第10話 ガリガ○君の当たる確率は
「今日は魔法をかけないの?」
僕は小戸森さんにそう尋ねた。
いつもの石垣にいつものように並んで座っている。でもなんだか今日は彼女の様子がおかしい。
魔法を使おうとしないのだ。それどころか目の焦点は合ってないし、ぽかんと開いた口からは魂が出ていってしまいそうだった。なんだかちょっと
「今日は……そういう気分じゃない……」
――声小っさ……。
蚊の羽音にさえかき消されそうな音量だった。
彼女はゾンビのように緩慢な動作で僕のほうを見た。
「かけられたいの?」
「いや、かけられたくはないけど」
「園生くんがなにを言いたいのか分からない……」
「いや、かけられたら困るんだけど、かける気がないって言われると釈然としないというか」
「じゃあ、はい」
小戸森さんは宙に人差し指で五芒星のペンタクルを描き、指で弾くような仕草をした。
僕はとっさに身構えた。
なのに、しばらく待ってもなにも起こらない。
「なにがどうなったの?」
「つぎに買うガリガ○君の当たりの出る確率が20%上がった」
「微妙……っ」
そんなピンポイントな魔法があるのだろうか。しかも20%だなんて上がり幅も中途半端だ。
――当たりを引いたことがないから、どうせなら100%がいいんだけど……。
小戸森さんは肩を落とす。
「そう、微妙……、わたしの魔法は微妙です……」
「五七五で落ちこまれても……」
いつも失敗しがちな小戸森さんの魔法ではあるが、基本的に一生懸命ではあった。今日はやる気が感じられない。
「もしかして小戸森さん……なんかあった?」
小戸森さんの身体がぴくんとなった。あったらしい。
「話してみてよ。なんか力になれるかもしれないよ」
「でも……」
二文字だけつぶやいて、顔をうつむける。
迷っているようだ。
「言いづらいなら聞かないけど。遠慮はしないで。僕と小戸森さんの、な、仲、じゃない」
照れくさくてちょっと噛んでしまった。
小戸森さんはしばらくくちびるをきゅっと結んでいたが、やがてとつとつと話してくれた。
「お姉ちゃんが」
小戸森さんが『お姉ちゃん』と呼んでいるのは従姉妹の菱川さんだ。
喧嘩でもしたのだろうか。ちょっと前に教室にやってきて小戸森さんをからかっていたが、仲は悪くなさそうだったのに。
「お姉ちゃんが」
「菱川さんが?」
「電話をくれない……」
「……ん?」
あまりに深刻そうな顔をしているものだから、修復不能なほどの決別でもしたのかと思った。
「電話? かけてきてくれないの?」
小戸森さんは泣きそうな顔で頷いた。
「いつもはこっちからかけたらすぐに折り返してくれるのに、一昨日も昨日も電話をくれないの……」
「ええと……。なにか病気でもしているかもって心配してるってこと?」
小戸森さんは首を横に振った。
「今日、学校で見かけた。なのに、なんか避けられてる気がする……」
菱川さんとは一度しか会っていないが、そういう陰湿なことをするタイプとは思えない。
小戸森さんは言葉をつづける。
「この前、あだ名で呼ぶなってきつく言いすぎたのかも……。それで怒って……」
声がかすかに震えている。
知らぬ間に相手を傷つけてしまったかもしれない。彼女はそれを悩んでいるらしい。よくあることだ。僕だってある。
でもそれはたいがい思いこみだ。多くの場合、相手はなんとも思っていないし、思っていたとしても謝れば済むていどの話である。
「よしっ」
僕は石垣を飛び降りた。
「じゃあちょっと直接聞いてくる」
「え!?」
小戸森さんは目を丸くした。
「で、でも」
「ここに座ってても解決しないよ? でも自分では聞きにいきづらいでしょ? だから僕が聞いてくるよ」
「でも園生くんは無関係だし、迷惑になるし……」
