十三話 剥がれる仮面
事情説明といってエスティに連れてこられた詰所だが、たいした事は話せなかった。
歩いていたら、不審な輩に後をつけられていたので、おかしいと思った。そうしたら、突然角から出てきた男達に襲われた。語れることは、これくらい。
嘘はついていないが、肝心な部分を端折った事しか言えなかった。
まさか、馬鹿正直に「お忍びで、花祭り見物に来ていたサフィニア姫が、正体に気付いていた不逞の輩に襲われました」などと、口に出来るはずが無い。
結局、祭りで浮かれている恋人達を狙った、物盗りでは無いかという結論が出た。――エスティは、納得がいかないようだったが。
しかし、今マローネの頭を悩ませているのは、別の問題だ。
「サフィニア様、脱いで下さい」
「いえ、脱ぐのは上着だけで結構です」
こうして人払いも済ませ、傷の手当てに必要な道具も借りたというのに、なぜか頑なに服を脱ぐことを拒否するサフィニアが、目下大きな問題だった。
「肩の傷を見ないといけませんから……」
「いりません。帰りましょう。俺の上着を貸しますから、はやく腰に巻いて下さい。スカートの状態を隠せます。そして、さっさとこんな所から立ち去るべきです」
「そんな! 怪我をしたまま、帰るなんて……! 絶対に駄目です!」
「問題ありません」
大問題だと、マローネは首を横に振る。
王妃に傷をつけられた時もそうだったが、サフィニアは自分自身の傷に、あまりにも関心がなさ過ぎる。
「痛くしませんから、ね?」
「にじり寄って来ないで下さい」
女同士なのに、なぜそこまで嫌がるのか。
たしかにサフィニアは、常日頃から肌の露出が極端に少ない姫ではあったが……。
「ちょっと肩をみせてくれるだけでいいんです。少しだけボタンを外して、肩を見せてくれれば」
「断固拒否します。そこまで言うなら、自分でやります。ですから、貴方は外に出ていて下さい。あぁ、上着は腰に巻いていくように」
追い出そうとしつつも、マローネが少しだけ破いたスカートを気にして上着を差し出してくれる。
他人にこれほどまでに心を砕いてくれるのに、どうして自身の体を省みてくれないのか。
歯がゆい思いを抱えつつ、マローネは食い下がった。
「でも、利き手側ですから、誰かに手当して貰った方が、負担も少ないですよ」
「結構です」
このままでは日が暮れる。マローネは、仕方なく強硬手段に出ることにした。
「……かくなる上は……! ――失礼します!」
「え?」
胸元に手をかけると、ボタンを外す。
「やめなさ――っ」
動かすと傷口が痛むサフィニアは、ろくな抵抗も出来ぬまま息を詰めた。
「え?」
対して、マローネは間抜けな声を上げてしまった。
一度、顔を上げると、自分が今、手当てしようとしている人物の顔を確認する。そして、再度視線を落とし――真っ平らな胸板を見て、間抜けな声を上げた。
「…………え?」
「……っ……」
真っ平らだが、肩幅はそれなりにあり、しっかりとしている。たくましい、男の胸板だ。
そう、どこからどう見ても、男の――。
(……おとこの、むないた……?)
しかしマローネは、現実に抗った。
いやいや、そんな筈が無い、幻覚だと。
首を左右に振り、目をぎゅっと瞑って、もう一度開く。
同じだ。
目の前にあるのは、女性らしい柔らかさが一切無い、真っ平らな胸と、しっかりした肩幅。「まさか」と思い、首まわりを見れば、喉仏が出ている。
やはり、幻覚ではない。目が疲れているわけでもない。
マローネの目の前にあるのは、細身でしなやかならがも、ほどよく鍛えられ筋肉がついている体。
(こ、これは……)
どこからどう見ても、女の体つきではない。
「お……おと、こ?」
「…………はい」
恐る恐るマローネが疑問を口に出すと、サフィニアが、重苦しい声で肯定した。
「あは……、あはは、姫様ったら、冗談ばかり」
直後、マローネはすぐさま笑い飛ばす。
目の前にいる人は、とても綺麗だ。
ドレスを着ている時の立ち振る舞いだって完璧だ。
そんな素晴らしい姫様が、男であるはずがない。
「大丈夫ですよ、姫様。胸なんて、これからいくらでも育ちますよ! 知ってますか? 山羊の乳がいいらしいです。死んだ母が言ってました。わたしも実践中です」
などと、どうでもいい事をつらつら並べながら、マローネは肩の傷に手当てを施していく。
「……マローネ」
「今日は、本当に申し訳ありません。怖い思いをさせてしまいました。早く戻って、なにか温かい飲み物を飲んだ方が良いですね。それから、気分が落ち着く香を焚いて、ゆっくり眠って下さい」
「マローネ……!」
「大丈夫。後のことは、全部わたしに任せて下さい」
「聞いて下さい、マローネ!」
手を捕まれて、マローネは肩を揺らした。
「…………見ての通り、俺は歴とした男です」
サフィニア本人が、言い切った。冗談だと笑い飛ばす事も、見なかったことにして流してしまう事もせず。
それならば、マローネも向き合わねばらならないと、居住まいを正す。
美しい人だ。自分を助けてくれた恩人だ。忠誠を捧げるにふさわしい、凜と気高い姫君だ。
サフィニアがサフィニアであるならば、彼女のままであるならば、性別は重要だろうか? ――否。
(これはいわゆる……些末な問題というやつですね!)
自問自答の答えは、すぐに出た。
「サフィニア様。何も変わりません。たとえサフィニア様が、本当は男性だったとしても、貴方が私の恩人である事も、忠誠を捧げた姫君であることも、揺らぎはしません」
「マローネ……」
サフィニアを安心させるように、マローネは笑みを浮かべた。
それは、心からの思いだった。
(サフィニア様がサフィニア様であるなら、性別なんてどっちでもいい。わたしの恩人である事に、変わりはないんだから)
しかし、サフィニアの顔は晴れない。それどころか、マローネの言葉を否定するように、首を横に振る。
「…………違います」
「違う? 何がです?」
今ここにいるサフィニアが、かつて自分を助けてくれた彼女であれば、何も変わらない。
マローネはそう思っていた。
己が捧げる忠誠は、少しも揺らぎはしないと。
けれど、サフィニアは、それすら「違う」と否定する。
「俺は、貴方の知っているサフィニアではありません」
「……そんな……、だって……サフィニア様は、ここにいるではないですか」
今度こそつまらない冗談だと、笑い飛ばしたい気分だった。自分をからかって遊んでいるんだと思いたかった。
「……俺は……、違う」
それなのに、マローネの表情が、ただぎこちない笑みを作っただけで終わったのは、向き合う主の表情の暗さと、その声の沈痛な響きのせいだ。
「……すみません、マローネ。……俺は、貴方が剣を捧げたかった、彼女では無いんです」
マローネから目を逸らしたサフィニアの声は、苦しげだった。
目の前にいるのはサフィニアだ。
それなのに、他でもない主自身が、《サフィニア姫》という存在を否定する。
――ひどく、嫌な予感がした。
「そんな……そんな、事……。でしたら、貴方は? 今、わたしの目の前にいる貴方は、誰だと……――」
からからに乾いたマローネの喉には、自身の声が張り付く。
サフィニアの目が、痛みを堪えるように細められる。
「――俺は……俺の、本当の名前は……」
震える声が口にしたのは――。
「……っ……サイネリアです……」
それは、すでに死んだ人間の名前。
サフィニア姫とは双子の姉弟であった、弟王子の名だった。
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