第5話 古本屋

 中の空気は今までに嗅いだことがないようなにおいがした。恐らく、紙とそこに刻まれたインクの匂いが時間と共に劣化した事によって今私の鼻まで伝わって来ている。そう感じられた。

 美沙子さんは古本屋に恐らく何度も来たことがあるのだろう。本棚と呼ばれる木枠の中に整然と並べられた紙の本をすいすいと見て回っている。

「美沙子さん、本を探すのが上手ですね」

「直人さん。ここには電子書籍のように検索することが出来るようなシステムはありません。ですが、こうやって並んでいる隣同士の本を見て、比べるという事が出来ます。古本屋の醍醐味です。──直人さん、この中で何か気に入った本はありますか?」

 美沙子さんは私に微笑みながら問いかけてきた。私はそんな読書家でもない。まして古本などに手を出したこともない。紙媒体の本を見て驚いているような人間だ。古本の名作などを知るはずもない。

 だがここで「挽回」すべく、私は取り敢えずその辺りにあった、背表紙が派手な本を手に取ってみることにした。表紙には「SF世界は実現を迎えるのか 小野庄司」と書かれている。

「直人さんはやはり、センスが良いです。この本は今から九十五年前に波星書店が出したSFと現実世界を緻密に比較検証した本になります」

 知らなかった。──とは言えないが、前書きを読む限り少し興味をそそられた。今から九十五年前の人間が書いた、未来予想図である。

「私も、多少こういうSFには興味があるんです」

「そうなんですね。この本で作家の小野さんは未来で人間の四割が失業することを予想していますよね。これって今の人間代替ロボットアンドロイドに仕事を取られた状況と非常に近い線をいっていると思いませんか?」

「確かに、今はアンドロイドに殆どの仕事を委ねていますが、九十五年前の人が既に予想していたと思うと、改めて凄いですよね」

 取り敢えず何とか、知ったかぶりをすることは出来た。こうでもしないと私のメンタルはズタボロになってしまう。私が手に取った本は日焼けと埃で表紙の絵が霞んでしまっているが、そこには現代とは比べられない程ゴツゴツとしたアンドロイドが描かれていた。昔の人たちはこんな機械ものを考えていたのか。

「因みにですが、この作品が波星書店から出版された後、この作品で書かれた未来を設定にして幾つものSF小説が書かれました。直人さんが立っている後ろにある本棚にある本が全てそうです」

「え、こんなにですか」

 振り向くと私より背の高い本棚にギシギシに本が入れられていた。私の手元にある本からこんなにも沢山の物語が生まれたという事は、この本は恐らく本の歴史において重要な存在なのだろう。

「美沙子さん、この本買ってきます。何だか手元に置いておきたくなりました」

「でしたらこちらの本と、こちらの本と……あとこの本も合わせたほうが。──すいません、ついついまた自分の世界に入ってしまいました」

「いえいえ、美沙子さんの楽しそうに話してるところ、嫌いじゃないです。何だか私まで頭が良くなったような気がします」

「そう言って貰えるとは。嬉しい限りです」

 美沙子さんはニコッと笑った。彼女はやはり不思議な人間だ。私を一日で虜にしてしまうのだから、不思議な人間だ。

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