「事情を聞いて心配になったんだからもう無関係じゃないし、迷惑だなんて思ってないよ。いいよね?」
小戸森さんは少しためらうように黙りこんだあと、注意して見なければ分からないほど小さく頷いた。
「やっぱり園生くん、意外とエネルギッシュ……」
――小戸森さんも、意外と繊細なんだな。
「じゃあ、ちょっと待ってて」
僕は学校に向かって駆けだした。
◇
「ぜーんぜん怒ってないってば!」
菱川さんはそう言ってけらけらと笑った。
「もー! かわいいな、まーは!」
彼女の大きな声が、屋上へとつながる階段室に響いた。
菱川さんと小戸森さんは従姉妹というだけあって顔の造作が少し似ている。でも、小戸森さんが『秋』のようなしとやかさだとすると、菱川さんには『夏』のような快活さがあった。
小戸森さんのあだ名を誰かに聞かれたらまた話がこじれるのではないかと、僕はびくびくして階下を見おろしたがひとの気配はなかった。
「心配しなくても誰も来ないって。ここは『境』だからね」
「それって……」
小戸森さんが言ったのと同じ内容。垣根はあの世とこの世の境だからふつうのひとは入れない。たしかにここも校内と屋上の境界だ。
菱川さんは自分を親指で指した。
「言ってなかった? わたしも魔女だ」
そしてにかっと笑う。
考えてみれば不思議なことではない。ふたりは血がつながっているのだ。
菱川さんはばつの悪そうな顔になってこめかみをかいた。
「電話を折り返さなかったのはさ、土曜日の朝に急に『あ、旅に出たい』って思って、取るものも取りあえず出発しちゃったからなんだよね」
「どこに行ったんですか?」
「ヨルダン」
「ヨルダン!?」
僕は思わず大声をあげてしまった。
「ヨルダンって、あの?」
「中東の」
菱川さんは
「一路、ヨルダンを目指して飛んでいたんだけども、パキスタン上空で気がついたわけさ。『あ、やば、スマホ忘れた!』って」
「そんな、パキスタンを最寄りの駅みたいに……」
「でももどるのは億劫だし、まあいっかと思ってそのままヨルダンへ」
電話をくれないという話とヨルダン旅行の話の規模に隔たりがありすぎて頭が混乱してきた。
「え、ちょっと待ってください。2日で行って帰ってこれるんですか」
「ふつうのホウキだと無理だねー。だからわたしはダイ○ンの掃除機を使った」
「ダイ○ン!? ダイ○ンで飛べるんですか!?」
「吸引力が変わらないからアクセルべた踏みよ」
現代の魔女は科学も積極的に取り入れているんだな――。
そう感心しかけたとき、
「嘘だっつーの! ダイ○ンのわけないっつーの!」
と、菱川さんがからから笑いながら僕の肩をバンバン叩いてきた。
「は、はは……」
――冗談が分かりづらい……。
僕は愛想笑いをした。同じ魔女なのに小戸森さんとノリが違いすぎてついていけない。
菱川さんは急に真面目な顔をして言う。
「パナソ○ックのやつに乗ってった」
「そういう嘘ですか!?」
「やっぱ松下よ」
腕を組んでうんうんと頷いている。
――小戸森さんとはべつの意味で疲れる……。
僕は早くもぐったりしはじめていた。
でも分かったことがある。彼女は本当に怒っていない。
「でも小戸森さんは避けられてる気がすると言っていたんですが」
「あー、それは……お土産をさ、サプライズっぽく渡そうと思って。家に直接行ってドーン! と色んなものを一気に。だから学校では会わないようにしてたんだけど、そう受けとられたかー……。まずったなー……」
菱川さんは片目をつむり、顔の前で手をパンと合わせた。
「誤解、解いておいてくんない?」
「もちろん構いませんけど。直接言ったほうがよくないですか?」
「いやー、いまの状態でわたしが近づいたら逃げると思う。まー、かなり繊細だし」
