6.次の旅の話をすると鬼が笑っちゃうよ

「ごじゅうまんぼう……」

 おはらい町の真ん中で、思わず立ち止まってそうつぶやいた私に、えるは「は?」と怪訝な表情。

「マンボウ売ってるんだよ。ほらあれ」

 私の指さす先にあるのはひもの塾という店。その店先にあわれな干物のと化した隊長1メートルほどのマンボウが販売されているのだ。一点モノで、よくよく見たら38万円に値下げされたうえで売約済の札が貼り付けられていた。さんじゅうはちまんぼう。

「ええ……」

 えるは戸惑いを隠せないまま、マンボウの写真を撮りはじめた。インスタには映えないと思うな……。

 珍品はマンボウだけじゃない。よぼよぼの老人の肌みたいになったハンマーヘッドシャークや古木みたいなバショウカジキなんかも、なかなかいいお値段で売られている。

「つーかこんなの誰が食べるのよ」

「宴会の余興兼おつまみとか? 売約済みたいだし」

「バカなお金の使い方をするやつもいたもんね」

「そう? 案外絶品かもよ?」

「絶対ない」

 えるはべえ、と舌を出した。かわいい。



 おはらい町のちょうど真ん中のあたりには、赤福の本店がある。そのはす向かいには石造りの常夜灯が佇んでいて、そこから広がる町並みがおかげ横丁だ。

 おかげ横丁の「おかげ」はお伊勢さんの「おかげ」。前々回の式年遷宮の年に開業した小さな町で、江戸から明治期にかけての建築の数々を移築・再現した物販店や飲食店が軒を連ねている。

 ここでは毎年9月のこの時期には9月29日の招き猫の日にちなんで「来る福招き猫まつり」というイベントが開催されている。その集客効果もあってか、おかげ横丁はおはらい町以上の混雑ぶりを見せていた。道のあちこちに出店があって、猫の置物を売っていたり飴細工を売っていたり、なにかと目を引きつける。


 人混みをかき分けながら私とえるが向かったのは、伊勢路名産味の館。伊勢の名産特産のおいしいものを集めた店だ。

 家族にお土産を買うつもりで食べやすそうな和菓子なんかを物色していたら、えるはいつの間にか伊勢うどんを10食箱入でふたつも買っていた。

「めっちゃ気に入ったやつやん……」

「おねーちゃんに送るぶんとほのにあげるぶんよ。あくまでお土産」

「でもほのちゃんに作ってもらって一緒に食べるんでしょ」

「作ってくれるなら食べるのもやぶさかではないけれど」

 要するに食べたいから作ってほしい、って意味だ。

 私は結局、和菓子じゃなくて伊賀の農業公園・モクモクファームのウインナーセットを買った。両親が酒好きだからおつまみにでも……というのはなかば建前で、私自身が食べたかったのだ。お土産って自分の好みや願望が混じっちゃうよね。


 味の館2階の大黒ホールで行われている創作招き猫の展示会を一通り眺めたあと、味の館と隣接している御木本真珠島店みきもとしんじゅしまてんに入った。和風の外観の建物が立ち並ぶおかげ横丁の中でひときわ目立つハイカラな白い洋風木造建築だ。

