第6話 呪いの謎解き(6)

「ちょっと待ってくれ。地下通路だなんて、私は今日初めて知ったんだ。皆さんもそうですよね」


 同意を求めるように市川は周囲をみまわした。


「そうでしょうか?」と海。


「先ほど、地下で、美術室から石膏を削る道具を取ってきてくださいとお願いした時、市川先生は明かりのない地下通路を何なく抜け、美術室から彫刻刀を持って再び地下のこの部屋へと戻ってきました。五分もかからなかったと思います。地下通路を通い慣れていなければとれない行動です」


 空の記憶にひらめくものがあった。市川が地下室を出て行った瞬間、海はちらりと腕時計に目をやり、市川が戻ってきた時も手首をひねる同じ動作で時計を確認した。その時には何とも思わなかったが、今にしてみれば海は往復の時間を計っていたのだ。


「仮に、地下通路を使って西校舎に行けたとしても、相馬さんが教室の外にいるとは限らないのじゃないかしら。授業中だったはずよね、確か」


 希美は小首を傾げてみせた。


「相馬さんは教室の外におびき出されたんです。山下さんにから『トイレに一緒に行ってほしい』というメッセージを受けて。実際には山下さんになりすました市川先生からのメッセージでした」


「でも、私は確かに職員室に入ろうとしていた市川先生に会いました」


 市川を犯人とは信じたくないのか、幸子はますます赤味の増した仏頂面で海を睨んでいた。


「それは入ろうとしていたのではなく、出てきた所だったんです」


 そう言うなり、海は図書室の中へと入っていった。数秒の後、ドアが開き、海が姿を現した。ドアを閉めながら、海は八角の間へと顔を向けた。半開きのドア、ドアノブにかけた手……図書館に入っていった時とまったく同じ光景が繰り広げられていた。


「『職員室に忘れものを取りにきたところだ』と言われ、浅見さんは、市川先生は職員室に入ろうとしているところだと思い込んでしまったんです」


 幸子の顔からたちまち血の気が失せ、真っ赤だった顔が蒼白になっていた。


「トイレで相馬さんを襲い、市川先生は近くの職員室へと逃げ込んだ。授業中の職員室には誰もいませんから。そして職員室から出て、さも今職員室に着いたばかりだという風にみせかけたんです。白石先生と松戸先生は初め、職員室にいたと嘘をついていました。市川先生が職員室には誰もいなかったはずと言うのを聞いて、僕は不思議に思ったんです。職員室には入っていなかったはずの市川先生がどうして中に人がいないとわかったのか。市川先生は職員室の中にいたから、誰もいなかったと知っていたんです」


「そうだったんですか……」


 長い沈黙の後、希美は赤くなった目を市川にむけた。事件当時のアリバイについて嘘をついたため、松戸は犯人だと疑われてしまった。嘘を見破った人間がまさか真犯人だとは希美は思いもよらなかっただろう。


「海くん、君の推理力は大したものだ」


 市川は絵の具の散る白衣のポケットに両手を入れたまま、肩をすくめた。


「君の言う通り、開かずの間とやらも地下に存在した。死体もあったし、地下通路も発見した。怪談を紐解いて真実をさらけ出すなんて、常人にはできない仕業だ。地下通路を通ったなら確かに人目につかずに西校舎へ行けるんだろう。しかし、あの日、私は地下通路なんか通らなかった。美術室を出て職員室にむかっていた。残念ながら証明できる人間はいないよ。授業中で誰とも会わなかったからね。だが、私が地下通路を通って西校舎に出現したと証明できる人間もいないだろう」


 市川は困ったような笑顔を浮かべていたが、目の奥が笑っていなかった。


 海は市川の非難するような視線をうけてもたじろぎしないでいた。自分の推理によほど自信があるとみえて、市川を見返す目には力があった。


「証明できる人間はいました。でも、その人物も、市川先生、あなたに殺されてしまった」


「そ、それは一体誰だ?」


 安達がうわずった声で尋ねた。


「八角の間にメガネと靴の片方を残して消えた中山淳くんです。市川先生は八角の間の怪談に見立てて中山くんを殺した。彼は、相馬さんが殺されたあの日、八角の間から地下通路に入っていく市川先生を見たんです。もっとも、本人は自分が見たものが何だったのかわかっていなくて幽霊だと思いこんでいました。すーっといなくなった白衣姿の先生の後ろ姿を八角の間に出る幽霊だと勘違いし、八角の間の幽霊を見たと言いふらして、目撃されたと気づいた市川先生に殺されたのです」


「学園で白衣を着ているのは私だけではないよ。野沢先生だって白衣だし、他にも白衣姿の先生は何人もいる。松戸先生だってそうだ」


「そうですが、問題は、市川先生はあの日、白衣を着ていたということなんです」


「私はいつも白衣を着ているよ。絵の具が服につくと嫌だからね。もっとも、これは白衣とは言えないが」


 ポケットから両手を出し、市川はカラフルな水玉模様になった白衣を指し示してみせた。


「そうですね。市川先生の白衣は形は白衣だけど、とても白い衣とはいえない代物です」


 不謹慎とは知りながら、空は思わず吹き出してしまった。慌てて口を押えたが時すでに遅しで、笑ったのは空と陸だけで、後は海の話に真剣に耳を傾けている。


「でもあの日、市川先生は白衣を着ていた。絵の具の散っていない真っ白な白衣です。新しい白衣なのかなと思っていました。でも、事件が起きて、美術室に戻ってきた先生はいつもの絵の具のついた白衣を着ていた。変だなと思ったけれど、大して気にもとめずにいました。でも、中山くんが幽霊を見たと言っていたと聞いて、もしかして白い服を着た人物をみたのではないかと考えたら、先生が白衣を着替えていた事実が引っかかったんです。何で市川先生は白衣を着替えたのか、着替える必要とは何か――もしかして返り血を浴びたからではないのか。市川先生はあらかじめ返り血を浴びるだろうと予想して、いつもとは違う白衣を着た。そして事件後、何もなかったかのようにいつもの白衣に着替えて美術室に戻った……」


 全員の視線が、黙って立ち尽くしている市川の白衣をとらえていた。さまざまな色の飛び散る白衣とは言えない白衣。散った絵の具がまるで血しぶきのようにうつる。

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