二話  最近優しいお姫様

 念願が叶い、サフィニア姫の騎士となれた、あの記念すべき日。あれから、はや一ヶ月が経っていた。


 屋敷での生活も慣れてきた、今日この頃。騎士マローネ・ツェンラッドの朝は早い。


 日の出と共に起きて、中庭で鍛錬がてら水くみ。窓拭き掃除に、掃き掃除。庭の花への水やりなどなど……。

 屋敷に住む条件としてサフィニアから提示された仕事を、順当にこなしていく。


 本来ならば、今マローネがしている仕事の内容は、使用人の分野だ。騎士の仕事ではない物が多く含まれている。


 しかし、主であるサフィニアが表に出ることを好まない性質なのを反映してか、この屋敷は使用人が極端に少ないのだ。

 騎士である事に拘っていては、屋敷の仕事が回らない。そうすると、サフィニアの生活に支障が出てしまう。


 主の不都合は、マローネの望む事では無かったし、与えられた仕事をこなし、サフィニアの役に立っているという実感を得られる方が、大分幸せだった。


(だけど、本当に少ない……)


 屋敷で働くのは、サフィニア姫の母の代から仕えているという老夫婦と料理人、そして老夫婦の孫である青年が一人だけ、だ。

 使用人である彼らは、主人に習ってか、当初マローネを懐疑的な目で見ていた。


 しかしマローネが一言も文句を言わず、毎日決まった時間に起きて、仕事をこなしているうちに、徐々に態度が和らいできた。

 最近では、小さいのに頑張っていると時折頭まで撫でてくる。


 褒められること、認めてもらえることは、素直に喜ばしい。だが、マローネはで子供ではないので、小さいと言ったり頭を撫でたりするのは、やめて欲しいと思う。自分は十五歳であり、一人前の騎士だと一生懸命訴えてはいるのだが、皆にこにこして頷くわりに、どうも話が通じている気がしない。


 今日も、水くみ終わりに料理長から「でっかくなるように、スープの具を大盛りにしてやるからな!」という豪快な笑みとともに、頭をくしゃくしゃにされたところだった。


 騎士は、平素こそ身だしなみにも気を遣わなくてはいけない。

 騎士がだらしない格好をしていると、それがそのままそっくり、主人への評価に繋がるからだ。――訓練生の頃に叩き込まれた教えに乗っ取り、マローネは今日も律儀に髪をなおそうとする。


「頑張るねぇ、おちびちゃん」

「むっ!」


 揶揄するような声に、ぐしゃぐしゃになった髪を手櫛で整えていたマローネはきっと視線を鋭くさせた。

 柱に寄りかかっているのは、マローネより四つ年上の若い男。

 茶色のくせっ毛に、焦げ茶の目の、人当たりのよさそうな青年だ。

 もっと詳しく言えば、彼はサフィニアと年が近く、もっとも彼女の傍に居ることが多い従者で、名をヨハンと言う。


 この屋敷を訪れた初日、サフィニアへの取り次ぎを行ったのも彼だ。屋敷で、一番サフィニアと近しい存在である。

 つまり、サフィニア姫の信頼を得たいマローネにとっては、好敵手ということになる。


 しかしヨハンの方は、マローネの事を歯牙にもかけず、今日も人好きのする笑みを浮かべ、髪をなおしたばかりだと言うのもお構いなしで、くしゃくしゃと頭を撫でてきた。


 その手首には、一見して手作りと分かる腕輪をつけていて、動かすたびに小さな音を立てる。紐に綺麗な石を通しただけの、稚拙な作りだが、ヨハンは毎日欠かさず身につけているのだから、とても大切な物なのだろう。


(ちょっと可愛い作りなのが、とっても意外ですけど……)


 マローネが、似合っていない腕輪に注視している事には気付いていないのか、ヨハンは手を止めずに続けた。


「えらい、えらい。普通の奴なら、こんなのは自分の仕事じゃないって言って逃げ出すだろうに、一ヶ月耐えるとは……。根性あるなぁ、小さいのに」

「小さいは余計です! そもそもですよ、ヨハン殿。わたしは、サフィニア姫様にお仕えすることを目標に、心身を鍛えてきたんです。願ったり叶ったりなこの状況から逃げ出すなんて、そんなもったいない事をするわけありません!」


