第15話 彼女の看病がやばすぎる

 結論から言うと、恋の力で病は治らない。


 先日、小戸森さんに連れ回されて風邪をひいた。そして熱が下がらず学校を二日休んだ。そのまま週末に突入し、今日は日曜日。風邪をひいてから四日近くたっているのに熱が一向に引かない。


 このままでは小戸森さんに会えない日が増えるぞ? それでいいのか、僕の身体。

 ベッドのなかで何度も問いかけてみたが、体調がよくなる気配もなく。


 つまり、恋をしていようがいまいが、治るときは治るし、治らないときは治らないのだ。小説や映画のように奇跡など起こらない。


「会いたい……」


 僕は何回目になるかも分からないため息をついた。部屋のはもう、僕の吐きだしたため息だけで満たされているのではないだろうか。


 そのときスマホが「キンコン!」と着信音を鳴らした。

 ベッドサイドテーブルのスマホを手探りで探り当て、画面にポップアップされた通知を見た。


 小戸森さんからのメッセージ。

 ここ毎日、体調を気づかう言葉を送ってくれている。

 僕が風邪をひいたのを、彼女は自分のせいではないかと気にしていた。


 ――全然そんなことないのに……。


 あの日は僕の意志で彼女に付きあったのだから、あれは僕自身のせいだ。それに前日、寝不足だったのも自業自得。


 今日も気づかいと謝罪の言葉がつづられているのだろうと思い、アプリを起ちあげた。

 そこには予想だにしないメッセージが書かれていた。


『いま園生くんの家の前にいます』


 僕はがばっと身体を起こした。高熱のせいで起きあがれないはずの僕の身体が、驚愕と歓喜のあまり火事場の馬鹿力的な力を発揮したらしい。


 カーテンを開け、玄関を見おろす。

 小戸森さんが立っていた。左手にレジ袋を提げ、右手で僕に手を振った。

 お見舞いに来てくれたらしい。昨日、メッセージのやりとりで、家族が在宅しているかを気にしていたのはそのためだったのだ。


 僕は節々の痛みも忘れ、ジェスチャーで、


『ちょっと待って。いま開ける』


 と伝えた。

 すると小戸森さんは僕に手のひらを向けた。そしてその右手を、小さく前へならえをするみたいにして水平に移動させた。


『窓を開けて』


 と言っているらしい。

 僕が指示されたとおり窓を開けると、彼女はあたりを見回し、少しだけ腰を低くするような動作をした。


 ふわり、と彼女の身体が浮きあがる。そしてスズメのように飛びあがって窓から入ってきた。


 小戸森さんは靴を脱ぎ、部屋の真ん中に降り立った。

 彼女は右手に持っていた習字の小筆をレジ袋に入れた。あれに乗って飛んできたようだ。ホウキでなくても、ホウキに形状が似ていさえすればなんでもいいらしい。

 靴も一緒にレジ袋に入れてから、


「窓から失礼します」


 と、小首を傾げるみたいに会釈した。


「あ、はい、ようこそ……」


 僕は呆気にとられながらもなんとか返事をした。

 彼女はグレーのカーディガンを脱ぎ、デスクチェアの背もたれにかける。

 ミルク色をしたハイネックのTシャツと、スキニーデニムといった出で立ちだった。


「今日はラフなかっこうだね」

「看病をするからね。動きやすさを重視したの」


 ――看病? お見舞いじゃなくて?


 疑問を差しはさむ間もなく、小戸森さんは僕の肩に手を添えてベッドに横たわらせると、布団をかけ、僕の上でうんと腕を伸ばして窓を閉めた。


「あ、あの……」

「いいのいいの。園生くんはなにも心配しないで」


 にこっと微笑んだ。


「と、その前に」


 しかしつぎの瞬間、厳しい表情に一転する。そして身体から禍々しい威圧感があふれ出した。それはちょっと前、彼女の従姉妹である菱川さんが僕に魔法を見せたときの迫力に似ていた。


