With ユーレイ☆彡

槻海ルナ

第1話 新学期 with ユーレイ

 目覚まし時計が枕もとでけたたましいほどの音を立てて、家中に鳴り響く。目は覚めたものの、今日もいつも通り学校へ行くだけで一日が終わるのかと思うと、翠はなんだか憂鬱だった。

すい‼ 起きなさい‼ 学校に遅れるわよ」

 階下から専業主婦である母親の綾子のよく通る声が聞こえてきた。

「わかったよ。今、起きるから」

 しぶしぶベッドから起き上がって制服に着替える。濃い緑色のブレザーをはおり、えんじ色のネクタイをしめ、灰色のミニスカートをはく。仕上げに腰まである長い髪を一つに結べば、翠の準備は完了だ。

「学校で嫌なことでもあるの? 学校がある日は、降りてくるのがやけに遅いけど」

 リビングでぼんやりと朝ごはんを食べていると母親の綾子が急に翠に話題を振ってきた。

「そんなことはないよ」

 いじめられているとか教師に暴力を振るわれているとかそんな物騒なことは翠には無縁である。

「そう。それならいいのだけど。起きるのが遅いから、どうしたのかと思って」

 綾子が不安げな表情で翠を見る。

「お母さん、考えすぎると体によくないよ」

けろりとして翠は言い返す。学校生活は、学校に行って、授業をして、たまに部活をして、家に帰る……という毎日同じことの繰り返しだ。だから、張りがなくてつまらないのだ……なんて心配性の綾子には腐っても言えない。

「誰のせいだと思っているのよ」

 心配していたかと思うと今度はむすっとはぶてる。秋の空と女心は移ろいやすいというが、全くその通りの人である。

「はいはい。いってきます」

 まだ何か言いたげな綾子を適当にあしらい、翠は自転車に乗って、家の前の坂を一気に下っていく。今日の空は、翠の欝々とした心とは正反対の雲一つない青空だ。春のさわやかな風が心地よい。あちらこちらでは桜も咲いている。そういえば、今日から新学期だ。翠は、風見が丘高校かざみがおかこうこう2年生になる。

「今日からがまた新しい1年が始まるのか……」 

 翠の家から風見が丘高校までは自転車で約五分だ。あっという間に着く。今日も自転車で下りきったと思ったら風見が丘高校が見えてきた。風見が丘高校の校舎は、改築を繰り返していて、古くもなく新しくもない。灰色の壁をしたただの3階建ての鉄の塊だ。校門を抜けるとクラス分けの貼り紙を見ようとそれぞれの学年の玄関に人が集まっていた。ひと学年400人というこのあたりでは有数のマンモス高校であるため、自分のクラスを確認するだけでも人をかき分けるのにひと苦労しなければならない。確認した人はさっさと教室に行ってほしい。

「翠。おはよう」

 朝から不機嫌極まりない翠を天使のような優しい声が呼ぶ。

「このみ。おはよう」

 声の主は、翠の親友である花崎このみだった。肩につくくらいの髪はおっとりとした性格を表すかのようにふわふわとウェーブがかかっている。目鼻顔立ちがはっきりとしていて、翠たち女子から見てもどきどきせずにはいられないかわいさだ。

「花崎さん、今日もかわいいなあ」

「お前、隣のクラスかよ。羨ましいぜ」

「卒業するまでには友達になりたいよな……」

「お前じゃ無理だろ。あんなきれいな子が相手にするのは全てにおいて完璧なやつに決まっているんだよ」

「世の中、不公平だなあ」

このみを見た男子たちがいっせいにざわめきはじめる。当のこのみは、男子たちの声には興味がないようで、いっさい動じない。

「翠も三組だったよね? 同じクラスで嬉しいな」

 このみが満面の笑みを翠に向ける。

「そうなの?」

 まだ、貼り紙を見ていない翠はこのみに言われて改めて凝視した。確かによく見ると3組のところに翠の名前がある。

「ね? 同じクラスでしょ?」

「やったね‼ 今年もよろしく」

「こちらこそよろしくね」

 にこにことこのみが翠に笑いかける。学校に行くまでは億劫だが、このみの笑顔を見ると来てよかったと思う。しかし、可もなく不可もない毎日の繰り返しはやはりつまらない。しかも、高校2年生にもなると担任と進路について面談もしなければならない。

