白のターン

11.白い服

 初めからおかしなことばかりだった。


 潜入捜査なんてドラマや映画の中の話で、実際はないと聞いていた。

 普通の警察はそんなことはしない、というかしてはいけない。


 というのは建前で実際はよくあることだと先輩に言われた。

 自分が怪我をしたからお前が代わりにやれ、と急に話をされた。

 上司からじゃない。

 先輩が直接俺に、だ。

 他の先輩にも内密にと言われた。

 潜入捜査はそういうものだ、と。

 それを俺は鵜呑みにした。

 先輩が何で怪我したのか知らない。

 分かりやすく左手と右足を包帯で巻いていた。

 骨折まではしていないが、ヒビが入っているとのことだった。


 潜入先が暴力団だと聞いて、少し嫌な予感はしたが、行ってみればすんなり入れたし、見た目ほど怖い人達でもなく、和気あいあいとした雰囲気さえあった。

 柄が悪いだけで根はいい人達なのかも、とさえ思った。


 でも、何か違和感めいたものはあった。

 本当に暴力団なのだろうか、と。


 それに、潜入捜査は二度目だった。

 一度目はハナちゃんの時。

 あの時も先輩に言われて潜入した。

 すんなり入れたけど、あの時はよくバレなかったものだと思う。

 新米で警察のイロハも知らない、それどころか社会人としてもまだひよっこすぎてダメダメだった。

 それでも俺はバレなかった。

 今思い返すといろいろと失敗だったな、と思うことがある。

 普通は怪しむところで誰も俺を怪しまなかった。


 そして、俺はなぜかあの時の記憶を失っていた。


 ハナちゃんのせいらしいのだが、あの時から既にユキさんの掌の上にいたのか?

 あの時からハナちゃんはユキさんと行動を共にしているんだから、きっとそうだ。

 やっぱりユキさんはハナちゃんを何か悪いことに利用しようとしている。


 だから、逃げよう!


 逃げるならユキさんが電話中の今だけだよ。

 行こう、ハナちゃん!


 俺は心の中で叫んだ。


 だが、ハナちゃんは首を横に振ってでっかいクマのぬいぐるみの後ろに隠れてしまった。


 確かに今までユキさんが守ってくれてたかもしれない。

 教団から救い出したのもユキさんだ。

 でも、今ユキさんが電話で話しているのは悪い奴だ。

 墨守の連絡係でラオヤーって名前の奴だ。


「ラオヤ……?」


 その名前にハナちゃんが反応して、顔を覗かせた。


 知ってるの? と心の中で問うと、ハナちゃんはゆっくり頷いた。


「ラオは原鴿ユェングーって呼ばれてた。伝書鳩って意味なの」


 それ! 俺の先輩が言ってた!

 ラオヤーにはヤスって偽名の他にユェングーってあだ名もあるって。

 ラオヤーはどういう意味か知ってる?


