嘘と秘密と約束と

真樹

ファーストインプレッション

 正直な話、最初は面倒臭いなと思った。


 アカデミーに、編入生がやって来る。

 それ自体は、そこまで珍しいことでもない。そもそもアカデミーとは通称で、それ自体が世界屈指の巨大な学園都市である。どこにでもあるものではないし、住んでいる地域の事情や家の都合などで入学の時期を逃し、その後にアカデミーの門をくぐる生徒の数は決して少なくはない。年に数人は必ずいるといった状態だ。

 加えてアカデミー在校生に、その編入生の面倒を見ろという打診が来ることも、そう珍しいことではない。


 アカデミーは基本的に寮生活である。授業面ならまだしも寮暮らしのあれこれまで、担当教師が一から面倒を見るのは、時間的・物理的な面から見てもまず不可能な話だ。

 それは判る。

 だが、その役目を自分に振られるとなると、それはもう心底面倒以外の何者でもない。

 それはもう正直に、レーヴは面倒臭い、と簡潔な感想を抱いた。



*  *  *


「―――― 『ルーフェ』?」


 教室内でポツンとひとり座り、暇そうに足をぷらぷらさせていた子供に、確かそんな名前だったなと記憶を掘り起こしながら声を掛ける。

 呼びかけと同時に素晴らしい反射速度で顔が上げられ、赤とも紫とも言い難い不思議な色彩の瞳がレーヴへと向けられた。夕焼けの色だな、とそんなどうでもいいことを思う。


 年の頃は、おそらく十歳にも満たないだろう。自分よりも三つか四つ程度年下に見える。

 それでも、アカデミーに入るには少しばかり遅いような、そんな印象があるのも事実だ。


「……アンタ誰?」


 きょとんとした声が問い掛けた。

 レーヴはつかつかと子供に近寄り、ぺしん、と軽く子供を叩いた。


「ったー!? いきなり何すんだよっ!」

「初対面の人間に『アンタ』というのは感心しない。あと、降りろ」


 途端にやかましくなった抗議の声には頓着せず、淡々と自分の言いたいことだけを告げる。

 椅子ならまだしも、子供が座っているのは間違いなく机の上だ。初対面だろうがなんだろうが、これはとりあえず教育的指導してもいい場面だろう。

 本当なら、足をぷらぷらと揺らすのもマナー違反と言えばそうなのだが、まだこれは許容範囲だ。次にやったら確実に教育的指導ではあるが。


 ピシャリと言い切ったレーヴに、子供ははまたきょとんと瞳を瞬かせた。

 再び文句が出るかと思ったが、意外にも子供は叩かれた頭を擦っていた手を下ろして「あー……」と視線を泳がせる。

 そして。


「そっかー。あそこ出ると、そういうのぜーんぶ気にしなきゃなんねーんだよなー。うわーぁ……」


 めんどくせー、と呟いた子供は、その言葉を裏切らず実に面倒臭そうな表情をしていた。

 内情はともかく、その言葉自体にはレーヴも心底の同意を返したい。本気でこの状況は面倒臭い。


 はぁ、とひとつ大きなため息を吐いて肩を落とした子供は、レーヴを見て「あ、わりー」と机から床へと着地した。

 一応他人の言うことを聞くアタマはあるようだ、といささか失礼な感想を抱きつつ、レーヴはくいっと顎をしゃくった。


「行くぞ。寮に案内する」

「うわっ、え、ちょっと待って!」


 慌てたような声と足音が追ってくる。


「なぁ! ちょっと、おい! アンタ……じゃねー、お前……ああ、もうっ!」


 癇癪を起こしたような声と共に、どすり、と背中に衝撃があった。同時に重みがずしりと肩に掛かり、さすがにレーヴも足を止めずにはいられない。

 肩越しに振り返れば、すぐ傍で夕焼け色の瞳と目が合った。


「……何なんだ?」

「やー、だってぜんっぜん止まってくんねーし。手っ取り早く足止めてもらおうと思って」

「それでこの所業か」


 つまりは、助走した子供がレーヴの背中目がけて飛び掛かり、そのまま肩にぶら下がったというだけの話なのだが、全体重を掛けられればさすがに重い。客観的に見て痩せ気味な子供ではあったが、それでもそう年が離れているわけでもない相手を支えるにはレーヴの腕力では不十分だった。

 目論見どおり足を止めて振り返ったレーヴに、夕焼け色が満足そうに笑った。


「養い親のモットーなんだよなー。手段選ぶな、って」


 正確には、目的達成のためには手段選ぶな自分に出来ることは全部やっとけ、だけどー、と告げるそれは、十に満たない子供が口にするには少々アレな感じではある。

 切羽詰まらない限りは手段は選べ、とレーヴは思わなくもない。

 が、切羽詰まればレーヴ自身割と手段を選ばない類の人間ではあるので、ある意味で似た者同士と言えなくもなかった。


 間近から呆れたような眼差しを注ぐ相手には頓着した様子もなく、子供は笑った。


「なぁ、名前なんてーの?」

「……は?」

「だってさー、アンタ、は駄目で、それだとお前ってのも駄目そーじゃん? だから、名前」


 呼ぶ時に困る、と堂々と子供は言い切った。

 納得できる要素が、なくもない。……と思えるのが何となく腹立たしい。


「……レーヴ」

「レーヴ、な。よし、覚えた! なー、これ先輩とかそーゆーの付けた方がいいー?」

「必要ない。元々学年別に授業を受けるところでもないしな。年齢ばらばらの奴らが集まってるんだ、いちいちそんなものを付けた方が鬱陶しいだろう」

「ふーん、そんなもん? よくわかんねーけどさ。あ、オレはルーフェな」

「知ってる」


 というか、いい加減降りろ。

 冷淡に言葉を投げたレーヴに、あー、わりーわりー、とあんまり悪いとも思ってなさそうな口調で子供がぱっと手を離す。

 軽くなった肩を緩く回しながら、レーヴは微妙に嫌そうな表情になった。

 子供は、そんなレーヴを見ても、ただ楽しそうに笑っただけだったけれども。


 面倒臭い、と思った。

 それは、飾ることのない自分の本音。

 だけど。


 自分を見て、楽しそうに笑う子供。

 笑みの形に細められたその夕焼け色は、別に嫌いじゃなかった。


 それが、はじまり。

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