【仮題】間話その1の2

「ところでヒイラギさん」


 しばらくファンタジーを堪能した後、水槽側に背を付け徐に、しかし妙に改まった口調でミフユさんは切り出す。


「こんなところで申し上げるのもなんですが、今書いて頂いている日記の件でひとつ……」


「日記ですか? 何でしょう」


 俺もミフユさんの横に並ぶようにして水槽に背を付け、先を促す。


「内容の真意はさておき、実は一点、不満点があります」


「……? 不満点ですか?」


 あれのどこに不満な点があるというのか。あんなにも赤裸々に全てを曝け出したというのに。それに前回は「わからない」だの「合っていると思う」だのと言っていた筈。


 俺は遣り切れなさからそれこそ内心不満気味に聞き返す。


「ああ別に、そこまで強く指摘をする程のことではないのですが……。不満という言い方も良くありませんでした……」


「良いですよ。言って下さい」


 あそこまで恥を晒しているのだ、身を削っている以上、中途半端はかえって気持ち悪いし、損をした気分にもなる。


「わたし、最初にお願いしましたよね? 『わたしについてもちゃんと書いてください』って」


「それなら書いてるじゃないですか」


 むしろほぼミフユさんとのやり取りしか書いていないと言える。


「違います。わたしとの話の内容とかではなく、わたし自身についてです」


「それはつまるところ……ミフユさんの容姿とか、そんな内容ですか?」


 半分は冗談のつもりだったが、ミフユさんは変に力強い眼差しを向けたままコクリと頷く。俺は少し考え……、


「普通に美人だと思います」


 そうミフユさんについての感想を述べた。


「び!」


 思いもよらぬ返答内容だったのか、ミフユさんはあからさまに狼狽える。


「え、何かまずかったですか?」


 俺はわかっていながらもそう尋ねる。勿論嘘は言っていないのだが、先程のチンアナゴでの照れた様子が面白くて少し意地悪をしてしまった。


「い、いえ。はい、そうですか……、なるほど……、美人…………」


 ミフユさんは俺から目線を逸らし、そう口籠る。


「ええ、ミフユさんは美人だと思います。世間の男性の大半が同様の回答をするでしょう」


「そ、そんな……」


 無理やり口に嫌いな野菜を突っ込まれそうになっている子供のような手ぶりで、ミフユさんは「もうやめてくれ」と懇願する。


「え? でも感想を訊きたいって言ったのはミフユさんですよ? 美人なんだから仕方ないじゃないですか。それとも僕に嘘を吐けと? 〝ありのまま正直〟ではなく、嘘を」


「い、いえ。でもわたしそんなつもりじゃあ……」


「なら別に構わないですよね? ミフユさんは美人です。揺ぎなく美人そのものです。ああ美人美人。ミフユさんは間違いなく美人です」


「やめてください。怒りますよ?」


「すみませんでした」


 調子に乗り過ぎた。ミフユさんから真顔のお叱りを受けたので俺は大人しく頭を下げて謝罪する。


 ミフユさんはそれを受けてやや頬を膨らませながらひらりとロングスカートをなびかせると、再びくらげの漂う水槽へと視線を戻した。


 薄闇の中、水槽の淡い明かりに照らし出される彼女の憂い顔。


「綺麗ですねぇ……」


「ええ……、本当に……」





 俺たちはその後二階の水辺の生物コーナーを一通り回ってから、ミフユさんの希望で同階にある物販コーナーに入った。来られなかった友人の為にお土産でも買うのだろうか。


「ヒイラギさん! これ!」


 ミフユさんは海洋生物を模したぬいぐるみが並べられた一角で先程見たチンアナゴのぬいぐるみを手にこちらへ笑顔を向けてくる。余程その珍妙な魚が気に入ったらしい。


「ぬいぐるみ、買うんですか?」


「ええ、渡したい相手がいまして」


「良いじゃないですか、それ」


 あまり店であれこれと悩んでいる他人に協力的になれない性質たちの俺は、適当に決断を後押しする。だが、


「確かに可愛いんですが……でもこれ……」


 どこか不満な点でもあるのか、ミフユさんは手にしたチンアナゴを竹トンボのように両手でくるくると回しながら首を傾げ、思案気な表情を見せる。


いたじゃないですか」


 そしてよくわからないことを口にした。


「…………。生えているわけではないと思いますけど……、何故それだとダメなんです?」


 俺はわからないまま、理由を問う。


「その、縁起が……良くないかと……」


 ミフユさんはやや言い辛そうに理由を教えてくれた。その一言を受けて俺は考える。


 なるほど。


 つまりこうだろうか。まず、恐らくお土産を渡す相手は現在入院中だ。そしてミフユさんは、「根付く」=「寝付く」ということからお見舞いの品に「鉢物」の花が縁起的に良くないという昔からある習慣を、あろうことかこの珍妙な海洋生物のぬいぐるみに適用させている。


 しかし、ミフユさんとの会話にはこうして推理しなければならない場面が多々出てくる。日々暇を持て余している俺にはそこが興味深くもあり、未だ謎のままの事柄ばかりなのだが。


 俺は言い辛そうにしているミフユさんにそれ以上尋ねることはせず、一緒に他のぬいぐるみを見て回った。


 チンアナゴが気に入っている様子だったので、「ミフユさんにもぬいぐるみ、似合ってますよ」と、それとなく購入しやすいように促してみたのだが、善意虚しく単なるからかいとして捉えられてしまったのか、ミフユさんはチンアナゴを凶器のように振りかざしながら「怒りますよ」と頬を膨らませた。


