最終話 これからもよろしく

 一説によると、ホワイトデーのお返しにキャンディを贈る意味は、


『あなたが好きです』


 なんだそうだ。キャンディのようにあなたと甘く長い時間を楽しみたい、ということらしい。


 ホワイトデーの放課後、僕は小戸森さんにキャンディを贈った。キャンディを一から作ることなんて僕にはできないから、地元スーパーの催事場で買った、ちょっと高いキャンディをフィルム袋に詰め合わせて、口をリボンで結んだだけのものだ。


「ありがとう!」


 小戸森さんは包装を解き、キャンディを口に放りこんだ。にこにこしながら口のなかで転がす。

 そして――。


 ガリッ、ガリガリッ!


 噛み砕いた。

 キャンディは甘く長い時間を楽しむお菓子、という前提が見るも無惨にくつがえされた瞬間である。


『お前の告白なんかだ!』


 という意味ではないと信じたい。


「小戸森さん……キャンディの意味は知ってる?」

「もちろん。飴でしょ?」

「……うん」


 これ以上ないくらい正解である。


 二個目の飴を噛み砕いたあと、小戸森さんはなんだかそわそわとした様子で髪をいじったりネクタイを直したりしている。そしてときおりちらっと僕のほうに視線を寄こしたりする。


「なに?」

「園生くん、わたしになにか言いたいことはない?」

「言いたいこと? ――あ」


 僕は小戸森さんに身体を向け、咳払いをした。小戸森さんもこちらに身体を向け、居住まいを正す。

 僕は言った。


「つまらないものですが、ご笑納しょうのうくだされば幸いです」

「今日も園生くんらしさが全開だね」


 小戸森さんは呆れたように言った。つまり、若さがない、ということらしい。

 そう言われても、ひとにものを贈るときに言うべき言葉がそれしか思い浮かばないのだ。

 

 彼女は急に真剣な顔をして、こう付け足した。


「でもある意味よかった。決心ができたし」


 立ちあがり、鞄を掴む。


「じゃあ」


 と僕に手を振り、去っていく彼女の顔は、妙にすっきりとした表情だった。


 ――決心……?


 急に飛び出した重々しい単語に僕は不穏なものを感じたが、なんだか呼びとめるのが怖くて、ただ彼女の背中を見送ることしかできなかった。



 小戸森さんの『決心』の意味が分からぬまま一週間が過ぎた。

 もう明日は修了式だ。つまりは、小戸森さんとの約束のリミットである。正確に言えば「一年以内にしもべにする」と宣言したのは昨年の四月中旬くらいだったから、まだ一ヶ月ほどあると言えそうだが、彼女はそういうことを言ったのではあるまい。切りのいい修了式を意識しての発言だろう。


 それにもう、ずるずる引き延ばすつもりはない。


 ――もう今日、言ってしまおうか?


 僕はデスクチェアをくるりと回転させて押入の戸を見た。

 この部屋の押入と小戸森さんの部屋の壁はいまだにつながっている。しかしプライバシーの問題もあるから、小戸森さんはある魔法を施した。

 その魔法とは『空気の振動を遮断する』魔法。つまるところ、音を聞こえなくするための魔法である。


 そんな面倒なことをしなくてもつながり自体を遮断してしまえばいいと思ったのだが、そもそもどうしてつながったのか分からず、菱川さんでもつながりを断つことはできなかったそうだ。強固なつながりらしい。


 よほどの用事があるとき以外は、この出入り口を使わないと約束をしている。最後に使ったのはバレンタインデーの前日、チョコレートを作る手伝いをしたときだ。


 告白をすることは、少なくともチョコを作るよりは『よほどの用事』だろう。使っても問題ないはずだ。

 僕はスマホを手にとり、メッセージをしたためる。


『ちょっと用事があるから開けてもいい?』


 小戸森さんと会う前は苦手だったフリック入力もかなり速くなった。

 でも、送信ボタンを押すときはいつも緊張する。誤字はないか、誤解を招くような表現はないか、不快にさせるようなことは言ってないだろうか、と。

 今日はなおさら緊張する。だって、このメッセージを送ったら、もう僕たちは、少なくともいままでの関係ではいられなくなる。


 運動してもいないのに心臓が激しく鼓動して、息も荒くなる。


 ――押すぞお、押しちゃうぞお……?


