第24話 バレンタイン、僕チョコレートを、作る側

「はい、というわけでね、今日はチョコレートを作っていくわけなんですけども」


 小戸森さんはまるで料理番組の講師みたいに言った。

 小戸森さんの家の広々としたキッチン。対面式のシステムキッチンで、ダイニングにはガラスのテーブルと四脚のイス。部屋の隅には背の高い観葉植物があったりなんかして、インテリアショップの広告に載っていそうな、まあ一言で言えばハイカラな感じだった。


 でも、そんなハイカラな小戸森家のキッチンに目がいったのは最初の数分程度、それ以降はずっと僕の目は小戸森さん自身に釘付けだった。

 だって、仕方ないでしょう? ラフな感じの部屋着の上にエプロンを着けて、長い髪をシュシュでポニーテールにした彼女がキッチンに立っているんだから。隣に立っている僕は、もうさっきから彼女の横顔やうなじに視線が吸いこまれっぱなしである。


 今日、僕は小戸森さんの家でチョコレート作りの手伝いをしている。


『チョコを作るの手伝ってもらってもいい?』


 十三日のお昼休み、小戸森さんは僕にそうメッセージを送ってきた。

 僕は大いに戸惑った。いや、手伝うことはやぶさかではないのだけど、「小戸森さんからチョコをもらえたりして」なんて妄想していたから、まさか自分が制作側に回るなんて考えてもみなかったのだ。


 ともかく僕は、みんなに配るチョコを作ることとなった。


「お父さんでしょ、お母さんでしょ、お姉ちゃんでしょ、それから――」


 指を折って、配る人数を再確認する小戸森さん。キッチンには大量のバターと板チョコ、小麦粉やベーキングパウダー、紙製の焼き型などなどが並べられている。


「なにを作るの?」

「クラスのみんなには、いっぺんにたくさん作れるブラウニー。お姉ちゃんとかにはそれに加えてチョコチップマフィンをあげようかなって」


 ――なるほど。


 僕は思った。


 ――チョコチップマフィンをもらいたい。


 だって、ブラウニーのほうは大勢に配る用なのに対し、チョコチップマフィンは近しいひとへの特製の品なのだ。つまりマフィンをもらえるってことは、小戸森さんにとって『特別なひと』ということで。


 ――僕はいったいどちらに分類されるのか……。


「園生くん、どうしたの? 怖い顔して」


 小戸森さんが怪訝な顔で僕を見ていた。


「い、いや、お菓子作りなんてはじめてだから緊張して」

「そうなの? 園生くんなら、おはぎとか作ったことありそうなのに」

「あ、それはあるけど」

「あるんかーい」


 小戸森さんは漫才師みたいな突っこみをしてクスクスと笑った。

 最近、妙にテンションが高い。具体的には、ちょっと前にファッションモデルの勧誘を断ったあたりから。あのときは「小戸森さんが遠くへ行ってしまうのではないか」って少し怖かったけど、結果的に前よりも距離が近くなった感じがしている。


「さて」


 機嫌よく笑っていた小戸森さんが、急に真剣な表情になった。目を細め、まな板を見おろす。瓦割りで精神集中をする空手家のような表情だった。


「園生くんに手伝ってもらうのは試作品だから、気楽にいこうね」


 ――全然気楽そうな顔じゃないんだけど……。


 甘いものに格別の思い入れがある小戸森さん。食べるだけでなく、作るほうでもそれは変わらないらしい。



 作業開始。小戸森さんの指示で僕は、刻んだチョコとバターをボウルに入れて、湯煎をしながらゴムべらで混ぜる。小戸森さんは薄力粉とベーキングパウダーを混ぜて、ふるいでふるっている。


 無言で、黙々と作業する。

 僕にはしゃべれない理由があった。


 ――新婚さん、みたいじゃない……?


