第2話礼子、レディースを引き連れて「アサヤ塾」に現れる。

2 礼子、レディースを引き連れて「アサヤ塾」に現れる。


 孤高の英語教師などといわれてもうれしくはない。

 大和テレビで毎週日曜日の午後一時から放映されている。

『奇人変人キテレツ人』全国大会の夢の優勝候補とみずからをあざ笑っている。

 

 高等遊民のなれのはてだ。

 

 アサヤの永遠の恋人美智子さん。

 いまは女房は、生きているうちから遺言を彼に託している。


「この家をゴミ屋敷にだけはしないで。バラの世話をよろしくたのむわね」

 

 それは忠実に守りますよ、あなたの、遺言ですから美智子さん。でも、死ぬなんて心細いことをいっておどかさないでください。決して、死にそうにはみえない。

 

 彼女は不滅だ。ほれぼれとするような、ピンとはりつめた若々しい肌をしている。唇なんか紅をさすことはない。いつもてらてらと光っている。

 

 アメリカはルイジアナ州ニューオーリンズ出身のハーフだから色白だ。死ぬのはまちがいなくこちらが先だ。             

 いましも、授業マッサイチュウのアサヤの耳に。バリバリバリとバイクのマフラを切りつめた、あのなつかしい轟音がとどろいてきた。


 砂崎博郎(ささきひろう)のことを瞬時に思いだした。

 

 そもそも、アサヤと暴走族サンタマリアのつながりは初代総長砂崎博郎が在塾していて……などとはじまると長――い、話になる。

 砂崎博郎は、作新学院に在学していた。彼は高校二年の夏ダンプに激突して昇天してしまったが――生まれたときから博郎、いや生まれるまえから両親がこんどこそ男の子をと期待して名前まできめて下着にも産着にもかきこんで置いたのだから生まれも育ちもはじめからヒーローだった。

 

 広い駐車場に轟いたバイクの音。こわいかにと、コンクリートの打ちっ放しの建物。四階の教室の窓から顔をだした。アサヤの顔に驚きの表情があらわれた。

 おりしもまだ名前のきいていなかったペチャカバンにボインのおねえちゃんが、かれこれ十ニンほどのレディースをひきつれて、こちらにやってくる。

 アサヤは急きょ生徒を、美智子さんにおしつけて古風な純日本風の木製の引き戸の、傾きかけた門までデバルことになった。


「開門。オッチャン先生いるかぁ」


 声が若々しい。艶がある。さっとフルフエスをとると。

 あらなつかしや教え子の音無礼子ちゃんだ。     


「うちの子から聞いた。アサヤ塾、存亡の危機。かくもうす音無礼子参上」

「礼子ちゃんのことはかたときも忘れない。博郎を愛してくれた女の子だ」

「先生、覚えてたんけ?」

 

 うれしすぎてつい方言がでた。


「なんで忘れようか。そうかそうであったか、礼子ちゃんの娘なのか。だから国語に強いんだ」

 アサヤは古臭い言葉で肯定する。

「先生にみっちり仕込まれた賜物です」

 ふたりとも感激しているので、文脈がハチャメチャクチャだぁー。


「お初にでなかった二度目だけど。お初に名乗らせていただきます。サンタマリヤ/レディースの赤原ヒロコです。以後お見知りおきください。そしてアサヤ塾に入門の儀、よろしゅうねがいます」

 ソウカッ、礼子は結婚して赤原に姓が変わったんだ。いやちがう。十四歳でシングルマザーになったので、遠縁の姓に――名目だけの結婚をしたときいている。でも、ひさしぶりの再会なので、旧姓の音無を名のってくれたのだ。

 

 砂崎博郎があんな自爆死していなければ、砂崎の姓を名のっていたのに……。

 

 ついに、アサヤの目から、ツウっと光ものが落ちた。思い起こせばアサヤ塾創設のみぎり、禅寺のしきたりにのっとって「いれてください、いれてください、入門させてください」と三度いわないと入塾できない掟だった。

 

 死可沼の「松下村塾」たらんと創設した塾だった。

 

 その第一期生。

 礼子も博郎も死可沼の北の端、日光礼弊使街道の日光市との境界辺りから自転車で通ってきた。教えるほうも命懸け、教室はボロだが、アサヤ先生は東京世界陸上大会の通訳、ミセズアサヤはアメリカ生まれのハーフ、おふたりとも輝いているといわれたものだ。

 いまの大型進学教室は反対だ。

 教室はピカピカ。先生もピカピカの大学生の臨時講師。

 おっとこれからさきは営業妨害だ。などと告訴されたら死ぬキャナイからやめておくが、そもそも塾を営業と、教育を金儲けの対象と考える企業家が出だした頃からこの国がおかしくなった。

 

 涙ポロポロ……ああ、砂崎博郎が懐かしいな。

 ああいう硬派の教え子がこの街に残っていれば、わがアサヤ塾がこんな衰退に追いこまれないですんだ……。というのは、やはり負け犬の遠吠えだ。


「センセイ、おねがいします。ヒロコは、学校の先生に見放された哀れな子です。成績がいいのは国語だけ。なんとしても県立高校に入ってもらわないことには、我が家の家計では宇都宮の私立高には入れられません。だって4月の入学時に一括して百万も納入しなければならないんですよ。地獄ですよね。それにしても、先生、塾をつづけているのなら、どうして知らせてくれなかったのよ」


 アサヤは感極まって沈黙。


「みんな、『サンタマリア』の結成から知っている偉い先生だからね」

 ドエライ誉め方をするものだ。

「押忍、よろしくお願いします」

「わかった。レディースダケノクラスを新設だ」

 ことここにいたって、アサヤはにわかに元気溌剌、心機一転。ほんとうにしばらくぶりでツッパリ専用コースを新設することにした。

 

 個人授業のクラスでもレディースのめんめんとの、同時同室授業はムリというものだ。中年といえども意気軒昂。まだまだ教育にかける情熱は涸れてはいない。


「先生授業料は?」と心配そうな礼子。

「十人もはいってくれたんだ。半額でいい」

「そんなこといってるから、センセイ黒川に身投げしたくなるんだよ」

 ヒロコがツッコム。

「それはないって……いってるだろう」

「あたしたち、援交したって金つくって払うからね」

 すかさず、ヒロコがチャチャをいれる。

「猿公。えて公。お猿の面。そんな鉄面皮なことはいいっこなし。貞操観念からこりや教え込まなければダメダナ」

「よろしくおねがいします」

「お茶もあげられなかったが、こんど昼間でも礼子ちゃんおいで。美智子もよろこぶから」 

「美智子せんせい、ぜんぜん歳とらないみたい」

 四階の窓を開けて、手をひらひらと振っているミイマを見上げて礼子がいう。

 門はむかしのままで傾いている。

 塾舎はコンクリートのぶちっぱなし。

 まるで、砦のようだ。

「夜目、遠目、傘のうちと言うじゃないか」

「わたしの妹みたいに若くみえるわ」

 アサヤと代わって黒板を背にして授業をしているはずなのに。こちらの成り行きいかんと窓から身をのりださんばかりにして見下していたニックネーム、ミイマ(美智子ママ)に、礼子も手をひらひら振って帰っていった。


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