「老鴉……つまりカラスみたいなお爺さんなの。いつも黒い服を着て頭が良くて……怖いの……」


 ハナちゃんが体を僅かに震わせながらクマのぬいぐるみにしがみつく。

 本気で怯えているのが分かった。

 だから、俺はもう一度心の中で叫んだ。


 逃げよう! 今しかそのチャンスはないんだっ。


 俺のその必死な叫びがようやく通じたのか、ハナちゃんはようやくクマの後ろから出て来て頷いた。

 その腕を掴んで、俺はハナちゃんを抱きかかえた。


 そのままスマホだけを手に無計画にも俺は部屋のドアを開け、エレベーターに乗り込んだ。


 後から思い出してもこの時の俺は冷静さを失っていたと思う。

 真っ直ぐすぎるのは時として純粋だと褒められるが、大概はバカだと鼻で笑われる。

 そのことに気づくのは意外とすぐで、地下の駐車場に辿り着いた時だった。


「ドコ行クカ?」


 中国なまりのある片言の日本語に足が竦んだ。


 黒いスーツの男が五、六人、銃を手に俺達を取り囲んだからだ。

 スミだろうか。

 リーダーらしき中年の男がハナちゃんを見つめ、ニッと口角を上げた。


带他走タイターツォ


 男がそう言うとあっという間にハナちゃんは手下の一人に抱きかかえられ、俺は拘束されて頭には黒い布が被せられた。

 おまけに首に何かを打たれ、暴れる間もなく昏倒してしまった。


 でも、意識を手放す直前、リーダーらしき男が誰かに「シュエ」と言っていた。

 それは「雪」を指す言葉だ。

 その部分しか意味は分からなかったが、それがユキさんを指していたならやはりここにいてはいけなかった。

 こんなにあっさり捕まっておいてなんだが、逃げて正解だった。


「起きろ、ボケッ」


 バシッと頭を叩かれ、俺は目を覚ました。

 視界に広がったのは見慣れた天井とユキさんの怒りに満ちた表情だった。


「え? あれ? ハナちゃんはっ?」

 飛び起きた俺の頭を再度ユキさんが叩いた。

「あんたのせいでスミに連れて行かれたわよっ。私の苦労が全部パァだ、パァッ!」

「まあまあ。ちゃんと説明してなかったあなたにも責任の一端はあるでしょう?」

 店長がユキさんを宥めようとするが、ユキさんは「私は悪くないっ」と部屋を出て行ってしまった。


「何があったんですか?」

 どうして俺はここにいるのか、と店長に問うと、にこりと笑って無言で片手で首に手を掛けられた。


「何があったか、ですか? それはこちらがお聞きしたいですね。どうして部屋を出たんです? あれほど外は危険だと再三ユキさんが申し上げていたはずですが?」

「そ、それは……ユキさんがスミの連絡員と繋がってると思って……」

「なぜユキさんを信じないのです? 何度も助けて頂いているのでは? 私がモニターであなた方が外へ行こうとされるのに気づいたから良かったものの、そうでなければあなた、殺されてましたよ?」

「店長が助けてくれたんですか?」

「乗り込んだのが運悪くあなたが捕まってる方の車でしてね。それであなただけ助けることができましたが……私の役目はどちらかと言えばハナちゃんを守る方でしてね。あなたはついでなんですよ。二択でミスをするとは私の勘も現役から鈍ってしまったと老いを感じてショックを受けているところですよ」

 首にかけた手に力が入り、俺は息苦しさに店長の腕を掴んだ。

 笑顔のままなのが余計に怖い。


「……で? どこへ逃げようとしていたのです?」

 ふと手に込められた力が緩み、店長は首から手を離した。

 俺は大きく息を吐き、項垂れた。

「……熊谷さんのところに。セキュリティもしっかりしてそうだったし」

「あの程度のセキュリティはプロには無意味です。それにユキさんと熊谷さんが仲良く話してるのをあなたも見てると聞いてますが?」

「それでも同じ警察の人間としてユキさんよりは信頼できるかと思ったんです」

「思った、で確証がない訳でしょう? そんなところにハナちゃんを連れて行くなんて……」

 呆れた店長の声に俺は益々項垂れた。

 確かにそうだ。

 考えが甘かった。

 ここにいちゃいけないってだけで、何の計画もなく飛び出した。

 そんなの守る側の人間として一番やってはいけないことだ。


 そう猛省しているところへドアが開いてユキさんが入って来た。

 その姿に俺はやはりユキさんへの不信感が首をもたげてしまう。


 ユキさんは教団の人間が着る白い服を着ていたからだ。


「ま、結果オーライ。ハナはスミに潜り込めた訳だ。少し早まったけど計画を実行するとしましょ」

「計画?」

「そ。私達は教団に乗り込むわよ」

「ハナちゃんは? 助けに行かないんですか?」

「あんたのせいでしょ? すぐに殺されはしないから、まずは教団から」


 にこり、笑うユキさんの顔は先程の店長と同じ顔で俺は背筋がぞわりとするのを感じた。

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