怠惰の主

足立韋護

プロローグ

俺は腹が減っていた。


 理由は二つある。金、そして怠惰な精神。


 大学四年生である俺は、就職難に苦しむ同期を足蹴にしながら内定というダンジョン最奥にすら眠ってはいないであろう秘宝を獲得しようとしていた。

 だが敵はそう甘くはない。貼り付けたような笑顔、小ライスを牛丼特盛つゆだくまで盛りに盛ったエピソード、そしてこの味噌田楽でも詰め込まれているかのような脳みそ。敵はこれら全てを見破り、同期を足蹴にしてきた俺をあっさり蹴落としてしまった。


 一社ならまだ良い。二社、三社と続けば人間自ずと、「俺ってひょっとしてダメなやつなんじゃ……?」と勘づき始めるのだ。

 本来、ここで頭のシワが濃い連中は、問題点を即時洗い出し、就職課でひたすら特訓を始めるのだろうが、俺は違った。

 きっと自分に合わない会社だった、面接官が悪かった、そう言い聞かせ、努力の時間を惰眠に費やした。


 五十社目からはもう白目をひん剥いて面接していたと思う。そんなエクソシストもびっくりな男を採用する会社などあるまい。卒論を出す気も失せた。もう一年、大学に居残ろうなど、情けなくて当然親に言えるわけもない。


 うだうだとやっているうちに、とうとう春を迎えた。そう、五年目の春が来てしまったのだ。


 逃げ場などなかった。もはや誰も助けてはくれない。いいや、助けてもらうことをちっぽけなプライドが許さなかった。心が軋む音が聞こえた。


 そのうちに、自分でも気づかぬうちに、壊れたのだと思う。


 よし、やーめた。そんな感じで勝手に大学を辞めてやった。誰にも内緒だ。ヒミツというのはなんだかワクワクする、ああ、もちろん冗談である。


 両親からの鬼電を聞きたくないがためにスマートフォンは叩き割った。破片がちくりと腕に刺さり、小さな傷を作った。

 スイカ農家である実家からは遠く離れた都内に借りていた、火炭荘かすみそうという今にも出火してしまいそうなボロアパートも、金がないことを理由に追い出された。週二日のアルバイト程度では、家賃光熱費食費などなど賄いきれるはずもなかった。

 何故もっと働かなかったか、というのは愚問である。親からの仕送りを四年間も頼りにしていた人間が、突然その習慣を変えるなど無理難題なのだ。俺なら尚更だ。


────そして今に至る。


 過度に栄養を補給しないと、不思議と皮膚はくすんでいくことがわかった。だが、それがわかったところでおむすびが降り注ぐわけでもない。

 コンビニの残飯で生活しようにも、現代では鍵のかかった場所に捨てられている。いよいよもって目の前が霞んできた。


 全てをかなぐり捨ててから、俺はホームレスまがいのことをしながら、都会のアスファルト砂漠を徘徊していた。もう四週間になるだろう、整えていたヒゲも髪の毛も、今では無精スタイルまっしぐらである。


 気づけば大学からほど近い、ひと気のない公園の草むらに倒れ込んでいた。動けなかった。もはや腕一本動かすエネルギーすら残っていなかったらしい。


「だ、誰かぁ」


 掠れた声を振り絞るも、手を差し伸べる者など誰もいない。空は暗かった。灰色の雲がのろのろと流れゆく光景が妙に目に焼きつく。そんなことぐらいしか、できなかった。


 当然だ。就職という、人生単位で見ればちっぽけな一関門すら越えられない社会不適合者だったのだ。腹もくくらず、努力もせず、ロクに働きもせず、怠惰怠惰怠惰。ひたすらに怠惰。


 だって面倒だし、くたびれるんだもん。


 死にかけの今ですら、こんな思いを頭の片隅に置いているのだ。余程ブッとんだイカれ野郎なのだろう。

 楽に生きてきたつもりだ。こうやってテキトーに死ぬことができるなら────そう思うと、少しだけ救われた気がした。


 瞼が重くなったきた。心音は小さく、呼吸も浅くなってくる。



 あ、でもやっぱり、人に迷惑かけるし、死んだあと糞尿垂れ流すの見られんの恥ずかしいし、親だってきっと泣きじゃくるだろうし、なんか、想像しただけで────



【死ぬのも結構だるいな】

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