8.『ボク』を探して

 部屋に戻り、包んでもらったハンバーグを二人仲良くダイニングテーブルで向かい合って食べることにした。

 タッパーなんて代物ではなく、オシャレなランチボックスに食べかけとは思えない感じで包まれていた。

 すごいね、と二人で感動した。

 スープもドリンクも水筒に入れてもらった。

 店長はバーの店長というより執事のようだ。


 そんな素敵なランチを堪能した後、改めて思い返してみると、俺が教団に潜入したのは少なくとも五年は前だ。

 あの時、ハナちゃんは『お告げ様』としてあの儀式の場にいた。

『お告げ様』は大人だと思っていたから、小さい子供が出て来て驚きはしたが、今のハナちゃんとあの時のハナちゃんはそう歳は変わらないように思う。

 今現在、ハナちゃんは七歳前後ってとこだろう。

 となると、五年前は二歳ということになる。

 さすがに『お告げ様』は二歳児には見えなかった。

 ってことは今、実は中学生くらいだったりするのだろうか?

 いやいや。

 そうは見えないけれども。


「八歳」


 大きなクマがぽん、と俺の肩を叩いて言う。

 頭の中の声はだだ漏れなので、当然ながらハナちゃんに聞こえてしまっている訳で。

 ゆっくりと振り向いてつぶらなクマの目を見つめる。


「あの時は五歳」

 いや、確実に五年は前だったって。

「三年前だもん」

 えー? 二年分どこいったよ?

「……知らない」

 今の間は何かな?

「知らないもん」

 そう言うとハナちゃんはクマを俺の方に突き飛ばして隣の部屋に駆け込み、ドアをピシャリと閉めた。


 機嫌を損ねてしまった、と困惑していると、玄関のドアが開く音がした。

 続いて「お邪魔しまぁす」とゴリの声がし、ダイニングからリビングに移動し、ドアを開けると、ゴリとユキさんの姿があった。

 ユキさんは左肩に包帯を巻いていた。

「ハルたぁん、久し振りぃ」

 久し振りという程、時間は経っていないはずだが、と思いながらもお久し振りです、と返してしまう。

「あれ? ハナちゃんはぁ?」

 リビングに入るなり、ゴリはキョロキョロと室内を見渡した。

「それが、ちょっと機嫌を損ねてしまって……」

「やぁだ。乙女心は繊細なんだからぁ。ハルたんって鈍そうだものねぇ」

 失礼な。

 その前にお前に乙女心とか語ってほしくない。

 そう思ったが勿論口には出さない。

「ユキちゃんは女装してるけど、心は男の子だし、その前に他人を気遣うってことが全くできないものね。だからハナちゃんにこの環境は悪いと思って、いろいろ乙女グッズを持って来てあげたわよ」

 感謝しなさい、とゴリが胸を張り、持っていた大きなトートバッグから美容グッズらしきものがいろいろと出て来た。

 小学生がそんなもの使うだろうか?

 その前に必要だろうか?

 そんなことよりユキさんの心はやっぱり男の子なんだ?