 もっとも、真珠みたいなお高いものには手が出ない私だから、向かうのは同じ建物内で営業しているキャンドルショップ・灯りの店。

 この店は全国から集めたハンドメイドのキャンドルを販売していて、素朴なものからユニークなものまで、様々なキャンドルを見た目と香りの両面から楽しむことができる。

「こっちでもおねーちゃんにお土産買おうかしら……」

 色とりどりのキャンドルを前に、えるはぽつりとつぶやいた。

「下のお姉さんにもなにか買ってあげないの?」

「下のは昨日電話したら筆がいいって言うのよ。でもめぼしいのがなくって」

「そっかあ……」

 えるは砂糖菓子みたいなかわいいキャンドルの詰め合わせを、私は招き猫の形のキャンドルをそれぞれ買った。……買ったはいいものの、かわいくて使えないかもしれない。

 店を出たところでえるは言った。

「下のには赤福でも買って送ることにするわ。きっと蜂蜜でもかけて1日でぺろりと食べてしまうことでしょう」

 冒涜の極みみたいな食べ方をするなあ……。

「ねえ、下のお姉さんの趣味ってわかる?」

「写経」

「しっぶ……」

「あとは反物が好きよ。家じゃ和服ばっかり着てるくらい」

「反物……反物ね。……そうだ」

 私はえるの手を引いて歩き出す。

「ちょっと、どこ行くつもり?」

「神宮会館! いいお土産見つかるかも!」


 灯りの店を出たところをおはらい町とは逆方向に行くと参宮道路に出る。神宮会館はすぐ近くだ。

 この旅で最初に訪れた場所、神宮会館の売店の一角には、伊勢木綿を使った手ぬぐいや小物入れなんかが並べられている。

「いいわね、これなら下の姉も喜びそう」

 えるは手ぬぐいを手に取って眺め始めた。

 伊勢木綿は江戸時代から生産され続けている三重県の名産品だ。単糸で織られているから柔らかくてシワがつきにくいのが特徴。……ちなみに伊勢市じゃなくて津市で生産されている。江ノ島のお土産を鎌倉で買うようなことだけど、妥協するよりはいい。

「これにするわ」

 えるが選んだのはがま口の小銭入れ。ちょっとポップな格子柄がかわいい。

 神宮会館を出たところで、えるは私の顔を見上げる。細められた目に見とれていたら、小さなくちびるが言葉を紡いだ。

「ありがとね」

「え、あ、うん。……ありがとう」

 なんだか気が動転して、私は思わずオウム返し。えるはくちびるを尖らせた。

「……なんでさともお礼言うのよ」

「なんでだろう……」



 バスに乗って五十鈴川駅で特急に乗れば、今日の旅ももうおしまい。

 満足感と少しの寂寥でいっぱいの頭に、ふと浮かんだ考えを口にする。

「ねえ」

「なに?」

「神宮会館と山田館、どっちがいい?」

「なんの話よ」

「……次は泊まりで来たいなって、思って」

「両方泊まればいいんじゃない?」

 えるはそんなことを平然と言ってのけた。

「どういうこと?」

「1週間くらい滞在すればいいじゃない。山田館で3泊して、神宮会館でも3泊するの。御朱印を全部集めたり、なんなら125社全部巡ったりして、思う存分満喫しましょうよ」

「それは……たくさん貯金しなきゃだ」

 発想がブルジョワだなんてツッコみたくもなったけど、それ以上に嬉しくて笑った。

「鳥羽や志摩まで足を伸ばしてもいいわね。さとは水族館好きでしょ? スペイン村って遊園地の広告も見たわよ」

「ふふ。次の旅の話をすると鬼が笑っちゃうよ」

「そんな諺ないし、笑うんなら呼吸困難になるまで笑わしてやるわ」

 二見浦、ミキモト真珠島、神島、マリンランド、天岩戸……。私の言葉で妙なやる気に火をつけたらしく、えるは鳥羽や志摩の観光地を検索して興味のわいたものを次々に声に出す。

 1週間かけても回りきれないんじゃないかと思い始めたところで、バスがやってきた。



「ああ、久しぶりに充実した一日を過ごした気がするなあ……」

 特急の座席を倒して、思いきり伸びをした。

「休みなのに充実してない日々を過ごしてたの?」

「まあねえ……だらけちゃってねえ。帰省する前は高校の先生に挨拶に行こうとか地元の魅力を再発見しようとか思うけど、いざ帰るとやる気しないし。なのに実家に置いてきた漫画が懐かしくてつい全巻読破しちゃったり。実家ってそういうとこあるよね」

 裏を返せばそれだけリラックスできるということでもあって、そんな実家があるというのはきっとすばらしいことなんだろうけど。

「わたし、おねーちゃんとアイスクリーム作ったり、下の姉と古書店めぐりして穴場のカフェで読書会したり、家族みんなで登別まで旅行したりしてたけど……」

「え」

 絶句した。そんな日常系アニメのキャラクターみたいな休日ある?? きらきらしすぎでは……。

「登別行った話、する?」

「眩しくて目がくらみそうだからいい……」

「ていうか、だらけてる暇があんなら原稿やりなさいよ」

「おっしゃる通りで……」

 でもできないものはできないんだぷーん。

 話していると、電車はあっという間に四日市に着いた。えるはこのまま名古屋まで行って新幹線で東京へ帰るから、ここでお別れ。

「またね」と手を振ると、えるも「じゃあね」振り返してくれた。えるはあっさりやめてしまったけど、私はなんとなくやめどきがわからなくていつまでも手を振った。それがなんだかおかしくて笑ってしまう。するとえるも笑った。



 プラットフォームに降り立った靴。ゆっくり閉まっていくドア。走り出し加速していく電車。耳慣れた故郷のざわめき。

 旅の過ぎ去っていく音。

 でもきっと、次の旅の始まる音。

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