第11話 jawS Punching Center

「こいつはひでえ……」


 変わり果てたイーリスの姿に、クトニオスは呆然としていた。港の入口に差し掛かった時点で、既にイーリスの惨状は一目瞭然だった。木造の水上住宅街は無惨に破壊され、炎に飲まれつつあった。


「リンネル、帰還したッス!」


 上空から街の様子を伺っていたハーピーが戻ってきた。


「どうだった!?」

「港の中に、巨大な魚が侵入して、人を襲っているッス! それに、水上住宅街では火災が発生中ッス! 橋の上にはまだ人が残ってて、大変なことになってるッス!」


 巨大な魚。サメに違いない。フカノは身震いした。


「……監察官殿!」


 クトニオスは、意を決して立ち上がった。


「イーリスの民を救出するため、この艦を港内に突入させるべきだと、進言いたします!」


 危険な提案だった。サメに襲われるか、火に巻かれる危険がある。それでも、少しでも多くの人を助けたい。クトニオスは純粋にそう思っていた。


「……サメに襲われたらどうするつもり?」

「大丈夫です!」


 ケイトがもっともな疑問を口にしたが、それに対してマイアが声を上げた。


「フカノさんがなんとかしてくれます!」

「おい、ちょっと!?」


 いきなり無茶ぶりをされたフカノは、当然うろたえる。


「……そういえば、女神の戦士がいたわね。いいわ。突入しなさい」


 しかし、フカノの返事は待たずに、ケイトは決断した。


「了解! 野郎共、覚悟を決めろ! イーリスの人たちを、1人でも多く救い出すんだ!」

「おおっ!」


 オールが力強く漕がれ、ガレー船は港内に突入した。岸に近づくにつれて、海が徐々に赤黒く染まっていく。それだけの血が流れたのだ。鼻を突く血の匂いに、フカノたちは思わず顔をしかめた。


「チクショウ、なんだってこんな……」

「フカノさん?」

「うっさい、話しかけないでくれ」


 フカノは苛立ちを隠しきれなくなっていた。不本意ながらサメと相対するかもしれないからか、それとも、このむせ返るような血の匂いのせいなのだろうか。

 やがて、ガレー船は桟橋の1つに辿り着いた。


「サメは!?」

「見えません!」


 別の桟橋が、群衆ごと吹き飛ばされた。どうやらサメはあちらにいるようだ。


「助けに来てくれたのか!?」

「そうだ、今のうちに乗れ!」


 追い詰められていた人々が、次々とガレー船に飛び乗ってくる。飛び移れない女子供には、兵士たちが手を貸して船に乗せてやった。


「全員乗りました!」

「出せ! あっちの岸につけろ!」


 乗員が倍以上に増え、船の進みは遅くなる。それでも、屈強な漕ぎ手たちのお陰で、船は素早く岸に着くことができた。


「よし、着いたぞ! 早く降りろ!」

「ああ、ありがとうございます!」

「すまない、私も降ろしてくれ!」


 避難民に混じって、ヴィヴィオも船を降りる。本の精霊にとって、水上火災は危険そのものだろう。


「気をつけてくれよ、学者さん!」


 避難民とヴィヴィオを降ろした後、フカノたちが乗る船は別の桟橋に向かい、救助を行った。地道なピストン輸送だ。一度に助けられる人数には限りがある。助けている間にもサメの暴走は止まらず、被害は広がっている。それでも、少しずつ助けた人数は増えていく。

 しかし、4回目の乗船の時に、事件は起こった。


「子供が……子供が、家の中に!」

「何ィッ!?」


 乗ってきた女性の1人が、燃え盛る家を指差した。炎は激しく燃え盛り、中の様子を伺うことはおろか、近づくことさえままならない。しかも、サメが近くに迫ってきている。探している間に、船に気付くかもしれない。そうなれば、船は、乗せている市民もろとも終わりだ。

 助けるべきか、見捨てるべきか。クトニオスが躊躇している間に、何者かが船から桟橋に飛び降りた。


「おい……っ!?」


 誰が飛び降りたのか、気付いたクトニオスは目を剥いた。ケイトだったからだ。


「姫様ッ!?」

「船を出して! サメが来るわよ!」


 クトニオスが振り返ると、三角形の背ビレがこちらに向かって迫ってきていた。


「うおっ!? 出せ、出せっ!」


 ガレー船は急いでサメから逃げ出した。

 その間に、ケイトは燃える家に飛び込んだ。子供の姿を探す。いた。火の粉から身を隠すように、テーブルの下で縮こまっている。


「大丈夫!?」


 ケイトはその子供に手を差し伸べた。


「よく頑張ったわね。早く逃げ……」


 突然、家全体から、木が引き裂かれるような音が響いた。ケイトが見上げると、燃え盛る梁が崩れてくるところだった。とっさに、体全体で子供を庇い、目を瞑る。

 体を押しつぶすはずの衝撃は、いつまで経っても来なかった。不思議に思い、ケイトは目を開ける。周りは相変わらず、燃える家の中だ。それなら、上は。見上げたケイトは目を見開いた。


「何してんだ、バカ野郎が」


 燃え盛る梁を、ケイトを押し潰すはずだったものを、フカノが支えていた。


「貴方……どうして……?」

「そんな事はどうでもいいっ! 早く外に出ろ!」


 フカノに怒鳴りつけられ、ケイトは子供と共に燃え盛る家を脱出した。続いて、梁を投げ捨てたフカノが家を出る。その直後、家は限界を迎え、完全に崩壊した。

 子供を連れて陸へ向かおうとしたケイトだったが、陸へ続く道は崩れるか、燃えるかのどちらかであり、どこにも行くことができなかった。クトニオスの船を見たが、まだ岸で避難民を降ろしている最中だった。すぐには来そうにない。


