第34話 反撃の開始

 雅が立てた、根来からの援軍を撃退する作戦は以下のようなものであった。


 援軍が六城にやってくるためには、両側を崖に挟まれた谷、通称三原の谷を通ってくる事になるはず。そこでまず、その谷の中央辺りに敵から油断される程度の人数の部隊を囮として配置しておき、敵に発見され追われると同時に引き返す。そして援軍が谷を通ると同時に、先発隊が数日前から出向き崖の上に仕掛けておいた大岩を谷の下に大量に落す罠を発動させるのだ。


 これで敵軍は大きなダメージを受けるだろう。そして、それで谷を抜けてくる者がいたとしても、狭い谷の出口で左右前方から取り囲み集中攻撃する手はずだ。


 数を考えれば三千対七千と厳しい条件ではあるが、雅の作戦は兵から好評で、これは勝てるのではと皆の士気は高かった。


 そして部隊は谷の前にたどり着き、囮となる少数部隊が谷の奥へと進んでいったのだった。


 午後三時を迎えたころ、囮部隊が谷の奥から走って引き返してきた。援軍がこの谷までやってきたという事だ。全員に緊張が走る。そしてついに、谷の奥に敵援軍の姿が見えてきた。


 そろそろ崖上から大岩が転がってきて敵を葬ってくれるに違いない。誰もがそれを期待した。


 しかし、しばらくしてもそんなもの転がっては来なかったのだった。


「お、おい、一体どうなってる……」


 もう敵軍はすぐそこまで迫って来ている。このままでは単純な力と力のぶつかり合いになってしまう。兵達の心に恐怖心が芽生えた。すぐにでも逃げ出す者が現れそうな雰囲気だ。


 するとそれを察した杏が突如横の森に向かって駆けだしたのだった。


「数名ついてこい! 罠を発動させに向かう! この場は父上! お任せします!」


 杏の呼びかけに十人ほどがついてきた。そして急斜面を杏達が駆け上がる中、谷の出口付近で両軍の衝突は始まってしまった様子だった。


「早く岩を落とさなければ、谷は突破されてしまう。そして援軍が六城へとたどり着けば、雑賀は滅亡へと向かうことになる……。もはや一刻の猶予も許されない。お前達! 急ぐぞ!」


 杏は後方の兵達に渇を入れるように声を上げ、更に足を速めた。




 その道中、血を流し倒れている雑賀兵を複数発見した。杏は立ち止まりそれを確認する。


「襲撃されたのか……敵兵が付近にいるぞ。そいつらに罠の発動が防がれてしまったらしい」


 罠を発動する予定だった兵達は、敵の分離した兵に遭遇し、殺されてしまったようだった。


「お前達、槍を捨てろ。目立つし、どうせこの先の木の密度ではうまく振るうことも出来ん」


 槍を捨て、更に先に進んで行くと、その味方兵達を殺したと思われる敵兵達の姿があった。


 茂みの陰から杏達はその様子を見る。敵は思いのほか沢山いた。ここから見えるだけでも三十名程度。おそらく、周囲にはもっと沢山いるはずである。


「姫様……あれは明らかに我々だけでは勝てる人数ではありません」


 後ろの兵から杏は声を掛けられる。こちらは十名程度。確かにその通りだ。


「分かっている。だが、今は仲間を呼んでいる時間もない。行くぞ……これが我々の使命だ」


 杏はついに茂みから姿を現し、敵に向かって進んでいった。敵も杏の姿に気づいたようで、矛先を杏達に向けてきた。杏は敵に向かって勢いよく駆け出す。


「全員突撃! だが、いちいち敵を相手にする必要はない! ここを突っ切り、罠を作動させるためのロープを切断すればいいだけだ!」


 杏達は敵の間をかいくぐるようにして仕掛けに向けて駆けていった。




 そして杏が仕掛けの付近に辿りついた時、後方に味方は誰もいなくなってしまっていた。


 どうやら全滅したらしい。そして杏の前方にも後方にも敵の姿が迫ってきている。


「くっ……だがもう少しだ」


 この森を越えた先、崖の前には大岩をせき止めている仕掛けがある。ロープさえ切断すれば、板が外れて大岩が転がっていく。そうすれば敵軍に大打撃を受けさせる事が出来るはずだ。