 そう思ってしまった瞬間から、僕の心臓は内側から胸をどっかんどっかんとノックして、とてもじゃないが先ほどまでみたいに滑らかに話す自信はなかった。

 僕はちらと横目で小戸森さんを見た。


 小戸森さんも僕を横目で見ていた。


 ふたり同時に目を逸らす。


 小戸森さんは裏声みたいな声で言う。


「な、なに? どうしたの? どこか分からないところある?」

「い、いや、大丈夫。……あの、うん、大丈夫……」


 もうすっかり溶けたチョコを意味もなく混ぜる。小戸森さんも、すっかり空になったふるいをいつまでもとんとんと叩いている。


「あ、あの……つぎはなんだっけ?」

「あ、と、とと溶き卵を混ぜて、砂糖と、薄力粉も……」


 小戸森さんはガッチガチに緊張している。お菓子作りに賭ける思いは相当なものらしい。『新婚さんみたい』なんて不純なことを考えた自分が恥ずかしい。


 ――よしっ。


 僕は気合いを入れた。余計なことを考えず、作業に集中しよう。小戸森さんの期待に応えるためにも。

 僕はしゃかしゃかと卵を混ぜ、チョコに加えて泡立て器で撹拌かくはん。ふるった薄力粉と上白糖も加えてゴムべらで丁寧に混ぜる。

 バットにクッキングシートを敷き、そこにチョコを流しこんだ。そして砕いたクルミをぱらぱらと落とす。


 我ながら手際がいい。和食はたまに作るけど、こういう洒落たお菓子を作るのも楽しいものだ。


 小戸森さんを見ると、彼女はバターの入ったボウルに泡立て器を突っこんだまま、ぼうっと僕のほうを見ていた。

 頬がイチゴのように赤い。熱に浮かされたような目をしていた。


「……小戸森さん?」

「あ、ひゃい!」


 小戸森さんはびくんとなって変な声をあげた。


 ――『ひゃい』?


「見てない見てない、全然見てないよ!」


 あはは、と笑いながらバターをかき混ぜる。

 バターを混ぜるのは、マフィン作りの工程で言えば第一段階だ。


 ――ずっと僕を見てたの?


 そんなに心配になるほど下手だったろうか。結構うまいと思ったんだけど……。


 小戸森さんは慌てて作業する。迷いのない、きびきびとした動作。お菓子作りに慣れている感じだ。

 僕はそんな彼女をじっと見つめていた。


 ――惚れ直すなあ……。


 はたと、あり得ない妄想が頭をよぎった。


 ――さっき僕のことを見てたのは、もしかして僕と同じことを考えていた、とか……。


「ないわっ」


 僕は恥ずかしさのあまり大声を出してしまった。

 小戸森さんはびくりと首をすぼめ、


「な、なに? わたしなんか間違った……?」

「い、いやごめん。むしろ間違っていたのは僕です」

「? うん……?」


 釈然としない顔で作業を再開する。

 紙の型にマフィンの生地を半分ほど流しこむ。


「これであとは、180度のオーブンで25分焼いて、粗熱あらねつをとるだけ」

「けっこう時間がかかるんだね」

「大丈夫、こちらに――」


 小戸森さんは直径50センチくらいのペンタクルを描きこんだ紙を広げ、オーブンの下に敷く。そしてブラウニーとマフィンの生地をオーブンに入れて、時間を設定し、スイッチを入れた。

 するとものの数秒で「ピピ」と電子音がなり、彼女は鍋掴みを手にはめてブラウニーとマフィンをとりだして、僕の前に置いた。

 両方ともすでに焼きあがっている。魔法で時間を短縮したらしい。


「すでに焼きあがったものがあります」

力業ちからわざ

「魔女の時短じたんテクニックだよ」


 小戸森さんは焼きあがったブラウニーとマフィンをじっと見おろしている。


「なにしてるの?」

「粗熱がとれるのを待ってる」

「時短すれば?」

「粗熱は時短できないの」


 ――なぜ。


 魔法の機序きじょが分からない。




 試食タイムである。僕らは向かいあってダイニングテーブルにつき、出来たてのチョコレートケーキを食べる。

 ブラウニーは柔らかいクッキーみたいな食感で、でもクッキーよりしっとりしている。かなり甘いけど、最後に入れたクルミのほろ苦さがいいアクセントになっていた。

 マフィンのほうはふんわりとしていて、甘さは控えめ。でも荒く刻んだチョコチップが口のなかで溶けると、あっさりとしたケーキと渾然一体となってちょうどいい甘さになる。

 僕は渋めのお茶をすすって、はあ、と息をついた。


「おいしいねえ」


 僕がそう言うと、小戸森さんはぷっと吹きだした。


「ほんと、お爺ちゃんみたい」


 そしてブラウニーとマフィンを味見する。


「うん、両方とも上手にできた」

「これで自信を持ってみんなに配れるね」

「え?」


 小戸森さんがきょとんとする。


「『え』って、配るんだよね?」

「あ、あ~、うん、配るよ」


 と、決まり悪げな笑みで言った。

 謎のリアクションに僕は首を傾げる。



 お皿にはマフィンがひとつ残っていた。ブラウニーはふたり分、マフィンは三つ作ったから、ふたりで味見すれば残るのは当たり前だ。


 ――家族のひとにも味見してもらうのかな?


 と思っていたら、小戸森さんはそのマフィンをフィルムに包んで、口を赤いリボンで結んだ。

 そして僕に差しだす。


「これ、余っちゃったから園生くんもらってくれる?」

「あ、う、うん」


 僕は押し頂くように両手でマフィンを受けとった。


 やった。僕はやったぞ。小戸森さんから念願のマフィンをもらった!