 俺が小首を傾げたところで、ユキさんがゴリ、と制した。


「そんなことより、コーヒー淹れて。ハナは出て来て」

 はいはい、とゴリは一旦テーブルに並べた物を再びトートバッグに戻し、キッチンへと消えた。

「ハァナァ」

 ユキさんがそう呼ぶと、ドアが開く音がし、ゴリが挨拶する声がし、ようやくハナちゃんが姿を見せた。

 その顔はまだ不機嫌そのものだったが、ユキさんがニカッと笑うとハナちゃんも眉間の皺が取れて驚いた顔になった。


「……分かったの? え? うん……そっか……」

 ハナちゃんが独り言を呟く。

 どうやらユキさんと会話しているようだ。

 頭の中が覗けるって内緒話にも便利だ。

 ユキさんが声に出さないということは、俺にも聞かせたくない話なのか。

 でも、ハナちゃんの護衛が俺の仕事なら俺には聞く権利があるはずだ。

 よし、と気合を入れるとハナちゃんが僕を振り返った。

 ああ、そうか。

 考えは全部お見通しなんだった。

「教えてもいいの?」

 ハナちゃんがユキさんを見つめると、ユキさんはゆっくりと頷いた。


「その前に公園で何があったか話さないといけないわね」

 面倒そうにそう言って、ユキさんは昼間の出来事を語ってくれた。


 ユキさんの説明によると、ハナちゃんはヤクザとハナちゃんが以前いた教団に狙われているらしい。

 それでヤクザは俺の手柄になってるけど、ユキさんが盗んだ情報が元で警察に逮捕された。

 すぐに釈放されるらしいが、すぐとはいっても明日明後日という訳にはいかないので、時間稼ぎにはなっている。

 このヤクザ、実は教団と手を組んでおり、資金源にもなっていた。

 だから時間稼ぎをしている間、教団を始末しようと動き、白昼堂々と繁華街内の公園で銃撃戦を繰り広げることとなったらしい。

 繁華街内全面通行止め、おまけに立ち入り禁止、避難指示も出ていたらしく、それ故銃撃戦に巻き込まれた一般市民はいない。

 負傷したのはユキさんただ一人。

 そして、死亡したのは乗り込んで来た教団の人間全員、合計十名だったそうだ。

 公園では六人しか見かけなかったので、あとの四人は公園外でも銃撃戦を繰り広げたのだろう。

 ほぼ一人でそれをやってのけられたのは、ハナちゃんがいたからだとユキさんは言う。

 ハナちゃんが眠っていた間、ユキさんに敵の位置や攻撃のタイミング、狙っているポイントなどを正確に伝えていたらしい。

 そのお陰で死角の敵も正確に攻撃できたようだ。

 これでひとまずハナちゃんを狙う奴らは一掃できたはずだが、ユキさんは黒幕がまだいると考えているらしい。

 そしてそれが何なのか分かったので、それをハナちゃんに伝える為に来たようだ。


 それにしてもヤクザが資金源というのも妙な話だ。

 確かにあの組はドラッグなども扱って手広くやっていたが、新興宗教の資金源となれるほど稼いではいなかった。

 それは潜入していた俺がよく知っている。

 自分の組だけで手一杯だったはずだが、とユキさんに問うと、フフン、と笑われた。


「警察に渡した情報は実は全部じゃないの。現金についての情報は全て渡したけど、あの組はねヤクザ気取ってるけどあれは表の顔にすぎないわ」

「裏があるってことですか?」

「ペーパーカンパニーを幾つも所有してたし、ロシアンマフィアやチャイニーズとも繋がりを持ってて、武器商人としての事業がメインね。裏の世界で急速に成長してるけど、警察も誰もノーマークよ。そこまで組を成長させたのは組長の右腕って噂。そうだとしたら相当なブレーンね。そいつが新興宗教に資金提供を持ちかけたんだけど、ついでにちゃっかり教祖様の右腕にもなってたわ」

「武器商人……? そんな素振りは全く……」

「新入りに裏の顔を簡単に晒す訳ないでしょ。裏を返せばそこまで信用されていなかった、つまりは潜入できてなかった。さらには潜入捜査官失格?」

 棘が鋭すぎて返す言葉もない。

 とりあえず話題を変えねば。


「……そういえば、何か分かったって言ってましたよね?」

「ああ。教祖が撃たれる前、何か言いかけたのよ。『ボク』から始まる名前をね。個人名だと思ってたけど、どうやら組織名みたいなの」

「組織?」

「宗教団体って何かと隠れ蓑にはうってつけなのよね。傷を手当してもらっている間にゴリに動いてもらったの」

「こう見えて意外とインテリなのよ、あたし」

 ゴリはそう言って笑った。

 イカツイ男が「えへっ」と笑う様は正直ぞわりと鳥肌が立つ。


「インテリなのはヤンさんだろ。そいつから話を聞いただけだろうが」

 ユキさんの口調が男に戻ると、ゴリは「そぉだけどぉ」と弱々しい声で呟いた。

「ヤンさんって?」

「中華料理屋の店主。今は足洗ったって言ってるけど、裏事情に詳しいの」

 足を洗ったって何から? とはちょっと訊けなかった。

「そのヤンさんからの情報によるとね、裏で昔から語られてる組織があるらしいの。通称『スミ』と呼ばれるその組織が裏社会の全てをその掌で操っているとも言われているわ。けれど誰もそのボスは勿論、幹部や組織の規模すら把握できていないみたいなの。私もさっきちょっとだけ調べてみたけど、下っ端の下っ端くらいの情報しか手に入らなかったわ。本気で調べてもボスまで辿り着ける自信はないわね。それに……どうもマフィアとかそういった感じよりも宗教的な印象を受ける組織ね。厳しい戒律というか規則があって徹底されているみたいだし」

「スミって……『墨』つまり『ボク』ってことですか?」

「正式には『墨守ボクシュ』よ。故事成語が由来みたいだから中国の組織かと思ったのだけど……ヤンさんは否定したみたい。あれはどこのものでもないって」

「それはつまり……?」

「……分かったのはそれだけ。まだ調べている途中よ。でも、相手はそういう組織だってこと、よく理解しておいて。だから私も今日はここに泊まるから」


 そう言うなりユキさんはシャワー浴びて来る、とバスルームへと姿を消した。

 何かとてつもなく大きなことに巻き込まれたみたいだが、この時の俺はまだそんな実感はなくて、ただ、男と分かっていてもシャワーを浴びるユキさんを想像して少しドキドキして、それがハナちゃんにだだ漏れだと分かっていても止められない自分が少し情けなかった。

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