手料理を振舞ってみた 前編

 折り畳めるエコバッグと、財布とスマホと手拭いを持ち、帽子とUVカットのカーディガンを着てスーパーに出かける。スーパーまでは歩いて五分の距離なんだけど、さっさと移動してさっさと帰りたいから、自転車で行くことにした。

 そしてスーパーに着くまでの間にいろいろと考える。


 なぜ、寺坂さんはあんなことを言ったんだろう……彼の左薬指には指輪が嵌っているのに。


 元カレと付き合っていた時は確かにその人が好きだったし、別れた時は悲しくてつらかった。でも、寺坂さんを好きになった今、本当に元カレが好きだったのか怪しいし、つらさは比べ物にならないくらい今のほうがつらい。

 寺坂さんの低いその声に、然り気ない気遣いと優しさに、その笑顔や仕草に……いつの間にか惹かれていた。一緒に仕事していると嬉しくて、バカな話をしていて突っ込みを入れるのが楽しくて……でも指輪のことがあるから苦しくて。

 堺さんがくれた写真や宴会の時に撮ったツーショットも、何度も消そうと思ったけど結局できなくて……。

 女々しい? 知ってる。

 それに一ヶ月前のあの日、寺坂さんに抱かれて気がついた。あんなにも気持ちよくて嬉しかったのは、彼を本気で好きになっていたからだって。

 さっきのメールのやり取りだって、こんな言葉を返せばどんな反応をしてくれるかな、いつものようにドS発言がくるかな、って楽しかった。……どんどんひどくなっていく内容に、さすがにちょっと引いたけどね。

 それでも、こんなにも寺坂さんが好きなんだって、彼に抱かれることが嬉しいって、心が叫んでる。どんなご飯を作ろうかなってウキウキしてる。

 でも、ふと過る指輪の存在が、その気持ちに冷や水を浴びせてスッと冷えるのだ。


 どうして私は、彼の唯一じゃないんだろう……。


 そう思ったら涙が零れ落ちて、慌てて手拭いで拭き取った。

 いつの間にかスーパーに着いていたので考えることはそこでやめ、メニューをどうするか考える。お酒を飲むならおつまみが必要だし、かと言っておつまみばかりなのも困るし。

 一品は冷奴にして、残りは特売商品を見てから決めることにして……ハタと気づく。前回お邪魔(?)した時は気づかなかったけど、寺坂さんちにはお米とか調味料、調理器具はあるんだろうか、と。

 慌ててスマホを出すと、メールを打つ。


【寺坂さんちに、調理器具とかお米とか足りない調味料はありますか? ないなら買って行きますけど】


 送信してから返事を待つ間に食材を物色する。実家に帰った時、一人じゃ食べきれない量の糠漬けを義姉に持たされたから漬物はそれでいいし、それと一緒にきゅうりもくれたから買う必要はない。

 炊き込みご飯が食べたいって言ってたし、中身はどうしようかなと考え始めた時、スマホが震えて何かの着信を告げた。画面を見ればメールで、寺坂さんからだった。


【外食かコンビニ弁当ばかりだから、調味料も米もないな。トーストにしたりラーメンくらいは作るから小さい鍋と割り箸、ラーメンどんぶりやポットにオーブントースター、レンジはあるが、それ以外は何もないぞ? あってもせいぜい冷蔵庫に水と酒くらいだな】


 それを読んでマジか! と危うく叫びそうになった。これはヤバいかもしれない。

 自転車で来たけど、全部持って帰れるんだろうか……。そもそも、何もないのにご飯作ってはないと思う。

 いっそのことうちで作って持っていったほうがいいと判断し、メールを打つ。


【何もないのにご飯作ってはないと思うんですけど! 寺坂さんちでは作れないことがわかったので、うちで作って持っていきます。帰宅したら連絡してください】


 そうメールを返すと、すぐに【ごめん。帰ったら連絡する】と返事が来た。

 重たい思いをして帰る必要がなくなったのでうちにある冷蔵庫の中身を思い出すも、お米の量が微妙なのを思い出した。私一人なら足りるけど、寺坂さんもとなると確実に足りない。

 はあ、と小さく溜息をつき、お米と食材、スーパーがある建物に一緒に入っている100均に寄って、タッパとお箸、食器類やランチョンマット、二人前用の土鍋を買って帰った。



 ***



 現在、時刻は夜の七時半すぎ。六時頃に【七時半には帰れそうだ。帰ったらまた連絡する】と寺坂さんからメールが来たので、それに合わせて料理していつ途中だ。服装は一応脱がせやすいと思われる、綿素材で前にファスナーがついているAラインのワンピース。

 もちろんブラはつけていますが何か。

 だってさ、ブラをつけてないと、歩くとタプタプと音をたててすごく揺れるんだもん……胸が。そもそも彼の冗談に付き合う必要もないし。


「ご飯はそろそろいいかな?」


 土鍋の蓋を開けてしらすを散らし、空気を入れるように全体を混ぜて味見をすると、また蓋をした。うん、いい味だ。

 ご飯が炊けるまでの間に、おかずはタッパに詰めてある。残ってしまったら冷凍できるように、冷凍したあとそのままレンチンできるように、冷凍にもレンジにも対応しているタッパを買って来ているので問題ない。

 おかずの詰まったタッパと買ってきた食器やお箸、麦茶を入れたペットボトルを紙袋にいれ、土鍋は風呂敷に包んで持っていくことにして包んだ時だった。メールが着信を告げたのでそれを開く。


【今、エントランスに着いた】


 メールは寺坂さんからで、【了解】と返信して手拭いや財布やスマホ、念のため充電器を入れた鞄と紙袋、土鍋を持つ。玄関脇の靴箱の上にある鍵を持つと家を出て鍵を閉め、エレベーターを使うことなく西棟へと伸びている通路を歩く。

 あとちょっとで西棟に着くというところで、エレベーターから出て来た寺坂さんが歩いてくるのが見えた。


「あれ? 雀、どっから来た?」

「お疲れ様です。実は私も七階で東側の角部屋に住んでるので、家から通路を歩いて真っ直ぐ来ました」

「お疲れ。なんだ、七階だったのか」


 寺坂さんちの前で合流したので、そんな会話をしながら家の中へと通された。


「師匠、ご飯はどこで食べるんですか?」

「ソファーがあるとこ。卓袱台を出すからちょっと待ってろ」

「はい」


 寺坂さんのあとをついて行くと、以前来た時に荷物を置いたソファーがある場所に行く。鞄はソファーに置かせてもらい、紙袋を床に置いたところで彼が卓袱台を持ってきてソファーの前に置き、その上を拭いてくれたのでその上に土鍋を置かせてもらった。

 会社の制服のままだった彼が「着替えてくる」と移動したので、その間に準備をしておく。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る