「桜木さん。進路はどうするつもりざます?」

 放課後、2年3組の担任である和美・フィッシャーが隣の空き部屋を使って1人ずつ面談をしていく。アメリカ人とのハーフらしい和美は、色が黒く、胸をはじめ全てがアメリカンサイズの英語教師だ。どこで覚えたのかへんな語尾の日本語を使う。化粧が濃く、着ているスカートはいつも水商売をしている人なのかと疑うくらい丈が短い。

「何も考えていないです……まあ、大学には行こうと思いますけど」

 やりたいことは何もない。未来のことはぼんやりとしかわからなかった。

「大ざっぱざます。何か好きなこととか特技とかないざます?」

 そう言う和美も翠の1年の時の成績表を見て、何か唸っている。なぜなら、翠の成績は5段階中オール3なのだ。教科だけでなく、実技もオール3。学年順位は400人中200番。何から何まで平均の翠は、教師からしてみれば助言のしようがない生徒だろう。

「あったら苦労しないのですけどねえ……」

 苦笑いをして、頭をかく。なんだか自分が悪いことをしているようだ。翠は、それなりの大学のそれなりの学部を出て、それなりの会社に就職して生きていくのかなと思ったりもするが、それもまたおもしろくないような気がする。

「まだ時間もあるし、思い悩むことはないざます。そのうちやりたいこと、見つかるざます。さあ。次の人、呼んでくるざます」

 和美は自分に言い聞かせるように言うと翠を教室へと戻した。

「やっと戻ってきた‼ 早く帰ろう」

 教室に戻ってきた翠を見るなり、このみがさっと椅子から立ち上がった。いつもおっとりしているこのみにしてはこの素早さは珍しい。

「どうしたの?」

 すたすたと廊下を歩くこのみが気になって、仕方がない。

「早く帰ろう‼ ここにいたらろくなことないから」

 このみがぷんぷんと怒っている。こんなに殺気立つこのみはめったにお目にかかれない。

雨が降っているというのに傘をさすのもしばらく忘れていたくらいだから重症だ。学校を出ても無言で歩き続けるので、学校の近くのファミレスに入り、ジュースを飲みながらひと息つくことにした。

「もう。とんだとばっちりだよ」

 このみがばんと机を思いきり叩く。周りの客が一瞬こちらに注目したが、知り合いはいないようだ。

「今度はどうしたの?」

 むっと頬を膨らませているこのみに優しく尋ねる。こんなに烈火のごとく怒るということはまた何か色恋沙汰に巻き込まれたのだろうと翠は直感的に思った。

「隣のクラスの女の子が自分の彼氏を私が取ったって言うの。私、両方とも名前も顔も知らないし」

 怒りに任せてこのみがジュースを一気飲みする。

「災難だったね……」

「この前は違う子に二股疑惑かけられたし。私がそんな器用な女に見える?」

「私はずっと一緒にいるからそんな風には見えないけど、端から見るとそうなんだろうね」

「そうかあ……」

このみが頭を抱え込む。このみがこの手の話に巻き込まれるのは一度や二度ではない。

「私が代わってあげられたら、代わってあげるのになあ」

 残念ながら、翠の容姿は、男子たちの心をつかむようなものではない。この年まで1度も告白されたことがないという事実がそれを裏付けている。

「最近は気をつけているんだよ。男の子に連絡先聞かれても教えないようにしているし」

 高校生になって、このみの男への警戒心は、筋金入りになってきた。ここまで徹底しているとなんだか恐ろしくもなる。それにしても、こんなに怒っているというのにかわいい。だからこそ、周りも放ってはおかないだろう。

