第4話
次の日、仕事へ出掛ける前に電話でドアの修理を業者に頼み、まだ転校の手続きなどが終わっていない、家に残る彼女に対応を頼んだ。
俺の頼みに対し、彼女はインターネットで同じ症状の出ている人間を探すついでに頼まれてくれることを了承してくれた。
そして、一日の仕事を終えて、自宅に帰るところから話は始まる。
「ドア直ってたな」
「業者がついでに鍵も作ってくれたから、私用に予備を作らせて勝手に持ってるから」
「構わないよ」
「あと、余ったお金で買い物もさせて貰ったわ」
「高橋のおばさんの荷物が届いてないから仕方ないな。それも構わないよ」
上着を脱いでネクタイを外すと、いつも掛けているハンガーに皺になる前に掛ける。箪笥から私服を取り出して着替え終えると、彼女が話し掛けてきた。
「無神経な人間って、人前でも平気で着替えられるのね?」
「そうだよ」
彼女は溜息を吐く。
「まあ、いいわ。それより、話をしたいんだけど?」
「夕飯食べながらでいいかい?」
彼女はテーブルを指差す。
「用意してあるわ」
「助かるね」
「話しながらだと思ったから、全部摘まむ系のもので作ってあるわ」
自分の都合でしか共同生活に参加しないところは、彼女も十分に無神経の素質を持っている気がする。
とりあえず、何か腹に入れたいので、彼女が作ったという海苔巻きを摘まみながら話すことにした。
「まず、貴方の見解を聞かせてくれない? 私がどうして娘の中に入っているか」
「昨日の今日で、俺に聞くのか?」
「どんな意見も、貴重な情報になるはずよ」
俺は頭に軽く手を当てながら答える。
「まあ、単純に思いつくのは二つだな」
「一つ目は?」
「君自身が娘の別人格であること。娘に入ったというのは思い込みで、娘が勝手に作り出した母親という設定」
「多重人格者というものね」
「ああ。実例もあって、人格が代わると口調や顔つきまで変わるというものもある。中には知らない国の言葉を話し出すなんてのもあるから、先祖のDNAが蘇ったとか、前世の記憶が人格に現われたなんていうのもあるらしい」
「なるほど。もう一つは?」
「単純に霊が憑依したってヤツだね。死んだ君の霊が娘にとり憑いてしまったというパターンだ」
「なるほど」
海苔巻きを箸で摘まみ、俺は話しを続ける。
「俺の意見に対する君の感想は?」
「ありきたりだけど、私もそれじゃないかと思っているわ。ただ、前者の多重人格者っていうのはない気がする」
「理由は?」
彼女は腰に右手を当て、反対の掌を返す。
「前世の記憶や先祖の記憶が蘇って大人の話し方になっているなら、その先祖の蘇る記憶に時間的な制約ができるはず。でも、私の記憶には、制約を無視した今まで歩んできた人生と、この子に入ってからの記憶があるわ」
「なるほど。DNA情報で蘇る母親本人の記憶の時間軸にズレがあるんだな?」
彼女は頷く。
「君が彼女を産んだ後では、引き継がれないはずの君の記憶を持っているのは不自然だ……ってことだね?」
「ええ」
もう少し詳しく説明すると、彼女の娘が受け継ぐべき情報(DNA)を受け継がせることが出来るのはリミットがあるということだ。つまり、母と子が繋がっている母親の体内の中までの彼女の記憶というものが、DNAとして受け渡せる最終的な人体の物理的接触期間であり、生まれてしまった以降では、彼女の記憶をDNAに乗せて娘に伝えることはできないということだ。
「もし、別人格の形成と共に前世の記憶が蘇るなら、この子が生まれた後の私の記憶は蘇らない。この子が生まれる前までの私の記憶でないとおかしいわ」
「遺伝子に記憶が残ると仮定するなら、刻み込まれるはずのない記憶を持っているのは確かに不自然だ」
彼女は頷く。
「そして、もう一つの別人格の形成の特長についてだけど、生まれる多重人格というのは、心的ストレスが反映される傾向が強いらしいの。過度の家庭内暴力を避けるために、何も感じない人格を生み出したり、暴力に対抗するための凶暴性の強い人格だったりね」
