所長からのお話

 支社から来た三人はもうおらず、ルートによっては分配が終わっているところがあるみたい。

 早いなーなんて思いながら仕事をする格好になり、寺坂さんと一緒に商品抜きをしていた所長と交代。

 かなりたくさんあった商品が、あとは冷凍庫をやれば終わりの状態だなんて驚きだ。さすが所長!


「上重所長、ただいま戻りました、ありがとうございました。交代します。これが診断書でこっちが領収書です」

「二人ともお帰り。それと悪かったね、寺坂。野田さんに言っておくから、あとでお金をもらって」

「はい」

「それから雀さん」

「は、はい」


 真剣な目を向けた所長にビクッとして、背筋が伸びる。社員であるあのクソ女とか部長さんにあれこれ言っちゃったし、クビって言われるのかな……なんて内心びくびくしていたら。


「部長に啖呵切ってた、最後の『謝罪は必要ありません。治療費を請求させていただきます』って言葉。かっこよかった! 惚れ惚れしちゃったよー」

「……は?」


 意外な言葉が帰って来て唖然とする。しかも、それを聞いている奥澤さんと平塚さん、寺坂さんまで頷いてるし。


「実は、神奈川支社でもあの三人は問題児扱いでね……特に女性二人が。雀さんたちが病院に出かけてからすぐに帰ったんだけど、帰る前に『今回の件は包み隠さず本社と支社長に連絡しておきますから』って内容を言った瞬間の三人の顔は傑作だったよ。もちろん、証拠隠滅されたら困るからすぐにボイスレコーダーも回収した。もっとも、複数あるから内容を消されても何の問題もないけどね」

「……」

「でね、雀さんの頬の写真をメールで送ったあと、三人が何をやったのか支社長と本社に連絡して、酒田さんに言った内容や雀さんと部長の会話を話したら褒めてたよ」

「ちょっ、所長!? 何してんですか!」

「報告しないといけないんだから、当然でしょう?」


 まさか、頬の写真とかあのクソ女とか部長さんとの会話を、本当に支社長や本社にまで話すなんて思わないじゃないか! 確かに報告はだいじだけど!

 尚も所長の話は続く。


「こんな場所で話せる内容じゃないからあとできちんと説明するけど、今確実に言えるのは、誰もできなかった……いや、違うな。誰もしなかったことを、雀さんがしてくれたことが嬉しいんだ。ただ、まさか酒田さんがあんなことをするとは思っていなかったからね……それが申し訳ないと思うし、支社長も本社の人間も謝っていたよ」

「所長……」

「僕が今まで見聞きしてきた雀さんの性格からいうと、医療費の請求は冗談だったのかもしれない。だけど、会社の都合に巻き込んでしまった形だし、実際に怪我もして病院に行っている。そこはきちんと向こうに責任を取らせるから、そのつもりでいてね」

「……はい」


 冗談だと言おうとしてたことは、やっぱり所長にはバレていた。会社の都合っていうのがよくわからないけど、説明してくれるならいいやと納得し、冷凍庫で商品集めを始めてさっさと終わらせる。

 その時点で十ニ時ちょっと前。

 寺坂さんが担当しているルートは、他の誰よりも取引先も商品の数も多いから大変だ。でも聞くところによると、時間指定がある取引先はないから慌てる必要はないらしい。

 ただ、今日は月曜日だからね……分配するにも物量が多いから時間がかかるわけで。しかも似たような名前の魚がいるし、私自身が無意識に焦ってたみたいで、分配の時に読み間違いをやらかしてしまった。


「サバフィレが2です」

「ん? 雀、その取引先とフィレだと、サバじゃなくてバサじゃないか?」

「え? ……あっ、すみません、バサでした!」


 とか。


「サンチー餃子が……」

三絲サンスーな。雀……先週もその前も、『青椒肉絲チンジャオロースーのスーと同じ字だ』って教えただろうが」

「うう……」


 とか。


淡色あわいろポン酢が……」

「ぶふっ。……前から言おうと思ってたけど、それ、うすいろな」

「もっと早く言ってくださいよ!」


 とか。


 そのせいなのか、今日は他にも商品名を噛むわ、数を読み間違うわでボロボロだった。まあ、寺坂さんに煽られたせいもあるんだけどね!


「く……っ、師匠が」

「名前」

「うっ……。よ、良裕さんが煽るから、呂律が回らなかったじゃないですか!」

「早口言葉でも練習しとけば? 口が回るようになるかもよ?」

「鬼畜ドSな師匠が悪いくせに! ほんとにムカつく!」


 ニヤニヤ笑いながら早口言葉を練習しろなんて言う寺坂さんは、本当に意地悪だ。ムカつくなんて言いながら伝票が綴られているバインダーを手渡せば、彼の指先が私の指先に触れて鼓動が跳ね、顔が熱くなる。


「……っ」

「お? 雀、顔真っ赤。指が触れたくらいでその反応かよ……どんだけ初心なんだ?」

「う……いや、その……不意討ちだったし慣れてないんですよ、本当に……」


 それに、好きな人の指先が……寺坂さんの指先が温かくて、不意に触れられて驚いたのもある。


「ゆっくり慣れていけばいいさ。ただし……俺だけな」

「……うん」


 私の返事に笑みを向けた寺坂さんだったけど、その目に見え隠れする、私を抱いている時の獰猛な光には気づかないフリをした。

 それから彼は「終わったら連絡するよ」とサンプルやカタログを持って配達に出かける。私もお昼やら二便の商品集めやらを終わらせてタイムカードを打刻すると、所長に呼ばれた。

 所長にくっついていって通された場所は面接をした部屋で、促されて座ると所長は私に缶コーヒーを渡してから話し始める。


「本当は雀さんたちバイトやパートさんには全く関係のない、社員だけが知っていればいい話だったから四人には話さなかったんだけど……。酒田さんは雀さんに怪我をさせちゃったからねえ……」


 あそこまで愚かだとは思わなかったよ、と溜息をついた所長から聞いたのは、本当に私たちには全く関係のない話だった。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る