第9話 缶紅茶

 島村を振り切ってタクシーで自宅に帰った俺は、ベッドにごろりと横たわって、しばしぼんやりとした。家の近くのコンビニで買ったペットボトルの緑茶を、起きあがっては酔い覚ましに飲み干して、頭を巡らせる。まだ、微妙に酔いが冷めない。


 俺に向かって「私はあなたの助けになりたい」と言い切った島村の姿が、光希や茉奈に対する普段の自分の姿に重なって見えた。


 島村にさっきの言動で傷つけられたとは思わず、むしろ、光希に接していた俺って、あんな感じだったかな、と思った。


 俺が光希や茉奈を救いたいと思う気持ちは、光希や茉奈側からしたら、本当にありがたかったのだろうか。むしろうざったく思うときもあったんじゃないか。島村の言葉で、そんなことを思った。


 自分が「救われる側」だと、人に断定されることは、思ったよりもずっと恥ずかしくて、プライドに障ることだったのだ。


――俺はいままで、光希や茉奈を救おうとしている自分に、優越感を感じたり、ヒーローを演じられる自分の姿に、酔っていたのかもしれない。


――光希とは違う形で、茉奈と関われるとしたら、どんな風に接してやったらいいだろう。


 それはいままでの自分にはなかった発想で、俺は目をつむると、まだすこしほてる頬を右手で触った。顔そのものは熱いのに、手先は冷たくて、思ったより酔ってんな、と改めて思う。


 起き上がって、テレビをつけたら深夜番組でお笑いをやっていた。微妙に頭が冴えていて、明日も仕事なのに、眠れる気がしない。テレビから流れる、乾いた笑い声と、両手を叩く音をぼんやりと聞く。司会のアシスタントをしている知らないアイドルタレントの、冬だというのにノースリーブから伸びる白い腕が、やたらとまぶしく見えた。



 結局よく眠れずに一夜を過ごし、いつもよりも早い時間に、職場の短大に着いた。はれぼったいまぶたがいまにもくっつきそうで、その反面頭は変に冴えていて、とりあえず缶コーヒーを買いに、自販機に寄ったところで、見知った背中が見えた。


「あ……」


 俺に気が付いた島村は、みるみる半泣きの顔になり、ばっと腰を折るようにして俺に頭を下げた。


「矢知さん!……昨日はごめんなさい。私、本当に、余計なことを言ってしまって。怒らせてしまって、すみません。昨日私が言ったこと、なかったことにはならないだろうけど、ぜんぶ忘れてしまっていいので」


 ガコン、と自販機が大きな音を立てて、缶紅茶を吐き出した。俺はかがんで熱い缶を取ると、島村に差し出す。


「え……、なんで」


「謝らなくていいよ。なかったことにしなくてもいい。俺、島村に、気付かされたこともあったから。――どんなことかは言えないけど」


 島村は缶紅茶を受け取ると、俺を見上げた。島村の目もはれぼったく、恐らく昨日値付けていないだろうことがわかる。


「それより、五十年史の作業、今日二校ゲラ戻ってくる予定で、もう大詰めだから、いろいろ頼むこともある。とりあえず、あったかいもん飲んで、お互いしっかりやろう」


「――はい……!」


「俺も自分の分のコーヒー買うから、先に課のほう行ってていいよ」


 島村が何度もお辞儀をしながら、廊下の先に消えた後、俺は、熱い缶コーヒーで一服しながら、今日は忙しくなるぞ、と気合を入れ直して、うーんと伸びをした。もうすぐ、年末だ。

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