小戸森さんのヘコみっぷりを思い出す。たしかに僕がクッションになったほうがよさそうだ。
「それにしてもさー、意外だったね」
「なにがです?」
「園生っちってさ、もっと……省エネっていうの? こういうことにエネルギー使わないタイプだと思ってた」
「よく言われます」
「なんか
「もっと言われます」
菱川さんは「ははっ」と笑った。
「まーはさ、繊細な子だからね。でも、中学校くらいからかな、自衛しはじめた。背筋をぴんと伸ばして、余裕の笑顔を作って、はきはきしゃべるようになった。でもさ、中身は昔の繊細なあの子のまんまなんだよ、いまも」
僕は頷いた。よく、分かる。
「だからもし悪い虫がついて、まーを傷つけたら――」
菱川さんが顔をうつむけた。陽から陰へ、彼女の雰囲気ががらっと変わる。
僕はぞくりとした。それは彼女の放つ異様な空気だけでなく、実際に気温が下がったからだった。
菱川さんの足元を中心に、床に白い霜が広がっていく。
吐いた息が白くなる。
菱川さんが目だけ動かして僕を見た。
「氷漬けにしちゃうかも」
僕は菱川さんの変貌ぶりに驚きはしなかった。
小戸森さんは『秋』のようなしとやかさを持っている。でも本当は『春』のような可愛らしさを持った女の子だ。
だから『夏』のような快活さを持つ菱川さんが、内に『冬』のような厳しさを持っていたとしても不思議はない。
――魔女、だからかな。
ふたりとも、ふたつの季節の境に立っていて、行き来しているのだろう。
「君は最近、まーと仲よくしているみたいだけど。どう? 約束できる? 傷つけないって」
「できませんよ」
僕が即答すると、菱川さんは眉をひそめた。
「……この状態でよくそれが言えたね」
「だって、傷つけようと思ってなくてもひとは傷つきますからね。現にいまだって小戸森さんは傷ついてますし。でしょ?」
「……」
「傷つくことを避けられないなら、僕はそれ以上に、彼女を笑わせてあげたいと思います」
菱川さんはぽかんとした。床を真っ白にしていた霜がすうっと溶けていき、やがてすっかり消えてなくなった。
「なんだそれ……。やっぱ君、めちゃめちゃ情熱的じゃんか」
ちょっとだけ頬が赤い。彼女はひらひらと追い払うように手を振った。
「ほら、早く誤解を解いてきてよ。まったくもう……」
僕は「はい」と返事して、小戸森さんが待つ学校裏へと駆けた。
――待てよ……。
僕は校門で立ち止まり、ちょっと考えたあと、学校裏とは逆の方向へ走った。
◇
「ど、どうだった」
小戸森さんは僕が石垣に座るや否やそう尋ねてきた。
旅やお土産のことは言わないほうがいいだろう。
「全然怒ってなかった。電話がなかったのは持ち忘れて出かけちゃっただけ。避けられてる気がするっていうのは単純に気のせい。つまり全くの誤解だって」
小戸森さんは「はぁ……」と深く息を吐き、
「よかったぁ……」
と、まるで風船がしぼむみたいに身体を丸めた。
僕はそんな彼女に、背中に隠していたレジ袋を差しだした。
「ガリガ○君、買ってきたんだ。ふたりで食べようよ」
すると小戸森さんはすっと背筋を伸ばし、挑むような目を向けてきた。
「勝負ね。わたしの魔法が微妙か微妙でないか」
「じゃあ、僕は当たりが出るほうに賭けるよ」
「ちょっと待って。それじゃあ勝負にならないじゃない」
「そうだね」
「なにそれ。じゃあわたしも当たるほうに賭ける」
僕はガリガ○君の当たりを一度も引いたことがない。
小戸森さんの魔法でも、当たりの出る確率は20%までしか上がらなかった。
でも、これだけは言える。
ガリガ○君を食べ終えたとき、ふたりが笑いあえる確率は100%だ。
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