バルニバービ

 港を出ると、二隻は順風満帆で快速に海を駆けていった。


 航海についての詳細は、スイフトに習って記さないことにする。彼が書いたようにそのような事柄を記して読者を退屈させるつもりはない故、割愛する。


 されど、この航海が我が国の学術の粋を極めたものである。その辺りは少し書かせていただきたい。



 この航海では途中で水や食料をなるだけ補給せず、出来るだけ上陸しないようするという。

 上陸して土着の原住民といさかいを起こさないのがその理由である。


 しかし、この突貫航海は非常に危険なことだとアントニもヘンドリックスも言う。特に真水の欠乏は致命的だという。


 また、食料も十日も経たないうちに悪くなるので、宜しくないそうだ。


 欧州から印度や日本あたりまでの航海では水夫が四・五人位死亡するのは当たり前だというのは拙者も長崎にいた時から知っていた。

 しかし、死亡の理由の殆どが滋養不足や栄養編方、または乾きにて死亡することは知らなかった。帆柱から落ちたり落水して死ぬことは殆ど無いそうだ。


 真水は思いの外、早くなくなるし、果実や菜のものも五日ほどで腐る。しかし、この両方が不足すると人は忽ち健康を損なう。


 そこで両船の船倉深くには、酒造りや醤油造りで使う大きな樽を持って作った濾過器が据えられていた。樽には炭や砂利などが詰められ、甲板に降り注いだ雨は全てこの樽に集められ、清水に変換する。誠に画期的な機器である。

 また、この樽は前後左右の四カ所に置かれ、船の均衡を保つ役割も担っていた。


 また、食糧には干物魚だけではなく、鯨や海豹の干し肉や塩漬け肉が積まれていた。これらの肉は菜のものの滋養と同じものが含まれており、北方の漁師はこれらの肉だけで生きているそうだ。

 そういう知識は、元漁師だった水夫たちの知恵によるものだ。


 また、菜のものとしてぬか漬けなどの漬物類が大量につめ込まれていた。これなら生の野菜より数倍も長持ちする。


 しかしながら、この海の旅は安泰なものではなかった。三度も時化にあったし、日照り続きで濾過器も活躍できず、二度も小さな島に上陸して湧き水を給水しなければならなかった。

 危険も恐怖も多い航海だったが、それらの話については、また機会があれば語ることにする。


 出港してから二十一日目に船は三度目の嵐に出会い、大揺れに揺れた。僚艦ともはぐれてしまい、正直、かなりの危機感を抱いた。

 しかし、一日半ほどすると、風も波もピタリと止まり、凪となっていしまった。

 空は雲一つない快晴で、微風すらなかった。雲一つない水色の天が続いているにも拘らず、じっとり蒸し暑い日々が続いた。


 日照り続きで、いたずらに水が少なくなり、食糧もなくなっていく日々が続いた。


 凪が始まって、五日経った夕暮れに、漸く風が吹き始めた。丁度、そろそろ食糧の心配をしなければならぬと感じ始めた折だった。

 水夫たちは大急ぎで帆を張り綱を引き、船長の指示する進路に船を向けた。


 翌日の夜明け後、バタバタと激しい物音で拙者は起こされた。

 甲板に出てみると、皆は一方を見つめていた。島を発見したそうだ。

 帆柱の先端に登った少年水夫が左手を指差して叫んでいた。「大きな島が見える」と。

 急いで甲板に出てみたが、そこからはまだ島影は全く見えなかった。


 漸く、水平線の向こうで朝日に照らされた島の姿が見えるような頃になると、後方にはぐれていた僚艦が一里ほど後方から追いかけてきた。


 順風とはいかず、蛇行しながら少年水夫の指差す方向へ進むと、やがて島影が見えてきた。

 やがて、島の姿が大きくなると、その背後の空高くに巨大な町が浮いているのが見えてきた。

 かなり遠くに浮いていたが、その巨大な姿ははっきりと見えた。


「ラピュータだ」拙者はその巨大さに呆然としてしまった。他の者たちも全員口をあんぐりと開けたままだ。

「あれがラピュータか…」長田が拙者の隣で囁くように尋ねた。

「間違いない」拙者はラピュータを見つめたまま頷いた。


 このような巨大なものがどういうからくりで宙に浮いているのだろうか。


 大楠丸と鹿野丸は正面に見えてきた小さな入江の沖に投錨した。

 ラピュータはまだ遠くにあったが、ゆっくりと降下しながらこちらに近づいているようだ。


 島の崖上に何人かの人が見えた。こちらに向かって指を指している。

 ラピュータの側面に何層も重なっている観覧回廊にも人らしき影が見受けられた。何十人もの民がこちらを見つめているようだが、討って出てくる様子はない。


「あれに乗らなければならぬのか…」学者たちの手は僅かに震えていた。

「虎穴に入らずんば虎児を得ず、だ」拙者はそういったものの内心恐れおののいていた。

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