変わりゆく音色

来条 恵夢

花々のしらべ 1

「ねえ。僕は何をすればいいの?」


 少年は無邪気に、そこにいる女たちを見遣みやった。

 女たちは、若い者もいればしわだらけの老婆、顔一面にみにく火傷やけどの引きつれのある者、まだ幼い少女などがいたが、どれも、うっそりとした空気を持っていた。


「何をするのか、はっきり言ってくれなければわからないよ。ねえ、何をするの?」


 今年で六つになる少年、アーロンは、その空気に気付いていないはずもないのに、にこにこと笑顔で女たちに話しかける。

 アーロンにとって、重苦しい空気も不穏な空気も失望も、身近なものだった。

 だから今更、ひるむものでもない。


「お前は」


 近くにいた少女が口を開き、自分が声を出したことにはっとしたかのように閉ざしてしまった。

 そんな少女に、アーロンは微笑み掛けた。かすのではなく、先をうながす。

 まだ、自身も幼いと言える年齢でここまでの対応ができるのは、育った環境による。

 周りにいるのはほとんどが大人で、そのうちのほとんどからうとまれ、あるいは利用物と見なされていれば、人の感情にも機敏になろうというものだ。

 相手が自分に害のある者かどうか、そこを見定めなければ、生きてはいけない。

 今のところ、アーロンが素直に感情を表わせるのは、兄と姉だけだ。その他には、とりあえず無邪気な笑顔を向けて、相手の出方をうかがう。

 それが、身に付いた行ないだった。


「…お前は、我らをまぬのか」

「忌む? 何故?」

「…それなら、それでいい」


 そう言ったきり、口をつぐむ少女に首を傾げる。


「あなた達が、僕を呼んだのではなかったの? てっきりそうだと思ったのだけど。何か、して欲しいことがあるんでしょう? 違うの?」

「聞こえたのかい。声が」


 思っていたよりも近くで聞こえた老婆の声に驚きながら、うん、と、アーロンは頷いた。


 ――おね…い……ショ……ワーを…パッショ…………を…して……


 途切れて聞こえる声に呼ばれて、アーロンはここにやってきた。

 庭内の一角の建物は、ひっそりとあり、多くの女たちがいた。

 人にはなるべく親切にしたい、というと、兄や姉に苦笑されるが、危害を加えるのでない人には、親切にしたい。

 ――そうしていれば、自分はいい人だと思えるから。


「それなら、きっとあんたが助けてくれるのだろうねえ。頼むよ」

「頼むよって…だから、どうすればいいの?」

「あたしたちには、それは言えないのさ。あんたが自分で見つけるしかない」

「ええっ?」


 意地悪をしている、というのではないとは、女たちの顔を見ればわかる。

 女たちは、誰もが期待を込めて、その上できっと期待は裏切られるに違いないと思い込むような眼をしている。

 失望に慣れた眼だと、アーロンは思った。アーロンは、その眼を――よく知っている。 


「みつけられる、ものなんだよね?」


 そう訊くと、老婆は、哀れむように淡く笑った。


「ああ、そうさ。外の――。駄目だね、これ以上は言えやしない。とにかく、外だ。ここの中じゃなくて、外を探しておくれ」

「わかった!」


 頷いて、外に出る。

 外から建物を見上げると、陽光を入れる場所のない、やたらにしっかりとした造りだと気付く。そのくせ外観は美しく、一体誰がこんなものを造らせたのだろうと、首を傾げる。

 探す外というのは、どこまでを示すのだろう。この建物の外装も、ひょっとしたら含まれるのだろうか。


「もうちょっとはなれ…うわあっ」


 もっとしっかりと全体が見えるようにと、後ずさっていたアーロンは、何かに足を取られて、後ろ向きに転んだ。

 咄嗟とっさに頭を抱えて背を丸めたが、強く打ってしまった背が痛い。


「………っぅ」


 痛さに、身動きすらできないアーロンは、それでも、少しすると回復した。

 まだじんじんとするものの、どうにか体を起こして、自分がつまずいたものを見回す。

 建物をぐるりと囲む花々は、来たときには気付かなかったものだった。色とりどりに咲き乱れ、綺麗だ。


「あっ」


 自分が、その上に思い切り座り込んでしまっていることに気付いて、アーロンは慌てて立ち上がった。

 服に花や葉の汁が滲んでしまったのも厄介だが、それよりも、無惨に潰れてしまった花が痛々しい。


「…ごめん…」


 そっと花に触れて、ふと気付く。

 赤や黄色、紫に白、青に黒。色は豊富だけれど、どれも同じ花だ。

 広がった大きな花弁を土台のようにして、細かい花弁。その中央から突き出るようにして、円を三分する区切りのようなものが出ている。

 綺麗なのだけど、何か、不気味にも見える。その花は、何かを思わせた。

 思いついて、アーロンは、ぐるりと建物の周りを回った。思った通りに、花は、建物を囲むようにして咲いていた。


「あ」


 そういえば、何から助けるのかも聞いていない。それが、何かの手助けになるかも知れない。

 訊くために一旦建物に戻ろうとして、アーロンは、思いついて花を振り返った。

 何の収穫もなく戻るのだから、このくらいの土産みやげは持っていこうか。

 こんなに近くに咲いているのだから見慣れているかも知れないが、建物を出入りしたアーロンは気付かなかったから、そうでもないかも知れない。

 花を手折たおろうとして、自分が潰してしまった花を見て、掘る方に変える。

 何か道具はないかを見回すが見つからず、アーロンは、靴を片方脱いで、それで掘りはじめた。

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