 指が震える。


 ――押す、ほんとに押す、つぎの瞬間押す……!


「っ!」


 僕は画面にほとんどくっつきかけた指を浮かせた。べつに気持ちが挫けたわけではない。

 声が聞こえたのだ。小戸森さんの声が、押入から。

 声を遮断する魔法が時間の経過で弱くなってしまったのだろうか。それともつながりがより強くなって音声遮断の魔法を上回ったのか、原因は分からない。ともかく彼女と、そして菱川さんの話す声が微かに聞こえたのだ。


 机の引き出しをそろりと開けてイヤホンをとりだした。耳栓代わりに耳に入れようとしたとき、気になる単語が聞こえてきて、僕は手を止めた。


『告白』


 たしかにそう聞こえた。今まさにそのことを考えていた僕が、その単語を聞いてスルーできるはずもない。

 足音を立てないよう忍び足で押入まで近づき、戸に耳を寄せる。

 聞こえてきたのは小戸森さんの声だった。


「お姉ちゃんはどうやって告白したの?」

「え!?」


 菱川さんはあからさまにびっくりしたような声を出した。


「あ、ああ、ええと……。わたしはアレよ、自分から告ったこととかないから」

「さ、さすがお姉ちゃん……!」

「は、は、は」


 菱川さんは笑った。しかしその笑いが若干、乾いているように聞こえるのは気のせいだろうか?

 

 話の内容は、いわゆる恋愛談義というやつらしい。菱川さんの過去の恋愛事情を尋ねているようだ。


 ――聞き耳を立てるのはよくないな。


 戸から耳を離す。

 そのとき、小戸森さんが言った。


「こ、告白ってどうすればいいのかな……」


 僕は再び戸に耳をつけた。

 少々の沈黙のあと、菱川さんの声。


「ついに?」

「……うん」

「修了式に告白? うわ、青春」

「茶化さないでよお」


 小戸森さんのちょっと怒ったような声。菱川さんは「ごめんごめん」と笑った。


「好きって言えばいいんじゃない?」

「それだけ? もっと、なんかこう……」

「いままで手の込んだことをして全部失敗してるんでしょ?」

「……うん」

「遠回しで無理だったんだから、直接的に言うしかないと思わない?」

「……思う」


 菱川さんは言った。


「マーに足りないのは方法じゃない。勇気だよ」



 僕は戸から耳を離した。そして音がしないように部屋から出る。


 そのあとの記憶はおぼろげだ。階段から足を踏みはずして尻餅をついたり、お茶を淹れたのにそのまま台所に放置したり、歯を磨こうとして歯ブラシに洗顔料をしぼり出したりしたような気がする。母から「大丈夫?」と声をかけられたような気もするが、どう返事をしたかは覚えていない。


