第3話「白亜の宝石箱に宿る者」

 イオタは困惑した。

 眼の前に、生ける伝説に等しい存在が立っている。その華奢きゃしゃで小柄な姿を間近に見下ろし、どうにも落ち着かない。

 龍走騎ドラグーンを乗り回す龍操者ドラグランナーの中でも、七聖輪セブンスと呼ばれる最強クラスの存在。

 それが、こんなかわいらしいエルフの女の子だというのだ。

 イオタの戸惑いが伝わったのか、カレラは小さく溜息を零す。


「ま、いきなりじゃ当然ね。いいわ、外に出て」


 それだけ言うと、彼女はきびすを返す。

 ふわりと舞い上がるツインテールが、その色に違わぬ薄荷はっかのような瑞々みずみずしさを振りまいた気がした。見とれていたリトナが、慌ててあとを追いかける。

 呆然ぼうぜんとしてしまった兄貴分のデルタと共に、やれやれとイオタも外へ。

 そこには、一台の真っ赤な龍走騎ドラグーンが停まっていた。

 ただそこにあるだけで、ある種の不思議な存在感がある。流線型のボディは、フロントのライトがまるで水滴のよう。そう、みなぎる闘志を静かにしたたらせる、そんな雰囲気を周囲に発散していた。

 思わずイオタは、振り返るカレラに詰め寄ってしまう。


「これは……ポルシェ911! 2008年モデル、GT2!」

「あら、詳しいわね……やっぱり、例の話ってホントかもね。勇者達はみんな、過去の時代……龍走騎ドラグーンが自動車と呼ばれていた時代から来たって」

「俺は勇者じゃないですけどね。でも、凄い……発掘例は何度か聞いてるけど、ここまで復元レストアされたものは初めて見る」


 イオタはこう見えても、自動車、特にスポーツカーには詳しい。自分をねたトラックこそ、冷たく暗転する世界の中で見極められなかったが。

 イオタの父は、大手自動車メーカーの設計技師だった。

 父の影響で、小さな頃から自動車が大好きだったのである。

 そんな彼にとって、ポルシェは特別な車だ。それも、911ターボと呼ばれるシリーズは別格である。思わず駆け寄り、慌てて振り返れば……カレラは意外そうに目をまばたかせて「どうぞ」と笑う。

 触れてみる……なんてなめらかな曲線だろう。

 ただでて肌で感じるだけで、疾駆しっくする鋼鉄の龍を想起させる。


「ポルシェは大戦中……ああ、俺の時代には大きな戦争があって。その中で戦車を作ってた」

「チャリオット? へえ、そうなの」

「ちょっと違うけど、まあ戦車だよ。それで、ポルシェの社長は戦犯として処刑された……最後に息子に『本当は楽しくて美しいスポーツカーを作りたかったんだ』と言い残して」


 やや引いてるのは、カレラだけじゃない。

 だが、語り出したらイオタは止まらなかった。

 ポルシェは戦後、自動車メーカーとして再出発する。そして、楽しくて美しい、速くて強いスポーツカーを生み出した。もはやレーシングカーと言っても差し支えない、あらゆる車両の頂点に君臨する王者チャンピオン

 ポルシェとは、車でありながら車を超えたものなのだ。

 それが今、目の前にある。

 愛車をめられて機嫌をよくしたのか、カレラはリアウィングの前に立った。


「いいわ、特別に縁陣エンジンを見せてあげる。……出てきて、フェニックス」


 ポルシェの後部に不意に、光が浮かんで複雑な紋様もんようかたどった。それは魔法陣を形成して、より強い輝きを放つ。

 そして、その中から炎をまとった鳥が浮かび上がった。

 空へと舞い上がった、それは不死鳥。

 フェニックスは大きく旋回すると、差し出したカレラの腕に止まる。


「凄い……幻獣フェニックス。これが」

「そう、あらゆる龍走騎ドラグーン縁陣エンジンを搭載している……必要な魔力が膨大な上に、乗り手たる龍操者ドラグランナーは繊細な運転を要求されるわ。だから、こうして魔力の供給源を別に乗せてる」