「君の行動理念の一つである『娘を守るため』っていうのは、心的ストレスの要因で生まれたものに該当するんじゃないのか?」
「私は、そんな苛烈な性格を……しているわね」
ここで『ない』と言い切ったら突っ込みを入れるところだったが、彼女は俺に会うまでに親戚にしてきたことを自覚しているようだった。
俺は海苔巻きを食べるのに使っていた箸を置く。
「話を戻すけど、そうなると死んでしまった君の魂と呼べるものが、君の娘に入ったということになる」
「……そうね。だけど、霊がとり憑いたなんて、こっちの方が眉唾物の気がするのよね」
確かに、それは言える。霊がとり憑くという話よりも多重人格になったという方が説明には困らない。何故なら、多重人格というのは脳の異常動作であり、医学というもので専門医の判断を仰げば、それなりの診断が出来るからだ。
しかし、霊がとり憑きましたというのをどうやって証明すればいい? 科学や医学というのは学問を突き詰めていった結果に証明ということが出来るのに、幽霊という存在するかどうかも分からないものを突き詰めることなど出来るわけがない。仮に存在があったとしても、突き詰めるための実例が少な過ぎれば、成り立つこともしない。
「ちなみに事故を起こした時に、娘は一緒だったのか?」
「何故、そんなことを聞くの?」
「一緒に事故に巻き込まれたんなら、病院に行っているだろう? その時には精密検査をするから、検査で脳に異常があれば、今の状態の原因を解明する一つになるんじゃないか? 医師という専門家の意見は、俺達なんかよりずっと信頼できる」
「なるほどね。だけど、あいにく娘は、家でお留守番の最中だったわ」
「それも判断材料になる」
「え?」
彼女は、俺に視線を向けた。
「娘の中に入ったのは事故直後? それとも、事故の知らせを聞いてから?」
彼女は真剣な顔になり、凛とした口調で言い切った。
「事故直後だったわ」
「だったら、娘が両親の死というストレスを認識して人格を作り出すことは出来ない。多重人格説はほぼないと断定していいだろう」
彼女は頷く。
「人とは話してみるものね。自分ひとりで考えるよりも、違う視点で答えが返ってくるわ。自分ひとりだと、どうしても凝り固まった考えになってしまう」
「役に立てて何よりだ」
彼女は腕を組んで考え込む。
「そうなると、憑依説ね」
「そうなるんだけど……」
「何よ? 歯切れが悪いわね?」
憮然とする態度の彼女に、俺ははっきり言っていいのか迷いながら伝える。
「その憑依って、悪霊の使うスキルじゃないのか?」
「…………」
彼女は暫く沈黙すると、頭を抱えて蹲った。
「確かに……。娘にとり憑いて、体の所有権を奪うなんて、そのものズバリじゃない……」
今頃、気付いたのか……。
「どうすんだ?」
彼女は苦悶に満ちた顔でうんうん唸ると、やがて座った目で呟く。
「私を除霊して貰うしかないかと……」
何か、変な方向に話が変わってきた。娘を守るために奮闘している母親の霊を悪霊として除霊することになるらしい。いいのか?
彼女は座った目のまま、俺に問い掛ける。
「霊媒師って、本当に本物なのかしら?」
「俺からすれば、君の存在そのものが既に疑わしい存在なのだが」
彼女は額に手を当てる。
「そうよねぇ……。まず、私が本当に幽霊かどうかも分からないのよねぇ……」
自分が幽霊であることを証明する方法なんてあるのだろうか?
俺は箸を取り、残りの海苔巻きを摘まみながら彼女の答えを待つ。
「とりあえず、有名どころの霊媒師に私を見て貰わない?」
「病院が先じゃないのか?」
「それはいいわよ。転校手続きの時にするでしょう。施設に入る時もしたから」
「そうなんだ」
何か変な話が、更に妙な話になってきた気がする。
そして、この後も色々と話し合ったが良い案は浮かばず、とりあえず行動だけは起こそうということになった。
今度の休みは霊媒師探しをする予定である。
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