 一度はマローネの剣幕に押され手を離したヨハンだったが、やれやれと肩をすくめると再度マローネの頭に手を伸ばした。


「はいはい。わかったわかった、おちびちゃんの傾倒っぷりは、この一ヶ月でよぉーっく理解してるよ!」


 再度くしゃくしゃとかき混ぜられ、マローネはますます目をつり上げる。


「やめてください!」

「おっと、悪い」


 ちっとも悪いと思っていないような口ぶりで、ヨハンはからからと笑った。


「それより、おちびちゃんが愛してやまない姫様から、直々のお呼び出しだよ。部屋に来いってさ」

「えっ、サフィニア様が!? ――ヨハン殿、わたしの格好、見苦しくありません!?」


 マローネは、慌ててヨハンに問いかける。


「んー、そうだなー。とりあえず……、髪がすごいことになってるよ」  

「なっ! 髪は、あなたのせいじゃないですか!」


 指摘に反論したマローネの必死さが、よほどおかしかったのか、ヨハンは腹を抱えて大笑いしたのだった。



 髪を手でなでつけ、襟が曲がっていないか首回りに手をやる。正式な騎士である事を示す左腕の腕章も、ちょいと持ち上げ位置を正す。

 自身の格好に、おかしな点がないか、入念に確認したところで、マローネは大きく深呼吸し、目の前の木製扉をたたいた。


「失礼します、姫様。マローネです」


 すぐに扉の向こう側から入室の許可が下りて、マローネはサフィニアの私室に足を踏み入れた。

 窓辺の椅子に腰掛けているサフィニアは、今日も自身の手で身支度を終えた後のようだった。


 いつも通りの格好をしている。

 そう、いつも通りの、サフィニアの魅力を生かすどころか完全に抹殺するようなひどい格好だ。

 もっと華やかな色合いが似合うのに、今日も黒と灰色の入り交じった、地味で時代遅れな型のドレス姿である。 


 マローネが住み込みの許可を得て分かったことだが、サフィニアはあまり服装に気を配らない。

 素材は最高品質にもかかわらず、着飾る事に無頓着なのだ。

 普通ならば、それはさして問題にはならなかっただろう。主が自身をより美しく見せることに無頓着であるならば、侍女が手腕を発揮すればいいのだから。

 きっとサフィニアの魅力を生かした、素晴らしい格好にしてくれるだろう。


 だが、非常に不可思議な事に、この屋敷に居る同性は、幼い頃からサフィニアの世話をしているという老婦人のメアリだけ。使用人が少ないここでは、メアリも仕事が沢山ある。それが分かっているからか、サフィニアはメアリに世話を頼まない。もともと、他人の手を患わせることを嫌う性質なのかもしれない。同性であるマローネにも、一度たりと頼んだことは無い。

 身支度は、全て自分の手ですませてしまう。


(サフィニア様は、王家の姫なのだから、もっと侍女をつけてもらってもいいくらいなのに……)


 さりげなくマローネは主の私室を見回した。

 華やかな色合いのドレス、綺麗な装飾品、可愛らしい小物――そんなものには、一切興味がないと言わんばかりに、サフィニアの部屋は殺風景で、年頃の娘らしからぬ雰囲気だ。


 サフィニアは女性にしては背が高いが、すらりとしており、透き通るような肌の美人だ。にもかかわらず、彼女はいつも地味な色合いで、体の線がしっかり隠れるようなゆったりとした仕様のドレスを好む。無論、露出もない。常に長袖で手袋、襟元が開くようなものは決して着ない。いつも首元までがっちりと隠している。


 時代遅れだろうと笑われようが、決して肌が露出しない服装ばかりを好むサフィニアに、マローネは以前聞いた噂を思い出した。


 隠れ姫には、新しいドレスをしつらえる余裕すらない。なぜなら、王に見放され王妃に厭われているから……。


 サフィニアは、ある事件が起きて以来、離宮にこもりがちになった。

 それでも、最初の頃は何度か城の舞踏会に参加したと言う。だが、着てくるドレスは全て同じものばかり……流行遅れで、華やかな場には似合わない地味な装いだったため、サフィニアは、母親の身分を引き合いに出され笑いものにされたそうだ。


 以後、彼女はますます離れの屋敷に引きこもるようになり、現在の隠れ姫の呼び方が定着してしまったのだ。


「おはよう、おちびさん」 


 それでも、今こうして朝日を浴び、微笑むサフィニアは美しかった。


 だからこそ、格好が惜しい。


 しかし、もしも噂通り王と王妃の隔意が原因で嫌がらせを受けているのだとすれば、違うドレスを着た方がいいと安易には言えない。下手をすれば、サフィニアの姫としての矜持すら傷つけてしまいかねない。