「うわっ!」


 子供が叫んだ。見ると、ケイトたちの目の前の海を、巨大な魚が泳いでいた。サメだ。サメは、ケイトたちが乗っている桟橋の周りを泳ぎ、離れとしない。狙いを定めているのだろうか。とにかく、このままでは泳いで逃げることもできない。だが、このままでは炎に飲まれる。あるいは、サメが海中から飛び出してきて食べられる。万事休すだ。

 後ろで、ガタン、と音がした。ケイトが振り返ると、フカノが何かブツブツ呟きながら、こちらに歩いてくるところだった。


「あの野郎……バカみたいに食いまくりやがって……クソッ……」


 フカノは手に、ボートの櫂を持っている。


「……何する気?」

「ブチのめしてやる」


 そのまま、ケイトの横を通り過ぎると、ジャンプして海に飛び込んだ。


「ちょっと!?」


 水音を聞きつけ、サメがフカノに向かっていく。フカノは水の中に潜った。それを追って、サメのヒレも水中に潜った。どうなったのか。思わず、ケイトは海面を覗き込む。

 少し離れたところで、水柱が上がった。見ると、サメが大きくジャンプをしていた。その下に、水面から顔を出す人影がある。フカノだ。


「おおおああぁぁぁっ!」


 フカノは雄叫びを上げて、落ちてきたサメをオールで殴った。サメの腹を打ったオールは一発で折れた。サメは怯まず、フカノに噛み付こうとする。フカノはそれを避け、折れたオールでサメの鼻先を殴りつける。だが、サメの硬い皮膚にはまるで通じていない。


「無茶よ! 逃げなさい!」


 だが、フカノは逃げない。とうとう、オールを捨て、拳で直接サメを殴り始めた。尋常な様子ではない。ケイトがさっきまで見ていた、サメの話をする度に苦々しげな表情をしていた青年とは、まるで別人だ。


「姫様ーッ!」


 そこに、クトニオスの船がやってきた。いつの間にか、避難民を降ろしたらしい。


「大丈夫ですか!?」

「アイツどうなってるの!?」


 ケイトは洋上で暴れるフカノを指差す。


「いや、俺にもなんだか……女神様、どうなってるんです?」

「わかりません。でも、サメ退治のフカノさんだったら、大丈夫だと思います!」


 マイアはあっけらかんと言い放った。


「そんなわけないでしょう!? 素手で人がサメに勝てるもんですか、早く助けなさい!」


 ケイトが言う通り、フカノはサメの歯を避け続けているものの、サメに対してまるでダメージを与えられていなかった。このままでは埒が明かない。いつか体力が尽きて、サメに食われるだろう。


「助けるっていっても、どうやって……?」

「貴方、魚を生み出せるんでしょう? 何か、速い魚を作って、それを囮にしなさい!」

「なるほど!」


 そう言って、マイアは海に降り立った。海の女神の体は、海中に沈まず、まるで陸の上のように海面に立っている。マイアは両手を大きく広げると、目を閉じて集中した。

 その間、フカノとサメは熾烈な格闘を続けていたが、とうとうフカノはヤケを起こしたのか、サメの背ビレにしがみついた。流石のサメも、これは不快に思ったのか、猛スピードで泳いでフカノを振り落とそうとする。

 そして、滅茶苦茶に泳ぐサメの先には、海上に立つマイアと、それを見守るクトニオスの船があった。


「まずい、こっちに来る!」

「漕げ……いや、間に合わねえ!」

「船から飛び降りろっ!」

「女神様ーッ! 逃げてくださーいッ!」


 呼び声に気付いたマイアが目を開けると、目の前に驀進するサメがいた。


「きゃあっ!?」


 思わず身を屈めるマイア。サメは大ジャンプし、マイアの頭上を飛び越えていった。しかし、その先にあったクトニオスの船は飛び越えきれず、横腹に突っ込んでしまった。クトニオスの船は、一撃でバラバラになった。


「俺の船がぁーっ!?」


 なんとか海上に逃げたクトニオスが悲鳴を上げる。ほかの船員たちも、水中から顔を出し、呆然と破壊された船を見つめていた。


「女神様!」


 ただ1人、ケイトだけがUターンしてこちらに迫るサメに気付いていた。


「は、はいっ!」

「魚!」

「はいっ!」


 マイアは再び集中する。魔法の準備はできていた。彼女の足元の海が円く輝く。生み出すのはブリではない。もっと大きく、速い魚の群れだ。魔法が完成し、マイアは目を見開いた。


「できました! 行ってください、カジキさん!」


 女神の号令で、魚の群れが光の中から飛び出した。現れたのは、剣のように長い上顎を持つ魚、カジキだった。カジキの群れは猛スピードで泳ぎ、サメの鼻先を掠め、港の外に向かって泳いでいく。


「な、なんだぁ!?」


 カジキの進行方向には、海神杯の参加者であるゴライアスのボートがあった。魚の群れが泳ぐ勢いで、ボートは大きく揺れる。


「一体何が」


 ボートから身を乗り出し、海面を覗き込んだゴライアスの首を、サメが抉り取っていった。サメはカジキに釣られて方向転換し、港の外へ向かっていたのだやがて、カジキの群れも、サメの背ビレも遠くなり、見えなくなった。


「……助かったのか?」


 海に浮かぶ誰かが呟いた。確かに、その通りだった。大勢の人が死に、水上住宅街は燃え、クトニオスの船も破壊されたが、とにかくサメの驚異からは助かった。


「……フカノは?」


 ただ1人を除いて。

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