9.ふたりで来てよかった - シーサイドスパ

 ガスト、マクドナルド、はま寿司、ドン・キホーテ、しまむら。

 地方の国道沿いには全国チェーンの店舗が連なるものと相場が決まっていて、観光地である伊東もその例には漏れないみたいだ。旅先は非日常の世界なのに、空気なんて読まずにデンと佇む姿は日常と非日常を結ぶゲートのようにも見える。店の中でだけ、私たちはこの街で過ごす人々と日常を共有できる。それはなんとなく素敵なことのように思える。

 そんなことを考えたのは現実逃避なのかも。


「脚太くない?」


 そう言われたのはもう半年以上も前のこと。夏があんまりにも暑いもんだから、ガラにもなくショートパンツなんかを穿いていったのが間違いだった。サークルの同窓生が放った一言は、それまでなんとも思っていなかった私の脚を厄介なあばたに変えてしまった。

 その子には悪意なんてなかっただろうし、だから私もなんでもない風に取り繕った。そう? 部活でめっちゃ歩いたからね。貼り付けた笑顔の下で、頭の底で、ぐずぐずくすぶる感情をなかったことにした。軽く放った軟球は、私にとっては音速の鉛玉だった。

 それ以来、ロングスカートや脚のラインの見えなくなるスカンツばかり穿いている。


 それなのに、私はどうしてマリンタウンへ向かっているんだろう。わざわざコンプレックスを開帳するために。行き交う自動車に退屈そうな視線を投げかけるエルフィンストーンさんは、私にとって弾丸よりも重かったのか。それならしょうがないな。

 吐き出した溜息は排気ガスに紛れて溶けた。


          *


 名状しがたい感情を抱えたまま、マリンタウンに辿り着いた。

 パステルカラーのメルヘンチックな建物は闇夜に沈んでひっそりとしているけれど、駐車場には少なからず車が停まっていた。国道135号は絶好のドライブスポット。車中泊して交通量の少ない早朝に気持ちよく走ろうという魂胆だろうか。

 唯一灯りを落としていない建物がシーサイドスパだ。煉瓦造りを模した八角形の塔に、「湯」の字が大きく掲げられている。


「ここ、貸し切りジャグジーがあるんだっけ?」

「ええ。受付時間は過ぎてるけど」


 それなら脚を見せる相手はエルフィンストーンさんだけで済む……という目論見はあっさり潰えた。


 入館料金は夜間840円。私はなにも持たずに来てしまったからそこにアメニティの料金が上乗せされるけれど、「わたしが誘ったんだから」とエルフィンストーンさんが支払ってくれた。

 設備は巷のスーパー銭湯と比べても遜色ないように見える。長時間の運転に疲れたドライバーにはきっと天国に見えることだろう。


「普通の脚じゃない。なにがそんなに嫌だったの?」


 脱衣場の一角、人気の少ない場所で、私はとうとう自らの足をお披露目した。それを見たエルフィンストーンさんは、小首をかしげてそう言ったのだった。

 救われたなんて大げさな話じゃない。けれどただひとり、私のささいなコンプレックスを否定してくれる人がいて、そのことにちょっとだけ安心した。


 もっとも、そのあと服を脱いだエルフィンストーンさんを見て、これと並ぶのかと不安にさせられたわけだけれど。私は思わず「うわ」と声に出て、じと目を投げつけられた。

 世の男性は多分、「もっと肉がついていたほうがいい」なんて言うんだろうけれど、彼女の細さは女性ならきっと誰もがうらやむ。


「そういえば、私が脚を見られたくないってどうしてわかったの?」

「あなた無意識なのかもしれないけど、今日一日中スカート引っ張ったりして脚を隠そうとしてたわよ」

「まじか……」


 浴場には大きな内風呂と、壁一面のガラスを挟んで露天風呂が設置されていた。海に面しているから、広大な海原を眺めながら湯につかることができるみたいだ。今は夜のうえに曇天だけれど、晴れた朝方なんかにここで海を見ることができたら、さぞ気持ちのいいことだろう。

 外に出るにはまだ肌寒い時期だからか、内風呂に比べて露天風呂は空いている。これなら第三者に私の脚を見られる可能性も低いからいいね。肌寒さも、温泉の熱さとのギャップが醍醐味だからそれでいいのだ。火照った体を冷たい空気にさらすのはなかなか乙なもの。

 湯に体を浸すと、思わず大きな息が漏れた。


「温泉は命の洗濯だあ……」


 そう言ったのはミサトさんだったかな。温泉じゃなくて風呂だった気がするけれど。この心地よさに癒されて、身も心も洗われる。

 今日一日のことを思い返す。桜並木、シャボテン公園、大室山。「よく知りもしない相手と旅行なんて」ってはじめは不安に思っていたけれど、振り返ってみればみんな素敵な記憶だ。

 エルフィンストーンさんは無言で、しばらくは風と温泉の注ぐ音だけがあった。やがて、ぽつりと口を開いた。


「来てよかったわ」


 私は湯船を流れて消えてしまいそうなその小さな声を、どうにか捕まえた。


「うん。いいね、ここ」


 真っ暗な空にぼんやりとした眼差しを投げかけたまま、エルフィンストーンさんは言葉を続ける。


「最初は不安だったのよ、あなた遅れてくるんだもの。ひとり旅になるかと思った」


 朝、車内でも同じことを言われた。そのときは皮肉だと思ったけれど、もしかすると不安の吐露だったのかもしれない。


「それは……ゴメンナサイ」

「べつに、今は一緒だからいいのよ」


 眼差しは私に向けられた。碧玉の瞳。吸い込まれそうで、私は視線が重ならないように目をそらした。風呂で火照ったのか、白い肌に朱が差している。髪をタオルでまとめて上げた姿は、いくらか大人っぽい。


「ふたりで来てよかった」


 視線が重なる。あ、だめだ。落ちちゃう。

 どんな言葉を返せばいいのか考える余裕もない。沈黙が苦い。


「……少しのぼせたみたい。先にあがってる」


 エルフィンストーンさんは立ち上がって、足早に出ていった。


          *


 私はしばらく湯船につかってぼんやりしていた。それ以外にできることがなかった。

 のぼせそうになってからあがって、少しクールダウンしようと脱衣場の自販機でイチゴ牛乳を買った。冷たくて甘かった。甘すぎるな。


 脱衣場を出た先の通路には小規模なゲームコーナーが設えられていて、そこのソファにエルフィンストーンさんは全身を預けていた。ハンドタオルを顔に被せていて、その表情は読み取れない。

「大丈夫?」と尋ねてみると、ひらひらと手を振った。肯定……なのかな。


 先に宿に帰るわけにもいかない。隣に腰を下ろし、ふと、タオルとソファの合間に覗く耳が赤く染まっていることに気付いた。

 まだのぼせてる? ……って、わけじゃないよね。

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