 この時代、掘り出された再醒遺物リヴァイエは全て魔力で動くように修復される。

 龍走騎ドラグーンも例外ではなく、魔法の術式で車体内に縁陣エンジンを構築、それを通じて動力源となってくれる幻獣や悪魔、精霊等を召喚するのだ。

 勿論もちろん、強い存在を召喚できれば、高い馬力を叩き出すことができる。

 宿らせた縁陣エンジンより来る者達で、その龍走騎ドラグーンの特製や性能が決まるのだ。


「さ、フェニックス。挨拶して……彼が、私の探していた龍操者ドラグランナーかもしれないもの」

「お初にお目にかかる、われはフェニックス。ソロモン王に仕えし七十二柱ななじゅうにちゅうの一角にして、破壊と再生を司る輪廻りんねの翼。どうかお見知り置きを。それより――」


 人の言葉を喋りつつ、フェニックスは首を巡らせた。

 目元も険しく、店をにらめば……どうやら男性人格らしい彼の炎が、わずかに勢いを増した。召喚主であるカレラには、その火は害をなさぬらしい。

 フェニックスは落ち着いた静かな口調で、言葉を続けた。


「そちらの少年、なんじ龍走騎ドラグーンもまた強き縁陣エンジンを……この距離でも感じる、凄まじい魔力を」

「ってことは、やっぱりあるのね? さ、イオタ。よければ私に見せて頂戴ちょうだい。私は探してるの……昨晩、ようやく見つけた。私が本気でバトルできる、一流の龍操者ドラグランナーを」


 カレラが静かに闘志を燃やす。

 その凛冽りんれつたる気迫は、まるで冷たい清水のようだ。

 やれやれとイオタは、観念して一同をガレージに連れてゆく。

 デルタのランエボ等、ごくごく一部の者達が持ち込む龍走騎ドラグーンをメンテナンス、そしてチューニングしている。仕事の時もあれば、サービスの時もあるし、新しいパーツを試してみる時などもあった。

 ガレージに回り込むと、そこには白いハッチバックの小柄な車体があった。


「これが俺の龍走騎ドラグーン、CR-Zだけど」

「ふふ、ビンゴッ! これよ、この子だわ! キミ、やっぱり昨夜はとうげに来てたのね」

「……納品の帰りで、急いでて。モンスターが出て大変だったけど……でも、あの蛇王林ノ山道ジャオウリンノサンドウを抜けるのが、一番早いから」

「それにしても、初めて見るタイプだわ……ちょっといいかしら?」


 リトナとデルタが顔を見合わせる中、カレラはCR-Zに歩み寄る。

 純白の車体に触れて、屈んで下を覗き込み始めた。


「やだ、この子……ふーん、FFなのね。悪いとは言わないけど……サバンナのFTOだってそうだし。でも、どうしてかしらね? 戦うための龍走騎ドラグーンとは思えないわ」


 FF駆動、つまりはフロントエンジン・フロント駆動の龍走騎ドラグーンを指す言葉である。利点として、駆動系を全てフロントのボンネットに集めるため、後部が広く使える。だが、魔力の発生源である縁陣エンジンを含め、ほぼ全ての機械構造が前に偏っているのだ。

 基本的に、FFの龍走騎は人や物を運ぶためのものだと思われていた。

 だが、イオタは数ある発掘品の中から、このCR-Zを選んだ。

 宿

 その女性が、ボンネットに浮かぶ紋様と共に現れた。


「そんなことはありませんよ、ハイエルフの姫君……この子は、マスターの大事な龍走騎ドラグーンです。ただ速さを競うだけが、龍操者ドラグランナーに求められることではないから」