「逆恨みされて刺されないようにね」

 好きだと思っていた女に冷たくされて、逆切れして刺したというのは、最近ではよくある事件だ。

「心配してくれてありがとう。やっぱり翠がいてくれると心強いなあ」

 話すだけ話してすっきりしたのかこのみはいつものにこにことした笑顔を見せて、家へと帰っていった。いつも平凡な自分が嫌になるのに、こういう時は平凡でよかったと思うのだから、我ながら現金なものである。

「ただいま」

 リビングに入ると味噌汁のいい香りがした。このみとファミレスで女子会していたが、晩御飯はまた別腹だ。

「お帰りなさい。ちょうどできたわよ」

 綾子がダイニングテーブルの上にお皿を並べる。今日は天ぷららしい。

「ただいま」

 ご飯の匂いをかぎつけたかのようなタイミングで父親の紘一も帰ってきた。

「あら。お帰りなさい。今日は早かったのね」

 スーツ姿の紘一を綾子が出迎える。いつも深夜に帰り、朝早く出勤する紘一とこうして顔を合わせるのは久しぶりだ。

「今日は、樋ノひのえ病院に寄ってお袋の顔を見てきたんだよ。入退院を繰り返しているわりには元気だよな」

 疲れ切った顔で紘一がネクタイを緩める。

「おばあちゃん、また入院したの?」

 翠の祖母であるウタコは今年で80歳。昨年から入退院を繰り返している。

「今日からまた入院しているみたいでね。翠にも会いたがっていたから、明日にでも顔を出してあげて」

「わかった。明日、行ってみるよ」

 ちょうど明日は土曜日だ。買い物がてらに街に出てみることにしよう。

「そういえば、今日、かなでから連絡があったのよ。イギリスの学校にも慣れてきたって。奏は頭がいいから、きっと首席で卒業して立派なお医者さんになれるわ」

 ぱっと綾子の顔が明るくなる。そして、それを聞いた紘一の顔からも疲れが吹き飛ぶ。

「おお。そうか。さすがだな。翠もお兄ちゃんを見習ってしっかり勉強しろよ」

 紘一の言葉がぐさっと心に刺さる。翠より5歳年上の兄の奏は、勉強もスポーツもできるイケメンで、医学部に入って留学している。そんな息子が桜木家は自慢でたまらず、翠は昔から兄を見習えと言われてきた。本人からするとあまり心地よいものではない。しかし、無意識のうちに比べているという感覚が翠の両親にはどうもないらしい。

「うん。頑張るよ……」

 気のない返事をして、翠は自分の部屋へと引き上げた。リビングではまだ奏の話で両親が盛り上がっている。その話し声は、翠にとって、ただ不快な雑音でしかなかった。

 翌日、翠は両親に見送られて外に出た。最寄りの駅である風見駅まで自転車を漕ぎ、電車に乗って、一駅先の樋ノ上駅で降りる。閑静な住宅街の中でひときわそびえたつ近代的で大きなビルがウタコの入院している樋ノ上病院だ。駅から歩いて15分ほどのところにあるため、散歩がてらにてくてくと歩く。今日はパーカーとショートパンツ、スニーカーという動きやすい格好なので、さほど苦にはならない。しかし、まだ春だというのに歩くと暑くて汗がにじむ。スマホのナビを見たが、途中で道を間違え、遠回りにはなって、余計に暑い。結局、予定より15分も遅く着いてしまった。自動ドアを抜けて中に入ると土曜日の昼だからか閑散としている。面会はこちらという看板に従い、奥へ奥へと進んでいく。一番奥にようやく警備員室らしき明かりが見えてきた。

