに入れていた封筒を取り出す。

「今日の分の給料だよ」

「え……? いや、俺は派遣なんで派遣業者から給料はもらいますよ……⁉」

「わからんかね」

 アーサーはきょとんとする。

「女の子に心配かけたんだ。これでなにか奢ってあげなさい」

「……はい。ありがとうございます」

 アーサーが封筒を鞄にしまったのと、駆けつけたマーリンが戸が破れないかと心配になるほどの剣幕で休憩所の扉を叩いたのが、ちょうど同じだった。

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