十六話 真の誓い


 目が覚めたマローネは、懐かしい夢の名残のように目に浮かんでいた涙を拭った。


「……サーちゃん……」


 変わる切っ掛けをくれた、恩人。

 初めて出来た、大切な友達。


 この屋敷に来てからは、一度も見る事が無かった夢を、今日に限ってみてしまった。


 辺りはまだ薄暗く、日が昇るまで時間がある。

 起き上がったマローネは、丁寧に寝台を整えた。

 そして、身支度を調えるべく鏡台の前に移動する。


 後からこの部屋に運ばれてきた小さな鏡台は、女が身支度をするのに、鏡が無いのは不便だろうとサフィニア――サイネリアがわざわざ用意してくれたものだ。マローネを警戒していたという当初から、なんだかんだ言いつつも、サイネリアは優しい人だったのだ。


「……」


 鏡に映る腫れぼったい目の自分を、マローネは睨み付ける。以前は三つ編みに結わえていた髪は、今は肩口で切りそろえられている。この髪だって、見てくれが悪いからとサイネリアが整えてくれたと思い返す。


 挑むようににらみ返してくる、鏡の中の自分。


 何か言いたげに見える。


 捧げた剣を、返されてしまったのだ。それは騎士の恥だ。いつまでも、ここにいるわけにはいかない。


 けれど、鏡に映るマローネは不服極まりないとばかりに、据わった目をしていた。


 これで、お終い。それでいいのか?

 ――自分が、あの方に立てた騎士の誓いは、それほどまでに薄っぺらいものだったのか?


 まるで、そう問いかけているかのようだ。


「――っ」


 マローネは切りそろえられた、榛色の毛先を引っ張る。

 この髪を証とした誓いは、間違いなく、あの方に捧げたものだった。


「……こんな終わり方で、いいわけないでしょう……!」


 剣を返されたから、さようなら。

 それで納得して引き下がるなんて、出来るはずが無い。


 ならば、どうする?

 ――自分は、本当は、どうしたい?


(わたしは……)