 まぶしい笑顔を向けられたマローネは、思わず反応に詰まってしまった。

 それを、どう解釈したのか、サフィニアの細い眉が怪訝そうにひそめられる。


「眉を下げてどうしたんですか? ヨハンにでも、いじめられました?」


 マローネの顔はよほど情けない事になっていたらしい。 

 サフィニアはわざわざ椅子から立ち上がるとマローネの前で腰をかがめ、その表情をうかがい見る。


 当初のツンとした冷たさが嘘のような、暖かみのある眼差しだった。

 優しさの滲む表情を見たマローネは、衝動的にサフィニアの手袋に包まれた手を両手で握りしめた。


「サフィニア様!」

「何ですか?」

「わたしは、いついかなる時も、サフィニア様のおそばにおりますから!」


 唐突すぎる言葉に、目をぱちくりと瞬いたサフィニアだったが、マローネがあまりにも真剣な顔をしていたので、とうとう苦笑を浮かべた。


「どうしたんですか、突然」

「突然ではありません。ずっと、思っていました。わたしは、ずっとサフィニア様にお仕えし、御身をお守りしたいのです」

「守る、ですか」


 するり、とマローネの拘束から手をすり抜けさせたサフィニアは、意味深に呟いた。


「貴方のようなおちびさんが、このサフィニアを守る、と?」


 ツンッと額を指でつつかれたマローネは、慌てて言いつのった。


「し、身長は関係ありません! 背が低かろうと、わたしは正式な騎士ですから、相応の訓練を積んできています! ――ほらっ、見て下さい、この腹筋!」


 身長が標準をやや下回っているだけで、騎士としての能力が欠如していると思われるのは心外だった。

 何度も訴えているが、主は今だに不安視しているらしい。


(それなら、目に見える証拠を示さなければ! 騎士として!)


 マローネは、これまでの努力の成果として、しっかりとついた腹筋を見せようと、自身の服をたくし上げた。


「馬鹿! 何をしているんですか!」


 サフィニアから、ぎょっとしたような声が上がる。


「え!? サフィニア様が、わたしの騎士としての能力を不審がっておいでのようでしたので、鍛えている証しをご覧に入れようかと」

「見せなくていい! しまいなさい、はしたない!」


 サフィニアは、慌てた様子で目元を覆うと横を向き、マローネを叱責した。

 まさか、顔を真っ赤にするほど怒られるとは思っていなかったマローネは、困惑しつつも素直に服を元に戻した。


「あの……」

「まったく、信じられない! 貴方には、女性としての慎みがないのですか!?」

「も、申し訳ありませんサフィニア様。……女同士なので、これくらいは大丈夫だと思っていました。ご不快な思いをさせたことを、どうかお許し下さい」

「――女、同士……?」


 異性相手ならば、マローネだって自重する。しかし、自分の能力を不安視している主は同性。それ故の行動だったのだが……サフィニアは姫だ。


 同性といえども、相手は王族。

 己にとって仕えるべき存在。


 そう考えると、自分の行動はいささか気安く、配慮に欠けていたかもしれないと、マローネは慌てて謝罪した。


「申し訳ありません! もう、二度といたしません!」

「当たり前です! 女性がみだりに素肌を見せるなど、言語道断です! 相手が私では無く、馬鹿な男だったらどうするんです! 誘っていると勘違いされて、まるっと手込めにされていましたよ!」


 普段は落ち着いているサフィニアの大声に、マローネは驚いた。元々大きな目をこぼれんばかりに見開いて、不敬と分かっていても赤い顔のサフィニアを凝視してしまう。


「……なんですか?」


 不躾な視線に気付いたサフィニアは、不機嫌そのものといった風でマローネを睨んだ。


「いえ、あの……――サフィニア様も、冗談を口にしたりするのだなぁと、驚いてしまって」

「冗談? ……一体何の事ですか? 私は、貴方に女性としての自覚を持つよう促しはしましたが、冗談など口にしていません」

「でも、わたしが手込めにされるとか……」


 これが冗談でなければ、なんなのだとマローネは困惑する。


 自分は、騎士なのだ。

 厳しい訓練に耐え抜いた、正真正銘の騎士。そんな自分が、その辺の男に負けるはずがないという自負から、マローネはサフィニアの言葉を冗談と受け取った。そうとしか、受け取れなかった。