 気がつくと僕は自室のベッドに倒れていた。小戸森さんの声はもう聞こえない。

 聞こえてきたとしても、もう聞きたくない。


『こ、告白ってどうすればいいのかな……』


 小戸森さんは明日、誰かに恋の告白をする。

 小戸森さんと僕の知らない誰かの恋が明日、始まる。

 僕の恋は今日、始まる前に終わった。


 スマホに僕のしたためたメッセージが表示されている。


『ちょっと用事があるから開けてもいい?』


 送れなくてよかった。

 メッセージを消去して、枕元に放った。



 修了式が終わり、長めのホームルームのあと、僕たちは解放された。晴れて一年生を修了し、春休みに突入する。


 放課後の密会のために僕は学校裏の石垣へ向かった。行かずに済むなら行きたくはない。でもそれじゃあ、昨日のふたりの会話を盗み聞きしていたと白状するようなものだ。

 僕はため息をついた。まさか小戸森さんとの密会に行きたくないと思う日が来るなんて考えもしなかった。


 重い足を引きずるようにして、僕は歩く。

 そして石垣が見えてくる。小戸森さんはすでにそこにいて、いつものように石垣に腰かけている。

 ますます足が重くなった。でも僕は無理に笑い、「やあ」などと言って彼女の隣に座った。


「こ、こんにちは、園生くん」


 彼女はそう挨拶を返し、じっと足元を見つめる。

 表情が固い。それはそうだろう。これから告白が控えているのだ。

 僕も自分の足元を見つめる。というより、小戸森さんの顔が見れなかった。見てしまえば、感情を抑えることができなくなってしまう。


 小戸森さんは手のひらを拭くみたいに自分のふとももをさすっている。


「あ、あのね、今日は園生くんに言いたいことがあって」


 ――僕に言いたいことなんて、もうないんじゃ……?