 ちろ、と彼女の手に赤いものが動いたように見えた。

 刹那せつなは全身に広がる。

 それは炎だった。生きているかのように揺れ動く炎、それに合わせて彼女の黒髪も触手かなにかのように蠢く。


「な、な、な……!?」

「すぐ終わるから、横になってて」


 横になっててと言われても、部屋のなかで愛しいひとが炎上しているのに大人しくしていられるわけもない。

 僕はベッドの上を尻を擦るようにして後じさり、背を壁につけた。


 炎が床と壁に燃え広がった。


「うおっ!?」


 僕は慌てて背を壁から離した。

 すぐそばで燃えているのに、まったく熱くない。ただの炎ではないようだ。


「菌の分際で……園生くんを……!」


 小戸森さんが低い声で言ったと同時に炎が大きく燃えあがった。


「全滅させる……!」


 火で滅菌しようとしているらしい。たしかに小戸森さんに伝染してしまっては大変だ。しかしオーバーキルが過ぎる。


 小戸森さんは赤々とした炎に照らされ、腕を広げ、天井を仰ぎ見ている。


 魔女っぽさ極まれり。しかも映画のラストシーンのような壮絶さをひしひしと感じさせる絵面だった。まだ看病のほうははじまってもいないのに。


 小戸森さんは怒りのほとばしった声をあげた。


「この世の、風邪の原因菌を、滅ぼし尽くす!」

「い、いや、そこまでしなくても……。菌も生きてるし……」


 人生で風邪の菌に同情する日がくるなんて思ってもみなかった。


 小戸森さんは指揮者が曲の指揮を終えるように拳を握った。と同時に部屋の炎もすっかり消えた。


「魔法を使うのに、はじめて術式を省略できた……。園生くんのおかげかな。ありがとうね」


 なににお礼を言われたのか分からなかったが、彼女が嬉しそうなので、とりあえず「どういたしまして」とだけ返事をした。



 僕は経口補水液を飲んでいた。


 いや、いた。


 丸めた毛布で枕を高くして上半身を起こした。小戸森さんはデスクチェアをベッドのそばに引きよせて座り、ストローを差したペットボトルを、僕の顔の近くで両手で支えるように持っている。


「少しずつ飲んでね。いっぺんに飲むと吸収が悪くなるから」

「う、うん……」


 経口補水液を吸い飲みながら、ちらと小戸森さんを見た。

 身体が弱り、気も弱っているからだろうか。今日の小戸森さんはいつも以上にまぶしく見える。


 ――というかこれ……こ、恋人……みたいじゃない……?


 自分の部屋に小戸森さんがいるというだけでも平常心を保つのが難しいというのに、そう思い至った瞬間、恥ずかしさがこみあげてきて、


「自分で飲めるから、もういいよ」


 と、突き放すようなことを言ってしまった。

 自分で吐いた言葉の冷たい響きにはっとして、気を悪くしたのではないかと小戸森さんを見る。

 でも彼女は微笑みをたたえたまま言った。


「遠慮しないで。園生くんは病人なんだから、いっぱい甘えていいんだからね?」


 僕は思った。


 ――あ、好き。


 僕のなかの小戸森さんへの好感度はとっくの昔にマックスだと思っていた。

 でも、まだだった。『好きの向こう側』があったのだ。

 しかし小戸森さんは、その『好きの向こう側』すら越えてきた。


「ちょっとお台所を借りていい?」

「いいけど、なんで?」

「煮込みうどんを作ろうかと思って」


 ――あああああああああ、好きです!!


 僕は居ても立ってもいられなくなったが、身体が動かせないので足の指を開いたり閉じたりすることしかできなかった。



 台所へ向かった小戸森さんは十五分くらいでもどってきた。


「お鍋の場所が分からなかったから」


 お盆には湯気のたった丼が載っている。

 小戸森さんはデスクチェアに座り、サイドテーブルにお盆を置いた。

 玉子と刻みネギのシンプルなうどんだ。出汁だしのよい香りが漂ってきて、食欲のあまりない僕ですら思わずごくりとつばを飲みこんでしまう。


 彼女は箸でうどんをつまみ上げると、レンゲに載せた。そしてくちびるを少しとがらせて、


「ふーっ、ふーっ」


 と息で冷まし、レンゲの下に手を添えながら、僕の口に近づけた。そして、言った。あの甘美な言葉を。


「はい、あーん」


 はにかむような表情で、だ。


っ……!!」


 僕ははっとして口をつぐんだ。


 ――危ないっ……!