 自分は、マローネ・ツェンラッドは……――騎士だ。


「……今日は……」


 しばらく鏡と睨み合っていたマローネは、ふと口を開く。

 期待に満ちていた、あの日の再現のように。


「今日は、とっても大事な日」


 鏡に触れて、唇の両端を持ち上げる。そうすると、鏡の向こうにいる自分もにっこりと笑みを浮かべていた。


「あの時と同じくらい、大事な日」


 独りごちたマローネは、確かめるように頷いた。


「……よしっ!」


 自分は騎士。

 剣を捧げるために、ここに来た。

 それならば、やるべき事はもう決まっている。


 部屋を出たマローネは、はやる気持ちそのままに、一目散に走り出したのだった。




 ――朝一番にすることは、庭の花への水まきだ。その後は、窓拭きをして……と、これからの予定を立てていたマローネは、人の気配を感じて振り返った。


「……」


 呆然とした表情を浮かべたサイネリアが、肩を上下させ立っていた。


「おはようございます!」


 マローネは、いつも通り笑顔で元気の良い挨拶をする。

 普段は、うるさいだの声が大きいだのと文句をつけてくる主人だが、今日はただ困惑したように眉尻を下げただけだった。


「……どうして……」

「どうして? ふふ、おかしな事を聞きますね。水やりは、わたしの仕事じゃないですか」

「どうして、まだここにいるんですか!」


 サフィニア――いや、サフィニア姫の格好をしているサイネリア王子は、信じられないものを見たとばかりに、首を横に振る。


「貴方は、出て行ったものと……」

「出て行きません」

「だから、どうして……! 貴方が望むものは、ここには無い。はっきりと伝えたはずですよ……!」


 サイネリアは、怒っているように見えた。けれど、怯えているようにも見える。

 マローネは、顔色の悪いサイネリアに、真っ正面から向き合った。


「眠れなかったのですか?」

「……っ」


 疑問をぶつけると、サイネリアは息をのんだ。

 こんなに朝早くから、自分の姿を見つけてやって来るなんて、おかしいと思っていたマローネだったが、自身の指摘がサイネリアの図星をついたのだと分かると、顔をしかめた。


「駄目ですよ。きちんと眠らないと。顔色が良くありません」

「――……貴方には、関係ありません。今後一切、関係無いことです」


 冷たい声で突き放すような物言いをするサイネリア。並の神経だったならば、この時点で心が折れそうな冷淡さだった。

 しかし、マローネは動じること無く、サイネリアを見つめ、はっきりと言い返す。


「あります」

「……は?」

「わたしは、あなたの騎士ですから」


 その言葉に、サイネリアの唇が歪み、何を馬鹿な……と乾いた声が呟く。


「貴方は、サフィの騎士になりたかったはずです。――同情しているのなら、迷惑です。即刻、ここから消えて下さい」


 マローネは、首を横に振る。


「我が主、あなたは大切なことを忘れています」


 サイネリアが目を瞬く。


「わたしは、とてもしつこい性分だと言うことを」

「――あ……」

 

 思い当たる出来事が多すぎたのだろう、サイネリアは小さな声を一つあげる。


 マローネは、しつこい。


 自分で自覚している性分だ。

 なにせ、幼い頃の恩返しを理由に、以降は会うことが叶わなかった友人のそばにいくため騎士を目指し、念願が叶った途端、即座に駆け付けるような人間なのだから。


「これをしつこいと言わずに、なんと言いますか。……あなたが首を縦に振って下さるまで、わたしは絶対に諦めません」

「……自分で言うことでは無いでしょう。それも、胸を張って言うことでは無い。……だいたい、私にしつこく食い下がる理由なんて、無いでしょう」

「はい。理由なんて、ありません」


 マローネは、頷いた。

 その反応に、サイネリアはひゅっと息をのむ。

 

「だったら……!」

「おっしゃる通りです。本当は、しつこくする理由なんて無いんです。だって、断られたんだから。――本来なら、剣を返された時点で、潔く諦めるのが筋です。それこそが、高潔な騎士としての、正しいあり方でもあるでしょう」


 風が、二人の髪を揺らす。

 マローネは真っ直ぐサイネリアを見つめ、サイネリアは瞬きもせずマローネを見下ろしている。


「……」

「それでも、わたしはあなたが良いんです。ちょっと意地悪で、でも本当はすごく優しくて……一緒にいると、すごく幸せな気持ちになれる、あなたのそばにいたいんです。……一番近くで、その幸せを守らせて欲しいんです」


 サイネリアは応えない。

 微動だにせず、呼吸すら忘れたように、そこに立っていた。

 マローネは、そんな彼の前に膝をつき、頭を垂れる。


「サイネリア様。どうか、わたしに、お許しを」

「…………」


 沈黙が、長かったのか、短かったのか、マローネには分からない。

 自信満々で口にした言葉の数々は、あまりにも自分本位で不敬極まりない。全て言い終えた後で、今更緊張から心臓の鼓動が速まった。

 けれど、言いたいことは言えた。伝えたいことは伝えられた。


 サフィニアとの別れの際には、ほとんど何も言えずに終わってしまったのだ。あの時の後悔を、サイネリアとの間でも繰り返すつもりは無かった。


 サイネリアが、本気でマローネを拒絶すれば、これが今生の別れになるだろうから。


「……マローネ・ツェンラッド」

「はい」

「……手を」

「――手、ですか?」

「手を、かしなさい」


 ふと声がすぐ近くで聞こえて、マローネが目線を上げると、サイネリアまでもがしゃがみ込んでいた。


「ちょっ……! いけません! 汚れてしまいます!」

「いいから、手」


 サイネリアは、強引にマローネの右手をとると、自分の顔の近くまで持って行く。


「――あの、まじまじ見られると、恥ずかしいのですが……」


 剣と縁遠い生活を送る同年代の令嬢達と比べると、マローネの手は荒れている。これまでは意識したことが無かったが、サイネリアにこうも注視されると、途端に気恥ずかしくなった。