 考えは、顔にそのまま出ていたようで、敬愛する主はため息を吐いた。


「――……いいですか? 自分は馬鹿男に目をつけられそうだから注意深く生きようと、常日頃から気をつけて生きている女性は、絶対に男に隙を見せません。……今の貴方のような、まさか自分がとか、自分だけは大丈夫だとか……そうやって、根拠もなく油断している方が、一番狙われやすいんですよ」


 サフィニアは、笑っていなかった。

 いつになく真剣な顔で、マローネを見下ろしている。


「何かあってからでは遅いんです。――傷ついてからでは、遅いんですよ。貴方はどうやら、自分の事を過信する癖があるようなので、なおのこと。注意しなさい」

「ですが、サフィニア様! わたしは、本当に大丈夫で――」


 これは過信ではない。力量を伴った言だとの訴えは、途中で切れた。


「……これで大丈夫なんて、聞いて呆れますよ」


 なぜか、サフィニアに抱きしめられていた。身長差のせいで、まるで包まれるようにすっぽりとサフィニアの腕の中に収まってしまったマローネは、敬愛する主の顔が、すぐ近くにある事に気付いて、大きく動揺する。


「なっ、えっ、ちょっ!」


 言葉にならない悲鳴を上げている間に、サフィニアはそのままひょいっとマローネを抱き上げてしまった。


(えぇぇぇっ!?)


 さすがに、主の耳を直撃するような悲鳴は上げられない。マローネは自身の胸中でのみ叫んだ。そうでなければ、衝撃的すぎる現状を、上手く処理できない。


「おちびさん。この私でも、こんなにも簡単に貴方を抱きしめられるんですよ? 世の中にはびこっている男どもが、どれほど危険か分かるでしょう?」


 マローネの動揺に気付かないはずがないのに、名人が精魂込めて作り上げた彫刻のような優美さを持つ美貌は、額がくっつきそうな至近距離で微笑みかけてくる。  


 ぽぽぽっと、一気に顔に体中の血液が集まってきたかのように熱くなった。

 

「お、おろして下さい!」

「おちびさんが、私の言うことを理解してくれたら、すぐにおろしてあげますよ」

「~~っ」

「――顔が真っ赤。恥ずかしいんですか?  ……これくらい、女同士なんだから平気でしょう?」


 わざと強調するように言われるが、これは断じて違うとマローネは首を横に振った。

 抱き上げるなんて、親しい女友達であっても絶対にやらない。

 けれど、だからと言って、ここまで動揺するのも、少し大げさで、おかしい気がした。


 例えば、握った手が大きく節くれ立っていたとか、抱き上げられたとき思わず触れてしまった肩が、思っていたより固く、しっかりしていたとか――そんな発見をして、急に気恥ずかしくなり、心臓が落ち着かなくなる自分に、マローネは戸惑った。


 敬愛する主が、急に知らない存在に見えてしまうのだ。


「わ、わかりました! 理解しました! サフィニア様のご心配を払拭すべく、マローネは精進いたします!」

「……ふん……まぁ、いいでしょう。今回は、これで許してあげます。よくよく、心に留め置くように」


 すました顔で頷かれ、マローネはようやく床におろされた。

 許された事にほっと胸をなで下ろす。元が整っているだけに、至近距離のサフィニアは心臓に悪くてしょうがない。


「おちびさん。絶対に、他の男の前で隙を見せたりしたら駄目ですよ?」

「ひゃあっ!」


 ふと油断していたマローネは耳元でささやかれ、飛び上がって悲鳴を上げた。

 してやったりと笑うサフィニアは、悪戯が成功した子供のように笑っている。


 この屋敷に来てからというもの、マローネが抱いていたサフィニア姫の幻想は次々に打ち砕かれている。

 こんな風に……――いたずらっ子のような顔で笑う人だとは、思わなかった。


(それに、ちょっと意地悪です……!)


 だが、幻想と現実が剥離した事を悲しいとは感じない。

 本当のサフィニアの姿を見ることが出来て、嬉しい。

 何より、姫以外の面を見せてくれるということは、信頼されている証しのような気がしてならない。


 全てが、たまらなく嬉しくて、誇らしい。

 満面の笑みを浮かべたマローネ。見下ろしていたサフィニアは、再び穏やかなに微笑した。


「まったく、またそんな顔で笑って……本当に、分かっているんですか? ……困った人ですね、おちびさんは」


 マローネの主が発したその声は、出会った頃よりも、ずっと優しく柔らかい――親しみが込められていた。

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