 思わず告白してしまうところだった。

 僕がそれを口にすれば、心に隙ができてしまったことを彼女に悟られ、きっと魔法でしもべの契約を結ばされてしまう。

 彼女が僕のしもべ化をあきらめるまで、あと約半年。それまで心の隙を悟られてはいけない。


「す?」


 小戸森さんは小首を傾げた。僕は慌ててごまかす。


「す、す、す……ごくおいしそう」


 すると彼女は、照れくさそうにうつむいた。


「あ、ありがとう……」


 ――あ、あ、あ……。


 その愛らしい表情と仕草に僕は完全に打ちのめされていた。僕の心は息も絶え絶えだ。

 しかし『彼女と恋人になりたい』、その思いが、なんとか最後の一線を越えないように僕を踏みとどまらせていた。



 小戸森さんにうどんを「あーん」で食べさせてもらうという天国の責め苦なんとか乗りきった。

 枕の高さを元にもどし、僕は再び横になる。


 小戸森さんはふとんをかけ直して、僕の胸のあたりをとんとんと叩いてくれた。

 お腹がいっぱいになったからか、それとも熱が上がったのか。身体がぽかぽかとして僕はうとうとしはじめていた。

 彼女が僕の胸をとんとんと叩くたびに眠気は強くなっていく。

 隣にいてくれる安心感も手伝って、僕はまどろみのなかに落ちていく。



 ……それにしても、今日はびっくりした。小戸森さんに会いたい会いたいとは思っていたけど、向こうから会いにきてくれるなんて。しかも看病までしてくれて……。

 ……そうだよ、看病してくれたんだよ、小戸森さんが。すごい。夢か。しかもなんだ、あの優しさ……。

 ……そしてあのうどん。めちゃくちゃおいしかったんですけど。ちょっと柔らかめに煮込んでくれたのも、僕が食べやすいように配慮してくれたわけでしょ? なんなの? 気づかいのプロなの?

 ……ああもう、ほんと……きれいだし……優しいし……かわいいところもあるし。

 ……天使、いや、女神。女神だな。魔女だけど。小戸森さん、マジ女神……。



「あ……?」


 僕は目を開けた。一瞬だけ眠りに落ちてしまっていたらしい。


「ああ、ごめん。寝てた」


 ベッドのかたわらに座っている小戸森さんを見る。


 小戸森さんの顔がまるでコタツのヒーターみたいに真っ赤っかになっていた。見開いた目の焦点が合っておらず、身体はぷるぷると震えている。


「え、ええ? 小戸森さん、まさか風邪がうつって……?」

「あ~、うん、どうだろ? 風邪? じゃ、ないかも?」


 小戸森さんはひっくり返った声で言う。


「そ、そろそろ帰ろうかな~」


 と、立ちあがって、デスクチェアにかけてあったカーディガンを羽織る。そして胸や腰のあたりに手を当てた。


「あ、あれ筆……、筆……」

「レジ袋に……」

「あ~、あはは~。自分で入れたのに。失敬」


 ――失敬?


 小戸森さんはレジ袋から小筆を探し当てるとさっそく浮かびあがった。


「ちょ、小戸森さん、窓。まだ開けてない」

「あ、ほんとだ。困る~、あはは」


 ふつうではない小戸森さんの挙動に、困っているのは僕のほうである。

 僕が窓を開けると、彼女はすーっと滑るように宙を移動した。


 ガン! と肩が窓枠にぶつかった。


「痛っ!」

「ほんとに大丈夫? 具合悪くないの?」

「大丈夫大丈夫、あはは」


 小戸森さんはひらひらと手を振った。


「お大事にね」

「小戸森さんも」


 ふわ、と浮きあがって見えなくなった。


「変なの……」


 窓を閉め、僕はベッドに横になった。

 あの慌てよう、いったいどうしたのだろう。


 ――考えてみれば、そんなにすぐに風邪がうつるわけないし……。


 目をつむっていると、またまどろみがやってきた。

 が、そのとき、ある答えに思い至り、僕はかっと目を見開いた。


「まさか、まさかまさか……!」


 僕はスマホを手にとると、小戸森さんにメッセージを送った。

 内容はこうだ。


『僕、寝言言ってた?』


 五分くらいして返信がきた。


『はい』


 簡潔すぎる返事。でも僕を恥辱の淵に叩き落とすには十分すぎる威力だった。


「あ、ああああ、ああああああああ……!!」


 僕はふとんをかぶって悶えた。


 ――じゃあ、あの……可愛いとか、女神とか、全部、聞かれて……!


 そう考えれば、小戸森さんの様子が急におかしくなったことにも説明がつく。


「うわあああああああああ……!!」


 僕はのたうち回った。

 こんなに動き回れる体力がどこに残っていたのだろうか? うどんのおかげか。

 ともかく僕はしばらくのあいだ悶えに悶えた。

 十分は身悶えただろうか、ようやく気持ちが落ち着いたころにベッドを這いでた。暴れて汗でびしょびしょになった身体を濡れタオルで拭き、寝間着を取りかえる。

 熱を測ってみると。


「下がってる……」


 決して39度を下回らなかった体温が37度台まで下がっていたのだ。たっぷり悶えて汗をかいたおかげらしい。



 先ほどの結論は撤回せねばなるまい。


『恋の力で病が治ることはある』


 ただし、思ってたのとは違う。

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