 しかしその崖の前にたどり着き、杏は絶望した。仕掛けの前に堀が作られており、罠が無効化されていたのだった。ロープを切断したが、その堀で岩は止まってしまった。


「そ、そんな……」


 こうなれば、岩を一つ一つ手で押して落とすしかない。だが、一人では非現実的な話である。


 そうこう考えているうちに、杏は後方を敵の敵兵達に囲われていたのであった。


 その数は三十程度。『これは死んだな……』と杏は悟った。同時に相手に出来る数ではない。


 その時杏は走馬灯というやつか、自身の人生をものすごい勢いで振り返り始めたのだった。


 これまで、杏は雑賀のために尽くしてきた。武術を学び、戦い、指揮をしてきた。


 最後にこうして失敗はしてしまったが、それなりの功績は色々と残してこれたはずだ。


 だとしたら、もういいだろうか。ここで人生の舞台から降りてしまっても。


 杏は死を覚悟し、敵兵に向けていた刀の矛先を、地面へと向けてしまった。


 その時杏の体から何かがポロリと落ちてきた。敵の攻撃によって鎧の一部が破損したからか。


「これは……リオンがくれた発信機……」


 それを見て、杏はその発信機をくれた時のリオンの言葉を思い出したのだった。


『使命の為と言って、簡単に命を投げ捨てる事が美徳って訳じゃない。お前が死ねば悲しむ人間だっている』


『でも、もしどうしても使命の為に命を張らなくちゃならない状況になったら、それを押せ。その時は俺がお前のもとまで駆けつけてきてやる。だから、それまで簡単に諦めたりするな。それがどんなに絶望的な状況であってもな』


 ふと杏は笑いがこみ上げてしまう。一体どの口がそんな事を言っていたのか。自分はもう、この戦から降りてしまったくせに。あんな生ぬるいまやかしの中に閉じこもっているくせに。


 しかし、杏は「でも……」と落ちてしまった発信機を拾い上げ目を閉じる。


「そうだ……約束だったな」


 そしてスイッチを押して目を見開き、崖を背にして、迫り来る敵に刃先を向けたのだった。


「私は諦めない! どんな絶望的状況であっても、最後まで……立って戦う!」


 そこからの杏の戦いっぷりは奇跡に近いものだった。襲い掛かる敵の頭を刀で叩き潰し、鎧の隙間から串刺しにし、掴みかかり崖の下に放り投げ、たった一人で大勢相手に立ち振る舞う。


 しかし、杏の体力も限界が近づいていた。さらには持っていた刀が半分に折れてしまった。


 そして残りの敵が部隊長らしき兜をかぶった者と一般兵の二人になった時の事だった。杏は倒した兵の体に足を捕らわれてバランスを崩し、その場に倒れてしまった。


 それを好機を見た一般兵が杏の元へと駆け寄ってくる。


 何とか顔を上へ向ける杏。するとその時、一般兵が目の前にいて、刀を振り上げていた。


 結局最後の最後まで粘ったが駄目だったか。杏は今度こそ死を覚悟をして目を瞑る。


 しかしその直後、刀と刀がぶつかり合うような音がした。杏は何もしていないのに。


 杏は不思議に思い目を開ける。すると目の前には信じられない光景があったのだった。


「リ……オン……?」


 なんと、目の前にはいつもの宇宙服を着たリオンがいて、敵の攻撃を受け止めていたのだ。


 リオンはちらりと杏の方へ目を向けてくる。


「すまない杏。遅くなってしまった。待ってろ。すぐに片付ける」


 そして次の瞬間、リオンは敵兵を蹴り飛ばし、その首をひと突きにして倒してしまった。


 リオンはその場の最後の敵である部隊長に向けて刀を構える。そしてイコがアバターの姿を現した。すると、部隊長も刀を抜いてリオンに向けて構え、そして声を掛けてきたのだった。


