第5話 怪談の呪い(5)

空を自室にひとり残し、海は立ち去った。


「空、来てたんだ」


 入れ違いに陸が入ってきた。陸は廊下を振り返りながら、


「今、海とすれ違ったけど、海に何か用?」


「用っていうか。海に連れてこられただけ」


 ふうんと息の抜けた返事をし、陸は足先で床に散らかる本を蹴散らしてスペースをつくるなり、空の隣に腰を下ろした。


「なあ、二人で何こそこそやってんだ?」


「こそこそなんかしてないけど――」


 その時だった。海が何かを抱えて部屋に戻ってきた。一目見るなり、空にはそれがすっかり見慣れた卒業アルバムだとすぐにわかった。表紙に刻まれた年を確認するなり、空は息をのんだ。


「十九年前の卒業アルバム! これ、どうしたの?」 


「母さんが卒業した年だから、父さんが持ってるかと思って書斎をさがしたら、あったんだ」


「そっか……」


 空の両親と真澄は同級生だが、海と陸の母親は一つ年下だと聞いている。


「母さんの卒業アルバムなんか引っ張り出してきて何をしようってんだ?」


 きょとんとしている陸に、空と海は交互に事情を語って聞かせた。


「なるほどね、そういうことか。それで母さんの卒業アルバムをね……」


 いまにも毀れてしまいそうな古文書でも扱う課のように、陸は丁寧にページをめくっていった。


 二人が幼い頃に亡くなった母親の写真は御藏家のどこにも飾られていない。真澄が嫌がるのだという。御藏家にある家族写真といえば、御藏家の双子と空が写っているものか星野家と御藏家両方がともにポーズを取る写真しかない。


「母さんのクラスだ」


 海がそう言うと、ページをくる陸の手がとまった。その指先がかすかに震えていた。


 空は二人の母親の顔を知らなかった。しかし誰が母親かは一目瞭然だった。海と陸の姉妹のように見えるその少女こそが母親に違いなかった。瞳の表情が魅力的で、大人びた美貌は一際目を引いた。


 若かりし日の母の姿を目にして感傷に浸りそうになるのを避けるようにして海はさっとページをめくった。不満げな表情を浮かべてみせた陸だったが、口には出さずにいた。その表情も海同様、泣き出しそうなのを我慢しているようだった。


 犯人が危険を冒してまで図書室から持ち去った十九年前の卒業アルバムだからこそ何か犯人につながるヒントがあるに違いないと目を皿のようにして隅から隅まで目をやった三人だったが、探しているものが何であるかがわからない以上、何をみてもすべてが重要なもののように思えた。


 他の年のアルバム同様、クラスごとの個人写真、集合写真、部活動や文化祭といった校内行事の写真、教職員の写真と、構成もまったく同じだ。写っている人物が異なるというだけである。教職員に限っていえば、人物に変わりばえはなく役職名だけが変わっていた。津田沼校長はこの年に校長に就任しており、富岡現校長は教頭とあった。浅見は役職も変わらず、顔立ちもそうは変化していなかった。この年に新たに学園に加わったのは美術講師の市川、理科主任の長谷部の二人だけだった。


 すでに二十年前のアルバムを見尽くして卒業アルバムというものに興味を失いつつある空と海だが、陸だけは熱心に特に校内行事の写真に見入っていた。


「ねえ、面白い?」


 空が尋ねても、すぐには返事をしないほど陸はアルバムに夢中だった。


「この年の文化祭のゲストって、デビューしたばかりの小室ヒカルだったんだな。今じゃチケットがなかなか手に入らないアーティストだけど。ビデオとかあったら、お宝もんだぜ」


「すごいね。どんなコネがあったんだろう」


 興奮しているのは空と陸だけで、話についていけない海はひとりむなしく文化祭ライブの写真をみつめるばかりだった。


「海、興味もったんなら、曲聞いてみるか?」


 まさに穴の開くほどという形容がふさわしいほど、微動だにせずにアルバムの写真に見入る海の姿に、陸は肩越しに声をかけた。


「なんだ、生物部の写真を見てたのか」


 海の視線を追っていった陸は、海の興味は小室ヒカルにないと知ってがっかりしていた。


「へえ、この頃は博士のコスプレだったんだ」


「誰が博士のコスプレだって?」


 空は陸の視線の先に目をやった。海の視線も落ちるそこには生物室での生物部の展示風景をとらえた写真があった。今も変わらない文化祭でのお馴染みの光景である。見学者を出迎えるのは吸血鬼の格好をさせられた骨格標本だ。しかし十九年前の写真には白衣を着せられた骨格標本の姿があった。


「あ、ほんとだ。今は吸血鬼のコスプレなのにね」


「え? 売れないマジシャンじゃなかったのか?」


 似たようなセリフをどこかで聞いたことがあると思ったら、陸と同じ顔の人間、海が発したセリフだった。海はマジシャンだと思っていたと言い、陸は「売れない」という形容詞がついたものの、やはりマジシャンだと思いこんでいたらしい。


「おい、この骨格標本、萌え袖してんじゃん」


「なにそれ」


 腹を抱えて大笑いしている陸をおしのけ、空は写真に顔を近づけた。骨格標本が身につけている白衣の袖は手の骨の甲の部分を覆っていた。


「確かに、萌え袖!」


 それまでただの物でしかなかった骨格標本に人格がそなわった気がして空は親しみを覚えた。心なしか、写真の骨格標本は笑顔でポーズを取っているようにすらみえた。

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