第12話 無防備すぎる小戸森さん
「さっぱり分からない……」
僕は地元デパート『ディオン』の衣料品売り場で呆然と立ち尽くしていた。
厳密に言えばディオンはデパートではなく大型スーパーらしい。業態はほとんど同じに思えるのだが、いったいどこに違いがあるのか。
しかし「分からない」と言ったのはそのことではない。
小戸森さんになにを贈ればいいか。それが分からないのだ。
先日の『肝試し』で、僕は小戸森さんを泣かせてしまい、そのうえ、真っ白なワンピースを汚してしまった。
お詫びをしようと思いたったのだが、クリーニング代を現金で渡すのも野暮だし、ならば服をプレゼントすればいいのでは、と考えた。夏休みに突入して、ほとんど日課となっていた密会ができなくなったから、彼女と会う口実がほしいという下心もありつつ。
でもさっぱり分からないのだ、ファッションが。
一応、ファッション用語を予習してからやってきたのだが、ほとんど役に立たない、どころか大いに僕を悩ませる原因となった。だってカットソーとはなんなのだ。衣類などだいたいカット(切る)&ソー(縫う)ではないのか。
まして探しているのは女性もの、しかも小戸森さんへのプレゼントだ。よく考えもせずディオンに来てしまったが、そもそも小戸森さんは地元スーパーで買った服を喜んで着てくれるのだろうか。
僕は小戸森さんに茎わかめをプレゼントしたときと同じ失敗をしようとしているのではないだろうか。
かといって店員さんに女の子の喜びそうなファッションを尋ねる勇気もなく。
――駄目だ。今日はお日柄が悪い。
僕は身を翻してエスカレーターへと向かった。
図書館に行ってファッションを勉強しようかなどと考えながら歩いていると、上りエスカレーターから身を寄せあって上がってくるふたり連れが見えた。
カップルがやってきたのだと思った。それくらいふたりは距離が近くて、仲がよさそうだった。
でも違った。仲はよいが、カップルではなかった。
ふたりは小戸森さんと、彼女の従姉妹の菱川さんだった。
――っ!!
僕は水着売り場のマネキンの陰に隠れた。
べつに隠れる必要はないはずだった。彼女への詫びの印を買いにきたということは黙っていればいいだけだし、むしろ夏休みに彼女とおしゃべりができるチャンスだ。
なのにそうしてしまったのには理由がある。
小戸森さんの様子が、ふだんとあまりにも違うからだ。
「ハンバーグおいしかったー!」
小戸森さんが目をきらきらさせて言った。菱川さんが微苦笑する。
「まー、それ言うの何回目?」
菱川さんは小戸森さんのことをあだ名で『まー』と呼んだ。
小戸森さんはちょっと口をすぼめるようにして菱川さんにすり寄る。
「え~? だってほんとにおいしかったんだもん、チーズインハンバーグ。お姉ちゃんも食べればよかったのに」
「まーは舌が子供だね」
「あの味が分からなくなるくらいなら子供でいいもん」
そして「えへへ」と笑った。
――なん……だ、あれは……。
小戸森さんの屈託のない笑顔。
菱川さんを信頼しきった素の表情だった。
――というか小戸森さん……妹キャラだったのか……!?
入学式では新入生代表の挨拶を任され、クラスメイトからは憧れられ、この前の肝試しでは芯の強いところを見せてくれた。
そんな彼女のまるで別人のような甘えっぷりに、僕は目が釘付けになる。
小戸森さんが菱川さんの腕に腕をからめた。
小戸森さんは肩の出たゆったりとしたトップスに白いスカートという、少しフェミニンなコーディネート。対して菱川さんは白のノースリーブに黒のパンツの落ち着いた組みあわせ。美人の妹とかっこいいお姉さん、といった風情だった。
ふたりは、先ほど僕が戦略的撤退を余儀なくされた衣料品売り場へと入っていった。
――え、待って。あんなモデル級のふたりが、ディオンで服を買うのか……!?