「小さい手だ……。それに、肉刺のあとがある。細かい傷も」


 サイネリアの手と比べれば、確かに自分の手は小さいだろうと思うものの、観察して気付いた点を、次々羅列するのは止めて欲しかった。

 恥ずかしい上に、なんだか申し訳ない気分になってくる。


「――お見苦しいものをみせてしまい、大変申し訳ありません」


 真っ赤な顔で、そう謝罪するのが精一杯だ。

 しかし、サイネリアは、ふと笑い声をこぼした。


「見苦しいなどと言うことは、ありません。――この手は、貴方の努力の証しでしょう。……並々ならぬ努力をした貴方には、それに見合う主がふさわしい」

「…………」

「……それでも、……それでも貴方が、こんな俺を選んでくれるなら……」


 握られた手に、力が込められた。サイネリアの葛藤が、そこに現れている。

 迷っているサイネリアに、もう一度マローネは自分が思う事を告げる。


「どうか、わたしをおそばに置いて下さい、サイネリア様」

「――っ、後悔……」

「しません。絶対に。どうか、わたしの剣と忠誠を、貴方に」


 二人の視線が、今度は間近で交差した。

 握られた手は、そのままサイネリアの口元まで運ばれていく。

 マローネは、意図が分からずただ行動を目で追いかけていたのだが、自分の手のひらにサイネリアが唇を落とした事で、我に返った。


「!」

「……たしかに、受け取りました」

「え、あっ、えぇっ!」

「普通は、剣に許しの口づけを与えるものですが、貴方は剣を差し出さなかったので」

「あ、あぁっ! そ、そうでした! やりなおし……やり直しを!」

「いいえ。これで十分です」

「そんな! せっかくの大事な日なのに! 記念日なのに! わたしの手なんて、サイネリア様に申し訳が――!」


 うろたえるマローネに、サイネリアはゆるく首を左右に振った。


「貴方の手は、美しい。……俺は、そう思います」

「ひぇっ!」

 

 至近距離で向けられた微笑み。それを直視したマローネは、思わず奇声を上げてしまう。


「……悲鳴を上げることは無いでしょう。今は、これ以上は何もしませんよ。――貴方が俺を選んでくれた、これだけで十分、幸せですから」


 マローネを促すように手を引いて、サイネリアは立ち上がる。


「……これから先も、俺と共に歩いてくれますか、マローネ」

「はい! 喜んでお供いたします!」

「――即答、ですか」

「勿論です。迷う事なんて、なにもありませんから!」


 マローネは満面の笑みを浮かべた。その言葉を聞いたサイネリアは、こくりと頷いて同意を示した。


「……俺も、もう迷ったりしません」

「サイネリア様?」

「――貴方を手放せる筈が無かったと、恥ずかしながら今、自覚しました。ですから、これから先も、どうかよろしくお願いします」

「っ、はい……! 光栄です! 感激です!」


 暑苦しいくらいに喜びを示すマローネに、サイネリアは最初の沈んだ表情が嘘のような晴れやかな笑みで応えた。

 マローネは、それが嬉しくてますます笑みを深くしたのだった。



 ◇◆◇◆



 あぁ、許せない。


 湧き上がった衝動のままに、ヨハンはガリッと爪を噛んだ。口の中にじわりと血の味が広がる。

 庭で向き合う、二人。双方が幸せそうな笑みを浮かべている。

 本来なら、良かったと安堵する光景なのだろうが、ヨハンには、それが許せなかった。


 幸せそうな二人。

 何もかも忘れたかのように、幸せに笑う幼なじみ。


 あんな笑顔が出来るようになった事を、本来ならば喜ぶべきはずなのに、稚拙な腕飾りが、真逆の感情を駆り立てて止まない。


「彼女の庇護を捨てるなら、サイ……お前は対価を払わなきゃならない」


 都合良く彼女を忘れ、安寧にすがるなんて真似は許さない。 


「サフィは、永遠であるべきだ」


 そう呟いた彼の目は、沼底のように光が無く淀んでいた。

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