「その姿……。聞いておるぞ。貴様達、雑賀の守護神だな。しかし貴様、なぜ神刀を使わない。その腰に提げておるのは神刀ではないのか」


 確かに、リオンは朧月を所持しているにも関わらず使用していなかった。


 部隊長の質問にリオンは「さぁな」と返すだけだった。


「ふん……先日、貴様は五百人もの兵を一人で斬ったそうじゃな。ワシごときに神刀を使う必要すらないということか。じゃが、それは全てその神刀のおかげだとの専らの噂! ふふ、貴様を討ち取れば、ワシの名声は大きなものとなるだろう。いずれ根来の国主になるという野望にも一歩近づく……このワシに本気を出さなかった事、あの世で後悔するがよい!」


 そして、あの世で後悔したのはその部隊長の方であった。




 リオンは刀を腰の鞘にしまうと、杏の元へと駆け寄ってきた。


「杏、大丈夫か? 怪我はないか」


 杏はうつむいたままリオンと目を合わさない。


「杏……?」とリオンが杏の顔を覗き込んでくる。


「こ、この……」


 すると杏は目の前に来たリオンの襟元を突然掴んだのだった。


「このたわけ者! もう絶対やってこないものだと思っていたぞ!」


 杏は額をリオンの胸にぶつけるようにしてそう叫ぶ。感情的になりすぎて手が震えてしまう。


 するとリオンは「……ごめん」と、力なく呟いた。


「お前が最初から来ていれば、こんな援軍などと戦わなくてもよかったのだ! 援軍がやってくる前に勝負はついていたはずだった! 既にどれだけの被害が出たと思っている!」


「本当に……すまなかったと思ってる」


 そこで杏は「でも……」と顔を上げた。その頬からは涙が伝い落ちていた。


「良かった……お前が来てくれて……。あの時の約束、守ってくれたのだな」


 杏は、襟首をつかむ逆の手で、発信機を大事そうに握りしめていた。


「あぁ……お前が死んだら、俺はこの先、一生後悔する所だった。約束を守れてよかったよ」


「え……」と杏はその、言葉に軽く頬を染めてしまう。まるで、杏のためにやってきたような言い草だ。でもそれはさすがに思い上がりか。リオンはこの国の為にやってきてくれたのだ。


 杏はリオンから離れ、咳払いをして、少し落ち着きを取り戻した。


「しかし、お前達が来てくれたのはいいのだが、考えてみれば状況は厳しいままだな……」


 杏は崖の上に立ち、谷を突破しようとする七千にも及ぶ敵軍を見下ろす。


「さすがにお前でも、あれだけの数の敵を止める事は出来まい。そろそろ谷は突破されてしまいそうだ。奴らが六城にたどり着けば、我々の敗走は濃厚となる。雅様の作戦であった、崖から岩を落とす作戦は封じられてしまった事だし、正直お手上げと言ってもいいかもしれない」


 結局この戦は負けてしまうのか。杏の心が再び暗闇に包まれてしまいそうになった時だった、


「そんな絶望的な顔なんてする必要はないわ。大丈夫よ杏。実は、もう手は打ってあるの」


 イコが珍しく、少しやさしそうに微笑みながらそんな言葉を口にしたのだった。


「え……なんだその手というのは」


 すると、その時谷の奥から太鼓の音が聞こえ始めた。そしてなんと、その音をきっかけにか、根来の援軍は、前進をやめ、後方に引いていってしまったのだった。


「これは……一体何が起こっているのだ。根来の兵達が引いていく……?」


「ここからは俺達の反撃のターンだ。六城へ向かうぞ。秀隆を倒しにな」


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