小戸森さんの服の好みを知れるチャンスだし、あのふたりがディオンでなにを買うのかという純粋な興味も湧いてきた。
ふたりの視界に入らないように気をつけながら、僕は衣料品売り場へと舞いもどった。
◇
「色は二色、多くても三色まで。それ以上はぱっと見の印象が散漫になる」
菱川さんはブラウスを物色しながらコーディネートの講釈をする。
「一言で言っちゃえばダサい。ものにもよるけど、チェックのネルシャツとか」
チェックのネルシャツを着ていた僕はビクビクッとなった。
「Tシャツもね、ワンポイントくらいならいいけど、胸にでっかいプリントしてあるやつは難しいね。顔の印象が薄いひとだとプリントばっかり目立っちゃうし、顔が濃いひとだとうるさい感じになる」
ネルシャツの下に、でっかいプリントのついたシャツを着ている、顔の印象が薄い僕はビクンビクンとなった。
「なぜかそれにデニムのパンツを合わせるひとが多いんだけど、デニムってアクが強いから、全部バッティングしてしっちゃかめっちゃかになるんだよね」
デニムのパンツを履いていた僕は、もう立っていられなくなってしゃがみこんだ。
――しっちゃかめっちゃか……。
オシャレなひとに論理的に駄目出しされると非常にダメージが大きい。
「まあ任せな。いつもどおり、まーに似合うコーディネートをしてあげるから」
なるほど、小戸森さんのファッションは菱川さんがプロデュースしているらしい。僕はいままでに見た小戸森さんの休日ファッションを思い出した。
はじめて見た私服は、黒のワンピースにグレーのカーディガンだった。
ままごと人形を返したときは、グレーのブラウスと、くるぶしまである黒のロングスカート。
そして先日の肝試しでは、白のワンピース。
どれも小戸森さんの魅力を120%引き出す完璧なコーディネートだった。
――脱帽です。
僕はいつの間にか自然と敬礼していた。
「まー?」
返事がなく不審に思ったのか菱川さんは小戸森さんに呼びかけた。
「う、うん、お願い」
小戸森さんは手にとっていたTシャツを少し慌てた様子で棚にもどし、微笑んだ。
――……?
その微笑みが、いつも学校で見せている作り笑顔に似ているような気がして、僕は首を傾げた。
ふたりはそのあと、四つのカゴがいっぱいになるほどの服を見つくろい、試着室へと向かった。
小戸森さんは試着室に入る。菱川さんは床に置いた四つのカゴの前にしゃがみこみ、顎に手を当ててなにやら考えている。
そして「よし」と声をあげると、カゴのなかからブラウンのタンクトップと、モノトーンの花柄スカートを選びだし小戸森さんに手渡した。
小戸森さんはそれを受けとると、試着室のカーテンをしゃっと閉め、なにを思ったかまたすぐにしゃっと開いた。
彼女はすでに着替え終わっていた。
――魔法。
そういえば、彼女が魔女であることをカミングアウトしたときも、一瞬だけ木の後ろに隠れたと思ったらつぎの瞬間には魔女のローブに着替えていた、ということがあった。
――便利だな……。
朝、急いでいるときなど重宝しそうな魔法だと思った。
菱川さんは自分のコーディネートに満足したのか、口元に笑みを浮かべてうんうん頷く。僕もよく似合っていると感じる。ディオンでもセンスのよいひとが選べば様になるものだ。
しかし小戸森さんは小首を傾げ「う~ん……」とうめいた。
「お、めずらしいな、ご不満かな?」
「不満ではないんだけど……、もっと、か、かわいい感じにしたい……」
頬をほんのり紅潮させ、手をもじもじさせながら言った。
「かわいい感じ? でもまーは顔が大人っぽいから、ちぐはぐな印象になっちゃうよ?」
「……でもかわいいのがいい」
小戸森さんは駄々をこねるみたいにそう言うと、口をとがらせてうつむいた。
僕は手で顔を押さえてぷるぷる震えた。
――ああ……もうなんだ今日の小戸森さんは、ほんとにもう……!