 これに関しては先程のやり取りがあった矢先だったので、タイミングが良くなかった。頭が絶妙に折れたようなフォルムのそれは、まるでバールのようだった。


 その後、十五分程悩んだ挙句、ミフユさんが選んだのはカエルのぬいぐるみ。


 一応理由を聞いてみたが、「こちらの方が安定感があります」とのことで、今度の判断基準はあくまでも〝形状〟であるようだ。


 しかし、そのずんぐりとしたぬいぐるみを大事そうに抱え、はにかむ彼女の様子に俺はまた、「良いと思います」と、思ってもいない感想を送った。


 まあ、確かにカエルならば、少なくとも倒れたり、どこかへ転がって行ってしまう心配はなさそうだ。





 物販コーナーを後にし、最初に素通りしたアシカやペンギンのいるコーナーに行ってみると、そこで館内客専用のタリーズコーヒーを発見したので、休憩がてら入店することにする。


 幸いにもちょうど二人が座れそうな席が空いていたのでまずはその席を確保した。


「ヒイラギさんはアイスコーヒーで良いですか?」


「良いですけど、お茶代くらい僕が出しますよ」


「いえいえ、今日はわたしが奢ると決めたんです。ヒイラギさんはそこで待っていて下さい」


 そう言うなり、ミフユさんはテーブルにバッグと先程購入したぬいぐるみの入った袋を置き、財布だけ取り出すとそのまま逃げるようにカウンターへ向かってしまった。


 俺は仕方なく椅子の背もたれに体重を預け、ひと息吐く。


 しかし、ミフユさんは本来友人との約束でと言っていたが、その代わりが本当に俺で良かったのだろうか。


 友人……か。


 友人とは前に言っていた背の低い演劇部の子だろうか。いや、女子とも限らない。もしかしたら男だってことも。だとしたら先程までのああいったやり取りは、本来そのどこかの男とする予定のものだったのかもしれない。


 不意に、先日ミフユさんの小説の最新話を読んだ時のことが思い返される。


 それって、やはりなんだろうか。まあ、どうでも良いが。


 俺はそんなようなことを心で嘯きながらも、ふととあるモノが気になっていた。


 ミフユさんがテーブルに置いて行ったバッグ。ミフユさんが財布を取り出した拍子に彼女の執筆している小説原稿が入っているであろう封筒が大きくはみ出してしまっていた。


 別に何をするでもなくそれを眺めていると、サイズが小さい所為か、カエルのぬいぐるみと違って著しく安定感の乏しいそのバッグは、そのままテーブルの上でバランスを崩し、こてんと口をこちらに向け倒れる。そしてその勢いで封筒の口から中の原稿用紙が滑り出た。


「…………」


 これは事故だ。俺はバッグをそっと元に戻そうと手を伸ばし掛けるが、しかしその手がそのままバッグに届くことはなかった。


 飛び出してしまった原稿用紙は書いた面を外側にして二つ折りにされているのか、一行半程、書かれている内容が露出してしまっている。


 少なからず慌てている場面なので、そこにどんな奇抜な内容が書かれていようと、文章として何ら不自然のないものだったなら手を止めなかっただろう。すなわち、今の俺のこの反射とも言える反応はそれが十分に不自然だということを証明している。


 そこに書かれているのはまずもって、


 2315981642223668115127…………。


 そこには女性らしい丁寧な手書きで書かれた数字の羅列。


 何かの数式? いや、所どころカンマで区切っているが、数字以外の記号は一切見当たらない。本当にただ連続して数字を書いただけに思える。


 もうやめておけ。


 心の声が頭を過る。


 そのまま原稿を封筒に戻し、バッグを置き直し、何事もなかったかのようにミフユさんとコーヒーを飲んで解散。そうすれば今日はただ美女と水族館デートを楽しんだ、それだけのイベントで終われる。


 そんな心の中の自身を諭す声に反し、俺は手を伸ばしてしまう。バッグではなく、原稿用紙の方へと。何かに吸い寄せられるように。


 どこまで懲りない奴なんだ。そこでやめておけば良いのに。


 手を伸ばしながら一度カウンターの方へ目を遣る。店は割と混んでいて行列に並ぶミフユさんの番が来るまであと三組程客がいた。ミフユさんはこちらに背を向けているので全く気付かれる様子がない。


 俺は心の忠告を無視し、そのまま一息に原稿を引き抜く。


「!?」


 瞬間、手にした原稿をそのまま落としそうになる。声を出さなかったのが奇跡だった。いや、単に絶句してしまっていただけなのかもしれない。


 この時の俺の心境はどう表現して良いものか。例えばあれだ、幼い頃に田舎の祖母の家に遊びに行った折、庭の大きな石をひっくり返したらたくさんの虫が湧いて出て来た時の、あの身の毛もよだつような感覚。それに近い。


 震える俺の手にあるのはミフユさんの執筆中の原稿用紙。


 そこには一切の隙間なく、書き込まれていた。


 念の為二つ折りのそれを裏返して残り半分も確認するが、やはり同じだった。


 一体これは何だ……。


 どれだけ突拍子のないことでも、推察できる事柄には程度がある。これは確実にその程度を逸脱する代物だということが明白だったので俺は無為に考え込むことはせず、急いで原稿を封筒に戻し、それからバッグを元の位置に立てた。


 カウンターを確認すると、いつの間にかミフユさんが会計を済ませ、トレーに二人分の飲み物を乗せてこちらを振り返るところだった。


 俺の視線に気が付いたミフユさんはそっと微笑む。


 間一髪。順番待ちの様子からしてある程度の時間の余裕があった筈なのに、俺はどれくらいあいだ固まっていたのだろうか。


 俺も笑みを返すが、果たして上手く表情を作れていたかはわからない。


 ミフユさんのその微笑みが、先程まで水槽やぬいぐるみを眺めている時に見せていたものとはどこか違うように思えた。

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