「桜木ウタコの面会です」 

 がっちりした体格の警備員に恐る恐る声をかける。

「はい。じゃあ。ここに名前書いて」

 不愛想な警備員に言われるままに名簿に名前を書き、面会用のバッジを受け取る。病棟はいつも薄暗くてちょっと怖い。どきどきしながら、エレベーターに乗り、8階の801号室を目指した。そこまで行けば、祖母がいる。もう怖くない。

「おばあちゃん。来たよ」

「あら。よく来たねえ。待っていたよ」

 4人部屋の1番奥のベッドで横たわるウタコが翠の姿を見て、嬉しそうに体を起こす。

前に会った時よりもなんだか痩せたような気がする。一つ一つの動作がなんだか心もとなくて、

「大丈夫?」

 と翠は思わず尋ねた。

「大丈夫よ。そんなことより料亭が心配だわ。早く帰りたいものね」

 ふふふと上品にウタコが笑う。

「料亭は陽一おじさんがやっているのでしょう? それなら、安心だよ」

 この街からバスで30分くらいのところにある風島かざしまというのどかな島でウタコは料亭を営んでいる。ウタコの夫・惣一郎は、紘一が綾子と結婚してすぐに亡くなったため、今は紘一の弟である陽一が板前をやっている。しかし、

「あら。あの子は色々と抜けているところがあるからね。子どもはいくつになっても子どもだから、心配なのよ」

いまだになんやかんやとウタコは料亭を継いだ陽一のことを心配する。

「そういうもの?」

「そういうものよ。ああ。紘一は心配していないけどね。あの子は昔からできる子だったから」

 ウタコにも兄弟を比べる気質がある。そんな気質を紘一は受け継いでしまったのだろう。親子とはへんなところが似るものだ。陽一に同情せずにはいられない。

「ところで翠、学校はどうなの?」

 ちょっと気まずい雰囲気になったのを感じたのかウタコが話題を変えた。

「学校は相変わらずだよ」

 相変わらず全てにおいてオール3だよと言いそうになったのをこらえ、翠はベッドに腰かけて、当たり障りのない話を1時間ほどした。学校のこと、家族のこと……話すことは意外にある。ウタコはしわくちゃの顔をさらにしわくちゃにして楽しそうに聞いてくれた。

「じゃあ、帰るね」

 ひと通り話して、翠は立ち上がった。

「またおいで」

 ウタコと別れるのは名残惜しかったが、あまり遅くなっても心配性の綾子がまた心配するだろう。翠は後ろ髪を引かれる思いで病室をあとにした。エレベーターで降り、警備員室まで降り、面会用のバッジを返す。そして、来た時とは逆に一番駅に近い自動ドアに向けてひたすら歩いた。看板がなければ、病院の中で迷子になってしまいそうな広さだ。

「やっと見えた」

 自動ドアらしきものが遠目に見える。あのドアを通れば、あとは駅に向かって歩くだけだ。帰りに駅で新作のケーキでも買って帰ろう。そう思って自動ドアに近づいた翠は、自動ドアの前に誰かが立っていることに気づいた。さらさらとした短い黒髪で、身長も高く、手足もすらっと長い。白のTシャツの上に紺色のブレザーを着て、灰色のズボンをはいている爽やかな男の子だ。どうやら翠と同じくらいの年らしい。自動ドアの真ん前に突っ立っているため、ひと声かけないと通り抜けられそうにない。

「すみません。ちょっと通りますね」

 翠が声をかけると男の子は翠の方に視線を映した。そして、

「お前‼ 俺が見えるのか?」

 とわけがわからないことを聞いてきた。

「見えますけど……」

 黙っていればカッコいいのに……とちょっと残念に思ってしまう。

「おお。それはよかった‼ 実は頼みがあるんだ。見える人に会えたら言おうと思っていた」

 男の子が喜んで近づいてきて、翠の両手を握る。外はまだ日が照っていて暑いのに、冷え性なのか男の子の手はひんやりと冷たい。

「あの……何がなんだか……」

 こんな美少年に手を握られるならば、悪い気はしない。ただ、なぜこんな状況になっているのかやっぱりよくわからない。すると、たまたま通りがかった親子連れが翠の方を見て何かささやいている。