僕は萌えという感情を生まれてはじめて理解した。
菱川さんは「仕方ない」といった様子で息をつくと、カゴのなかからピンクやキャミソールや、パステルカラーのブラウス、シャツ、デニムのスカート、フリルスカートなどをつぎつぎと手渡す。
小戸森さんはそれらを受けとると、魔法の早着替えでどんどん試着していく。
そのどれもが似合っていると思う。でも小戸森さんは決して首を縦に振らない。
淡い水色のブラウスとキュロットスカートを手渡しながら菱川さんが言う。
「かわいい服を着てさ」
カーテンがしゃっと閉まる。
「見せたいのは彼?」
カーテンがしゃっと開いたとき、そこに立っていたのはブラウスとキュロットスカートを後ろ前に着用した小戸森さんだった。
「は、はあ!? お姉ちゃんなに言ってるの! いままでとちょっと違うものが着たいなって思っただけですけど!?」
「なに慌ててんの? 彼ってまーのパパのことだけど」
小戸森さんはぷうっと頬をふくらませた。そして手を突きだす。
「いいからつぎのちょうだい!」
「はいはい」
菱川さんはにやにやしながらつぎの服を渡す。
僕もほっと胸をなでおろしたのは言うまでもない。
そうして試着すること十数着、ようやくコーデが決まった。
白い半袖のプルオーバー、黒地に白の水玉の入ったフレアスカート。そして頭に黒のキャスケット。
小戸森さんはキャスケットが特に気に入ったようだった。鏡に顔を寄せ、いろんな角度で確認する。
「これがいい!」
満面の笑みを浮かべる小戸森さん。菱川さんはふっと笑って肩をすくめた。
ふたりは会計を済ませて衣料品売り場を出ていく。
小戸森さんはダンスでも踊りだしそうな軽い足どりでエスカレーターへ向かう。
「帰りにソフトクリーム食べにいこうよ!」
「分かったからちゃんと前を向いて歩きな」
エスカレーターに乗ったふたりの声が遠くなっていって、やがて聞こえなくなった。
僕はふーと長い息を吐いた。
――いいもの見れた……。
大満足だった。夏休みに入って不足していた『小戸森さん分』が一気に補充された。むしろ溢れた。その溢れた分をスマホのカメラに収めて、折に触れて小戸森さん分を摂取したかったのだが、法に抵触しそうなので我慢した。
幸せな気分に浸ったまま僕も衣料品売り場を出ようとして、はたと思い出した。
――そうだ、お詫びの印を買わなきゃ……。
菱川さんの講釈のおかげでカラーコーディネートの重要さは身に染みて分かったが、具体的にはなにをチョイスすればいいのか。
――そういえばさっき……。
小戸森さんが慌てて棚にもどしたTシャツのことを思い出した。
僕はその棚の前に立った。
プリントTシャツの棚だった。整然と並んだTシャツのなかに一枚だけたたみ方が甘いTシャツが置いてある。彼女が手にとっていたものだろう。
胸に大きなプリント(ピンク色の宇宙人?のような生物)のあるTシャツだった。
――たまたま見てただけ……? それとも……。
僕はあのときの作り笑顔を思い出していた。
この棚にあるTシャツはどれも1280円。汚してしまったワンピースのクリーニング代としてもちょうどいいくらいだ。
「これにするか」
宇宙人のTシャツを贈ったら覗き見していたことがばれるから、なにかべつのものを選ばなければならない。
僕はある一枚に目をとめた。
――これだな。間違いない。
そのTシャツを手にとってレジに行き、プレゼント包装を依頼した。
会計を済まし、僕は意気揚々とディオンをあとにした。
◇
――間違いだったかもしれない……。
僕は学校裏の石垣に座りこんで途方に暮れていた。手には昨日購入したTシャツの入った紙袋を提げている。
――やっぱりあの宇宙人のTシャツ、たまたま見てただけなんじゃないか……? 「ぷぷ、変なシャツがある」みたいな……。
僕が自信満々でチョイスしたのは猫のTシャツだった。胸の黒い四角のプリントが白抜きされて猫の柄がついている。
小戸森さんはこのあたりを住処にしている白猫にご執心のようだからきっと喜んでくれると思ったのだが……。
――どこに着てくんだよ、これ。
小戸森さんが猫柄のTシャツで出かける姿がまったく想像できない。むしろこのTシャツは僕の母親にこそふさわしいのではないかとすら思いはじめていた。よれよれのシャツでよくコンビニやドラッグストアに行くし。
――せっかく約束したけど、やっぱり今日は中止にしてもらって……。
僕が腰を浮かせたとき、道の向こうから歩いてくる小戸森さんの姿が見えた。
白い半袖のプルオーバー、黒地に白の水玉の入ったフレアスカート。頭に載っているのは黒のキャスケット。
僕は立ちあがった。逃げ帰るためではなく、彼女の姿をよく見るために。
昨日、小戸森さんがもっとも気に入ったコーディネート。それを僕との密会のために着てきてくれた。