 カレラの腕の上で、フェニックスが驚きに目を見開いた。

 CR-Zのボンネットに今、とても美しい女性が浮かび上がっている。まるで羽衣はごろもまとった天女だが、だとしたら彼女はもう天に帰れない。

 特徴的な背の黒い翼は、右側だけしかない比翼ひよくだった。

 頭上に浮かぶ光の輪も、ひび割れ欠けている。


「あ、紹介するよ。俺のCR-Zの縁陣エンジン……ルシファーだ」

「はじめまして、七聖輪セブンスのカレラ。そして、フェニックス。どうかマスターと仲良くしてあげてくださいね」


 穏やかに微笑む、絶世の美女。

 だが、その名を聞いてカレラはイオタに詰め寄ってきた。


「ちょ、ちょっと! ルシファー? 堕天使だてんしルシファーなの!? 一級品の縁陣エンジンじゃない! だったら尚更なおさら、こんな龍走騎ドラグーンじゃ意味がないわ。そうでしょう?」

「お、落ち着いてよ、カレラさん。それは俺とルシファーが選ぶことだ。そしてもう、決めたんだ。それに、俺はバトルってのはあまり……」


 困惑しつつも、イオタは思い出す。

 CR-Zは、確かにFFの小さなスポーツカーだ。スポーティーなんちゃってカーと揶揄やゆする人間もいるかもしれない。だが、平凡な日々を送っていた故郷の時代では、父が大切にしていた車でもある。

 家族で出かける時、いつもイオタは狭いリアシートだった。

 母を助手席に座らせ、穏やかな走りで運転する父が好きだったのだ。

 このCR-Zは、父が乗ってたものではない。

 だが、同じ色で同じ年式、加えて言えば……父がそうしていたように、塗装をチャンピオンシップホワイトに塗り直している。このCR-Zを開発したメーカーに取っては、特別な白……孤高の王者たれと塗られた決意の純白なのだ。

 おずおずとリトナが口を挟んできたのは、そんな時だった。


「あのぉ……カレラさん、この子……えっと、駄目な龍走騎ドラグーンなの?」

「そういう意味じゃないわ。ただ、バトル向きじゃないかなって。短く切り詰めたホイールベースに、軽量のボディ。でも、馬力が十分に出るとは思えないし、地面にそれを伝える力も弱いわ」

「……でも、わたしは好きだよ? この子だけは、なんか好き……イオタだって大事にしてるし、ルシファーもわたしと仲良くしてくれる」

「……駄目じゃない、悪くもないし劣ってない。ただ……ゴメンね。私、ちょっとがっかりしちゃって」


 もう一度、ごめんなさいとカレラは謝ってくれた。

 だが、妙にに落ちなくて、それが意外でイオタは驚く。

 せいぜい、デルタと一緒にドリフトさせたり、ツーリングにでかけたり……あとは仕事やプライベートでの買い出しにつかっていた。完全に生活のあしで、乗ればいつでも家族のことが思い出せた。

 イオタはバトルをしたことはない。

 ただ、バトルだけが全てと言わんばかりの言葉には、ちょっとした反感を覚える。

 良し悪しや優劣の話ではないと言われてさえ、少し上から目線に感じるのだ。


「じゃあ、わかったぜ! バトルしちまえよ、二人でよぉ」


 デルタが、名案だとばかりに手を叩いた。

 そうね、とカレラが挑発的な視線でめつけてくる。小さな背丈で、精一杯胸をそらして、そして揺らして見下してくる。

 挑発だと思っても、不思議とやり過ごすことができない。

 初めてイオタは、知った。

 この時代に来てずっと避けていた戦いを、自分は忌避きひしていると思っていた。だが、そうではない……彼の魂が燃え上がるのは、魔王を倒す冒険の旅ではなかった。ただそれだけの話だったのだ。

 誰も助けず、誰も救わない……ただ、誰が一番はやいのか。

 愛車をドラゴンへと昇華させ、全身全霊で運転したい、ただそれだけなのだった。

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