「ママ……あのお姉ちゃん、1人で何しているの?」

 何か不気味な物でも見るかのような目で小学校低学年くらいの女の子が翠の方を見る。

「見てはいけません」

 母親らしき若い女性がそそくさと女の子を連れて去っていく。

「……1人で?」

 いや。ここにまごうことなき男の子がいるではないか。翠の聞き間違いだろうか。首を傾げていると今度はお客を迎えに来たらしいタクシーが玄関に止まった。

「お嬢さん。1人で何しているの? 見舞いが終わったら早く家に帰りなよ」

 お客を探しにタクシーから出てきた運転手が翠に声をかける。

「そ……そうですね……」

 適当に合わせておくが、内心気が気ではない。タクシーはお客らしい上品そうな老夫婦を乗せて去っていった。

「どういうこと……?」

 何がなんやらわからない。あっけにとられた翠は、目の前にいる男の子に改めて尋ねた。男の子が意を決して翠に話す。

「俺の名前は、八神昴やがみすばるだ。昴と呼んでくれ」

 そこじゃない。名前とかそんなものはどうでもいい。翠が今、聞きたいのは、

「なんで私にはあなたが見えて、他の人には見えないの?」

 ということである。

「おお。そうか。そこから話すのが先だったな。いかんせん、中学の時から引きこもっていたもので、動くフィギュア……つまり人間と話すのは久しぶりなんだ」

 話していてもらちがあかない。あまりの言葉の通じなさに本当に日本人なのだろうかという疑問さえ感じる。

「引きこもっていた人がなんでこんなところに立っているのよ。誰にも見えない状態で」

 沸点到達寸前で、昴を問いただす。翠は、帰ろうと思っていたのに、予想外のところで足止めをくらい、苛立ちで今にも爆発してしまいそうだったが、昴は動揺することなく、落ち着いていた。

「俺は中学2年の時に引きこもって以来、家の外には出ていない。これからも社会に出ていく勇気はない。そういうわけで、自ら命を絶とうと考えた。こんなやつがいても家族も邪魔だからな。こっそりネットで買った睡眠薬を大量に飲んだというわけだ」

 うんうんと昴が自分で説明して、自分で頷く。飄々ひょうひょうと話すが、内容は相当重いものだ。昴のことを全然知らない翠が聞くとずしりと心にのしかかるものがある。知らない人にこんなに自分の過去をほいほいと話していいのだろうか。翠が反応を考えあぐねているのも気にせず、昴は先ほどの調子でどんどん話を進めていく。

「俺は死んだ。そして、気がつくとこの病院の自動ドアの前にいた。だが、通り過ぎる人は誰も気づかない。どうやら、俺は不覚にも成仏できず、幽霊になったらしいのだ」

 昴が幽霊の部分を強調して翠に語りかける。だから、他の人には見えなかったのかとようやく翠は理解した。

「はあ……」

 理解はしたが、納得はできない。世間の大半の人には見えていないであろう幽霊がなぜか翠にだけ見えるのだ。いくら平凡すぎる毎日に飽き飽きしていたとはいえ、幽霊の見える特技なんていらない。神様がいるなら神様を恨むと本気で思った。