この気持ちは、あのコマーシャルのあれだ。
嬉しくて言葉にできない。
歩み寄ってきた小戸森さんは、僕があまりに凝視するものだから、ちょっと戸惑ったような表情をした。
「おはよう……。園生くん、どうしたの?」
「その帽子、すごくいいと思う」
まったく噛み合わない会話。でも一番に、彼女の服装を褒めるべきだって思った。
帽子がとくに気に入っていたことはカンニングしていたから知っている。でも仮にカンニングしていなくても、僕は帽子を褒めただろう。
――いや、帽子じゃないな。
たしかに、いつもの彼女と比べて子供っぽいコーディネートであることは否めない。でも自分で気に入った帽子を被って、ちょっと誇らしげな彼女の顔が、いつもより愛らしく見えたんだ。
小戸森さんはキャスケットを目深にした。
「あ、ありがとう」
「あ、おはよう」
噛み合わない会話。
「ええと」
僕は必死につぎの言葉をつむぐ。
「この前、びっくりさせちゃったことと、ワンピースを汚しちゃったことのお詫び」
そう言って紙袋を差しだした。
なんとも事務的な言い回しだ。もうちょっと気の利いたことが言えないのか、僕。
小戸森さんは紙袋を受けとった。
「べつにいいのに」
「いや、これはお詫びだけど、僕自身の
魔女の小戸森さんに、がっつり神道系の禊という概念で説明するのがベターなのかはよく分からないが、ほかに適当な言葉も思い浮かばなかった。
「うん、じゃあ、もらう。ありがとうね」
小戸森さんは紙袋を閉じていたテープをちぎって、なかに手をやった。
僕は慌てて、
「じ、じゃあ、僕は帰るから! これ渡したかっただけだから! じゃあ!」
逃げるように走りだした。
小戸森さんのがっかりした表情を見るのが耐えられなかった。
――いや……。
変なTシャツをプレゼントされて、がっかりしたのを隠すために『作り笑顔』されるのが嫌だった。
僕は家に逃げ帰り、自室のベッドに直行した。枕に顔を埋め、なんだかよく分からない恥ずかしさや自己嫌悪にうめき声をあげる。
そのあとは一日中、恥ずかしさが間欠泉のように吹きだして、僕はそのたび悶えるような気持ちになった。ご飯を食べていても、お風呂に入っていても、宿題をしていても、だ。思い出し笑いならぬ思い出し恥である。
僕はかなり疲弊していた。もう寝る時間だが、安眠できる自信がない。健康のためにも、思い出し恥に終止符を打たねば。
逃げつづけては解決にならない。立ち向かって乗り越えるしかないのだ。
僕はスマホを手にとった。そして小戸森さんにメッセージを送る。
『Tシャツ、ちょっと子供っぽかったよね。気に入らなかったら着なくていいから』
送信したあとメッセージはすぐ既読になったが、返信はなかなかやってこない。
乗り越えるどころか、壁に追突して大けがを負った気分だ。
僕はついに力尽きて床に横たわった。
指を動かすことすら億劫だ。
――このまま気絶して、目が覚めたら全部夢だった、ってことにならないかな……。
はあぁ、と深いため息をついた。
そのとき。
キンコン! とメッセージの着信音。
僕は弾かれるように身体を起こし、ベッドの上に放りだしていたスマホを手にとった。
通知には『小戸森』の文字。僕はぶるぶる震える指でLINEのアプリを開く。
そこにはこう書いてあった。
『寝間着にしました』
つづいて、しゅぽ、と音を立ててメッセージが――いや、画像が表示された。
小戸森さんの自撮り画像だった。
ショートパンツと、そこから伸びる白磁のようなふともも。そして白猫のプリントTシャツ。僕がプレゼントしたものだ。そして後方に見えるベッドには、ピンクや黄色のプリントが印刷されたTシャツが数枚。
僕はいつの間にかまばたきを忘れていた。目が痛くなって、慌ててぱちぱちとまぶたを動かす。
いまだかつてないほど薄着で無防備な小戸森さんが僕の手のなかにある。顔の上半分が切れて見えなくなっているのが、なんだか妙に生々しい。
また着信。つぎはメッセージ。
『お姉ちゃんには内緒にしてください』
小戸森さんからなんのてらいもなく甘えられていた菱川さんを、少しうらやましいと思う気持ちもあった。
でも僕は、菱川さんですら知らない、小戸森さんの秘密を知っている。
僕はいま多分、満面に笑みを浮かべてしまっていることだろう。
『了解です』
高ぶった気持ちを悟られないよう、わざと事務的に返事をした。
そして小戸森さんの自撮り写真を保存する。
僕のプレゼントを喜んでくれた、その記念として。
ベッドに倒れこんで大きく息をつき、目をつむった。
――どうか夢オチじゃありませんように。
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