 ――バレンタインデー前日だけど。


 でも『特別なひと』に配るためのチョコをゲットできたのだ。


 ――勝負に勝って試合に負けた、みたいな。


 思いのほかしっくりくるたとえに僕は自分を満足させて、小戸森さんの部屋に向かう。

 小戸森さんの部屋の壁と僕の部屋の押入は、クリスマスイブの前日からほとんどずっとつながりっぱなしだ。


「じゃあ、今日はありがとう」

「うん、また明日」


 手を振る小戸森さんに手を振り返して、僕は押入の戸を閉めた。

 日が落ちて、真っ暗な部屋。僕は電気をつけて、マフィンを机の上に置いた。


 夕食を食べ、風呂に入り、勉強する。

 そしてすっかり夜も更けて、僕はベッドで本を読んでいた。ちらちらと時計を見る。


 ――もう少し、もう少し……。


 そしてついにそのときは来た。


 0時0分。


 僕は包装を解いてマフィンを口に運んだ。


 ――はい! これでバレンタインデーに小戸森さんから特製のマフィンをもらったに等しい!


「はっ、はっ、はっ」


 僕はマフィンの最後の一かけを口に放りこんだ。


「はあ……」


 ――空しい……。


 虚無が胸に広がる。

 僕はとぼとぼと台所に行って水を飲んだあと、歯を磨き、就寝した。



 明くる日のお昼休み。教室には浮かれたような、それでいてどこかピリリとした空気が充満していた。

 クラスで最もコミュ力の高い女子が教壇に立ち、紙袋を持ちあげた。


「はい注目! この紙袋のなかには小戸森さんが用意してくれたチョコが入っています! さあ、欲しいひとは並んで並んで!」


 小戸森さんは窓際の席で背筋を伸ばして座り、朗らかな笑みを浮かべている。

 最初は皆、様子をうかがうようにしていたが、お調子者の男子が「じゃあ俺が一番!」と言って立ちあがると、彼につづいて他のクラスメイトも男女問わず列を作った。


「はい、押さない押さない! ちゃんとみんなの分あるからね」


 ――やっぱりみんな小戸森さんのチョコが欲しいよな。


 僕も並ぼうかな、と腰を上げたとき、一番にチョコをもらった男子がちょうど帰ってきて、小戸森さんに礼を言っているのが見えた。


 ――あれ?


 彼の手にあるチョコ。それは、チョコレートで有名な製菓メーカー『ロイス』のナッツ入りチョコバー。つまり、既製品だった。


 ――なんで?


 本当ならブラウニーを配るはずだ。

 疑問に思ったが、すっかり囲まれてしまった小戸森さんに声をかけることもメッセージを送ることもできず、僕は浮かせた腰を再び下ろすしかなかった。




 そして放課後の密会。石垣には口元までマフラーで覆った小戸森さんが、足をぶらぶらさせて座っている。

 僕は挨拶もそこそこに隣に腰を下ろすと、単刀直入に聞いた。


「チョコレート、どうしたの?」

「なにが?」

「だって、ブラウニーを配るって」


 小戸森さんは目だけ明後日の方向に向けた。


「失敗しちゃった」

「え、失敗? 試作したのに?」

「時短の魔法をかけてたの忘れて25分焼いちゃって、黒焦げ。ブラウニーも、マフィンも。それで材料が足りなくなったから、ロイスのチョコに切りかえたの」

「ええ……?」


 最近は魔法で失敗することはほとんどなかったのに。


「そっか、残念だったね」

「うん。だから――」


 小戸森さんは僕を上目遣いで見た。


「わたしの手作りチョコを食べたのは園生くんだけだよ」


 その言葉に、僕はまじまじと小戸森さんを見た。彼女は目を伏せ、マフラーを引きあげて顔を半分隠してしまう。


 僕は顔を正面にもどした。

 心臓の音がやけにうるさい。


 ――バレンタイン、特製チョコを食べたのは、世界でただ僕ひとりだけ。


 喜びと混乱のあまり短歌を一首、吟じてしまった。字余りだが。

 僕は冷静を装い、小戸森さんに笑顔を向けた。


「じゃあ、ホワイトデーは僕も頑張らなくちゃね」

「……言葉が」

「え?」


 小戸森さんはさらにマフラーをさらに上に上げて、もごもごと言う。


「なにもいらないから、その代わり一言だけ、言葉が――」


 小戸森さんは急に立ちあがった。


「なんでもない! 忘れて!」


 鞄を引っつかんで駆けていく。


「ええ……?」


 まだいくらも話していないのに、今日の密会は強制終了されてしまった。

 ぽつんと取り残された僕は、ひと月後のイベントに思いを馳せる。


「ホワイトデー、どうしよう……」


 もう小戸森さんが設定した『リミットの一年』はすぐそこだ。そうすれば彼女とこうして会う理由もなくなってしまう。

 リミットを理由にしてずるずると引き延ばしてきた思いに、そろそろ終止符を打たねばならない。


「覚悟、決めるか」


 僕は手袋をとって、自分の頬を両側からぱんと叩いた。

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