「ところで、見たところお前、高校生だろう?」

 昴の話題は唐突にころころと変わる。

「そうですけど……」

「学年は?」

「高校2年生です…」

「ほう。じゃあ、俺と同じ年というわけか。ちょうどよかった」

 昴が言っていることが翠にはぴんと来ない。この幽霊は何を言っているのだろうか。

「それが何か……?」

 なんだか何か嫌な予感しかしない。

「成仏しそこなったついでだ。俺は高校生活なるものを体験してみたい。小説みたいな王道の学園ライフを満喫したいのだ」

 幽霊に真顔でこうも力説されると反応に困る。

「ああ……そう……」

 昴の勢いに押されて一歩下がる。もはや暑苦しい。

「したがって、俺はお前についていく‼」

 翠はその言葉を聞いて、持っていたカバンを思わず床に落とした。きれいな白い床にカバンが思いきり当たる。その音が誰もいない病院にむなしくこだました。開いた口が塞がらない。もはやどこから突っ込んでいいのかさえもよくわからなくなってきた。

「はあ? なんでそうなるのよ‼ 幽霊のおおもりなんてごめんだから‼」

 少し間はあいたが、ようやく翠はきっと昴をにらんで言い返した。イケメンだと思ったらとんでもない疫病神だった。関わらないに限る。そっぽを向いて、通りすぎようとしたが、

「待ってくれ」

 昴も負けていない。ひんやりした手で翠の左手を掴む。

「離してよ‼」

「頼む‼」

 手を離したかと思うと昴は床に手をついて、土下座どげざした。

「ちょっと……やめてよ……」

 誰かに土下座されるのはあまりいいものではない。やめるよう促すが、昴は土下座をしたまま地面に張り付いている。

「俺は、高校生活を楽しめないことが心残りで幽霊になったんだと思うんだ。高校生活をめいっぱい楽しんだら、きっと成仏できる。だから……」

 昴の切実な思いを聞いているとこちらまで胸が締め付けられる。

「だから?」

 沈黙の間が辛い。しかし、翠は、昴の話を聞けば聞くほど冷たく突き放すことができなくなっていた。

「だから……俺のことが見えて、しかも高校生である、お前の協力が必要なんだ。頼む」

 昴が再び翠に頭を下げた。下げたまま動こうとしない。翠は、はあとため息をついた。

「わかった。そんなに言うなら、協力するよ」

 ここまで来たら、もう根負けだ。どこまでも付き合ってやるつもりで翠も腹をくくった。

「ありがとう」

 満足そうに微笑む《ほほえむ》姿はやはり美少年だ。思わずときめいてしまう。しかし、

「ところで……なんて呼べばいいんだ?」

 なんともマイペースな人だ。手まで掴んで、生き返りたいと力説して、忘れたころになって翠の名前を聞いてくるとは。

「私は桜木翠。翠でいいよ」

 呆れてもう言い返す気にもならない。

「そうか。よろしく頼んだぞ」

 当の昴は翠が呆れているのも気づかず、嬉しそうに顔を輝かせている。

「はいはい。私は家に帰るけど、昴はどうするの?」

 まさか家までついてくると言い出すのではなかろうかとまた嫌な予感がふとよぎる。

「もちろん。翠の行くところについていくぞ」

 嫌な予感は当たった。ぽかんとして、昴の方を見る。

「なんだ、その顔は。下心的な意味は全くないぞ。今の俺は宿なしだからな。どこであろうが、泊まらせてもらう」

 昴の決意は固そうだ。ホテルに泊まらせるわけにもいかないし、このまま連れて帰るしかない。しかし、我が家に泊めてあげられるような部屋があっただろうか。考えた結果、翠は一つ思いついた。

「わかった。ちょうどお兄ちゃんが留学中だからその部屋なら貸してあげられる」

「おお。ありがたい。助かる」

「ただし、部屋の物を勝手にいじらないでよ」

「そのくらいは俺も守れるぞ」

「本当に? なんだか怪しいなあ」

「まあ、そう言うな。帰るぞ」

 昴にそう言われて、ふと空を見上げると、ウタコの部屋を出た時はまだ明るかったのに、いつの間にか夕方になっていた。昼間でも薄気味悪かった病院がいっそう不気味に感じられる。とりあえず、家に帰ってから考えよう。そう思うことにした。