 いや、そうか。


「今日で終わりだよね」

「え?」

「しもべにする、ってやつ」

「あ、ああ! うん、そう。――はい、あれは今をもって終わりですっ」


 ぱんと手を叩く。妙にテンションが高い。僕は相変わらず彼女の顔を見ないまま口を開く。


「一年がすごく――」


 短く感じる、と言おうとした。でも言えなかった。楽しかったはずの思い出が、いまは僕を激しくさいなむのだ。


 駄目だ、泣きそう。


 僕は鞄を掴んで立ちあがった。小戸森さんは慌てたような調子で言う。


「あ、あれ? どこ行くの?」

「小戸森さん、今日これから用事あるんじゃないの? 時間大丈夫?」

「用事、はあるけど……」


 と、頬を赤らめ、うつむく。


 駄目だ、泣く。


 僕は彼女に背を向けて歩きだした。


「え、え? ちょっと待って!」


 ぱたぱたと追ってくる足音。


「どうしたの急に!?」

「だって僕がいたら邪魔でしょ」

「そんなわけ……」

「だって小戸森さん好きなひといるんでしょ!」


 僕はついに声を荒らげてしまった。


「早く行かないとそのひと帰っちゃうよ」


 最悪だ。怒鳴りつけてしまった。それに盗み聞きしていたこともばればれだ。

 なにもかも終わった。もう消えてしまいたい。

 僕は歩みを早める。小戸森さんはほとんど駆け足でついてくる。


「待って、そうじゃなくて」

「そっか、電話を使うのか。それとも魔法?」

「違うの、聞いてっ」

「なら早く行かないと」

「違うの!」


 手首を掴まれ、強引に振り向かされた。



「わたしが好きなひとは園生くん!」



 僕の怒鳴り声よりずっと大きな声で、小戸森さんは言った。


「え?」


 なにかの聞き間違いだろうか。


「いま、なんて?」


 にらむみたいな真剣な顔で僕を見ていた彼女は、急に顔を真っ赤にしてそっぽを向いた。


「も、もう言わない」

「僕が、好き?」

「聞こえてるじゃない!?」

「しもべ的な意味で?」

「それはもう終わったって言ったでしょ」

「じゃあ」


 僕は小戸森さんを見る。

 小戸森さんは恥ずかしそうにこくんと頷いた。


「どういう意味?」


 小戸森さんはコケそうになった。


「嘘でしょ、園生くん……」

「ごめん。信じられなくて」

「だから」


 小戸森さんは胸を押さえ、大きく深呼吸をした。


「英語で言うとラブの好き」


 一度は失ったと思った恋が小戸森さんのほうからまた転がってきた。いや、単に僕が先走って、失ったと思いこんでいただけだったのだ。


 僕はぼうっとしていた。実感が湧かない。夢じゃないだろうか。


「小戸森さん、僕のこと強めに蹴ってくれる?」

「どうして!?」

「いや、これが夢だったら残酷すぎるでしょ? 早く覚めないかと思って」


 小戸森さん僕をデコピンした。


「痛っ」


 僕は額を押さえる。


「夢じゃないよ」


 彼女は悪戯っぽく笑った。

 ちゃんと現実らしい。


「それで、園生くんの返事は……?」

「あ、うん、僕も……ずっと、好き、でした」


 一瞬、嬉しそうな顔をした小戸森さんは、すぐに怪訝な顔になった。


「……ずっと? って……?」

「多分、11ヶ月前から」


 そう言うと彼女はぽかんとした。


「わたしも……11ヶ月前から」

「は?」


 今度は僕もぽかんとした。


「ごめん、ちょっと整理する。――つまり僕らは、去年の四月からずっと両思いなのに、気づいてなかったってこと?」

「……そういうことになるよね」

「は、はは」

「ふふ」


 笑った。涙が出るほど笑った。腹筋が釣りそうだ。

 小戸森さんも笑っている。涙を拭って、お腹を抱えて。


 ひとしきり笑い、やっと落ち着いた僕らは、また石垣に並んで腰かけた。

 この11ヶ月のあいだ、僕らはいったいどうすれ違ったのか、答え合わせをしようということになったのだ。


『催眠術、かかったフリだったの!?』

『ままごと人形のラビちゃんって小戸森さんとつながってたの!?』

『お化けトンネルで具合の悪いフリをしたのって、わたしが男子と話してるのを見て焦ったからだったの!?』


 などなど。事実が判明するたび、僕らは恥ずかしさのあまり悶えそうになった。

 しかしひとつ、判明しなかったことがある。


「未来を見るカメラでカップルを追跡したことあったよね? あれはなんだったの?」


 この質問にだけは、小戸森さんは頑なに答えようとしなかったのだ。

 それでもしつこく尋ねてやっと一言だけ、


「いずれ分かるから」


 という言葉を引き出した。

 まあ、いずれ分かるというなら楽しみにしておこう。


 そして僕は、もっとも知りたかったことを尋ねた。


「結局『しもべにする』ってなんだったの?」

「あ、あれは……」


 小戸森さんは長い黒髪を指に巻きつけた。


「恥ずかしくて、つい……」

「じゃあ、とくに意味はなかった……?」

「なんとか園生くんをとりこにして、それで園生くんから告白してもらおうって、そういう意図だったというか……」

「僕、それを真に受けて、『絶対にしもべになるもんか』って必死だったんだけど」

「そ、そうなの?」

「だって、しもべになったら恋人になれないって思って」

「ああ……」


 小戸森さんはため息混じりの声をあげた。


「じゃあ、しもべなんて言わなければ」

「11ヶ月はかからなかったかも」


 ふたり同時に苦笑いをした。


「これからは恥ずかしがらないで、ちゃんと気持ちを言うようにしよう。多分だけど僕、ちょっと鈍感みたいだし」


 小戸森さんは目を丸くした。


「気持ちを言うようにしようと決めたから言うけど、園生くん、どころじゃないよ?」

「え!?」


 僕の驚いた顔がおかしかったのか、小戸森さんはぷっと吹きだした。


 大丈夫だ。この調子なら、言いたいことを言っても、僕たちは仲よくやっていけるだろう。


「これからもよろしくね、小戸森さん」

「これからもよろしく、園生くん」


 僕たちは手をつないで、ふたりの未来に思いを馳せた。



◇◇◇



 春。僕たちは二年生になった。

 小戸森さんとは同じクラス。そして隣りの席。多分、彼女が魔法で操作したんだろう。


 でも相変わらず僕たちの関係はみんなに秘密で、隣りの席だからって言葉を交わす機会が増えたわけでもない。


 でも近くにいれるだけで幸せ……なんてちょっと惚気のろけすぎだろうか?


 放課後、小戸森さんは僕に目顔でなにかを知らせて、教室を出ていった。しばらく時間を置いて、僕も教室を出る。


 ポケットには茎わかめをぱんぱんに詰めている。きっと彼女は笑ってくれるはずだ。


 僕は期待に胸を躍らせながら、いつもの石垣へ向かう。


(了)

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