 家に帰ると綾子が、

「お帰り。おばあちゃん、どうだった?」

 と笑顔で出迎えてくれた。

「ただいま。色々話はできたよ」

 靴をぬいでリビングへ入る。ここまではいつも通りだが、振り返ると

「おお。この人が翠のお袋さんか。こんばんは。お世話になります」

 昴が綾子に向かって、丁寧にお辞儀をしていた。見えていないから無駄だよと思わず言いそうになるが、

「どうしたの? 何かいる?」

綾子の声ではっと我に戻った。

「気のせいみたい。それより今日の晩御飯は?」

 当たり障りのない話題でごまかす。

「今日の晩御飯はハンバーグとほうれん草のおひたしよ。お父さんも今日は仕事休みだからみんなで食べましょう」

「そうしよう」

 家族がそろう土日は顔を合わせてコミュニケーションを取る。これが桜木家の家訓だ。

「おお。これが家族団らんというやつか。いいなあ」

 桜木家にとっては、当たり前のことだが、翠の後ろにいる昴にとってはそうではないらしい。物珍しそうに晩御飯の様子を眺めている。ハンバーグはふわふわで、おひたしもごまの味がしっかりしておいしいのに、なんだか落ち着かず、いつものようにおいしく感じられない。

「ごちそうさまでした」

 しかし、なんだかんだ言いながらも今日もご飯は完食した。綾子の作るごはんはいつもおいしい。

「お風呂、先に入りなさい。最後に私が入るから」

 綾子が食器を洗いながら、翠にお風呂に入るよう促す。

「うん。じゃあ、先に入るね」

 とここまではいつもの会話だ。しかし、

「おお。風呂か。俺も入りたいなあ」

 後ろで、昴がわくわくしているところがいつもと違う。

「一緒に入ってきたら、熱湯かけるからね」

 冒険家気分で脱衣所までついてきた昴をけん制する。

「大丈夫だ。翠に追い出されたら、俺は行くあてがない。ゆえに俺は何もしない」

「わかっているならよろしい」

 脱衣所に入ると思いきり引き戸を閉めて、昴の前から姿を消した。本当なら鍵もかけたいくらいだ。

「はあ……面倒くさい……」

 翠にとっては当たり前の行動に昴はいちいち大げさなくらい反応する。昴だって引きこもるまでは食卓を囲んで、声を掛け合う家族がいたはずだ。何が彼の運命を変えたのか。まだまだ謎は多い。

 風呂から上がり、翠は昴を奏の部屋まで案内した。

「ここがお兄ちゃんの部屋だから」

 そう言って、2階の翠の部屋の向かいの部屋を開ける。留学中のため、空っぽになった机とシーツが敷かれたベッドが置いてあるだけの殺風景な部屋だ。机の反対側には本棚があり、本が好きな奏のコレクションがずらりと並ぶ。本……といっても、男ウケしそうなエッチな服を着た女の子が描いてある表紙の本である。

「おお‼ この小説、読んでみたかったんだ。読んでもいいか?」

 入った途端に昴のテンションは最高潮に達した。奏は成績がよかったから、テストで満点を取るたびに両親にねだって、お小遣いをかき集めていた。日に日に増えているとは思っていたが、ここまでとは知らなかった。昴とどうやら趣味が合うらしい。

「ちゃんと元通りにしておいてよ」

 翠は念のため、忠告しておいたが、昴の耳には届いていないようだ。これ以上何を言っても無駄だと思い、翠は奏の部屋のドアを閉め、自分の部屋に戻った。

「大丈夫なのかなあ」

 あれだけ平凡な日々は嫌だと思っていたのに、今となっては懐かしい。一刻も早く、昴のやるべきことを見つけて、周りが怪しむ前に平穏な日々を取り戻さなければならない。しかし、

「なんとかなりますように」

 今日の翠には、そう願って寝る以外、何もできなかった。

 



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